新しい文明に移行するために今私たちにできること Vol.196

真実を告げる書

今私たちは長く続いてきた支配層からの支配がついに終わるかもしれないという貴重なときに生きています。

本当に支配が無くなったら、あとは人々の意識次第で新しい文明に移行できるのですが、そこに到達するまでには現時点での世界の人々にとってはかなりの意識の変化が必要になると思います。
少なくとも今のままではとてもほど遠いといえます。

しかし、これは現在起きている支配の仕組みから脱出するというような物質的に変化を起こすことに比べたら、瞬時に実現できることではあります。
そこで、支配から解放された人々の意識がどうなれば文明の移行ができるのかを考えてみます。

今回の考えはただの私の妄想ではなくて、いつものように聖書と「地球人は科学的に創造された」や「アミ 小さな宇宙人」を参考にしたものです。
これらの書物に共通しているのは、どれも人間を創造した創造主や宇宙文明の人々と思われる存在からのメッセージだということです。
それは私たち人間が自ら気づき進歩できるように宇宙文明の人々が与えてくれた預言と考えることもできます。

近頃は善と悪、光と闇などの情報が錯綜していて何が嘘で何が本当かもわかりにくくなっています。
このブログを含め流れてくる情報を鵜呑みにするのは意識が左右される恐れもあり危険です。

聖書や古事記、その他の伝説や宗教で伝えられている預言書と思われる書物でさえ支配者に都合よく書き換えられている箇所はあると思います。ですが、すでに広く伝えられたものを現時点で書き換えたりすることはほぼ不可能ですから、長い間安定して人々に同じメッセージを伝え続けられています。

ですのでそういった長い期間残されている預言といえるものを自分自身で読んでみて、時代の変化や流行に影響されない部分に注目することは真実に近づく一つの道といえます。

そして読むときには、自分の良心とともに読む気持ちで読んでみると、預言として私たちに伝えたいことが理解できると思います。
良心は、宇宙の法則である愛に則っているものだからです。

とはいえ、これらが本当に宇宙文明からのメッセージかどうかを証明するものはないため、信じるか信じないかは皆さんの自由です。

新しい世界へ変わる瞬間

「アミ 小さな宇宙人」シリーズの2巻である「もどってきたアミ」には、地球ではない別の惑星がついに新しい世界を迎えた瞬間をアミに見せてもらうシーンがあります。

このシーンの前に、ペドゥリートたちはある惑星が残念ながら自滅してしまったときのことを、アミの宇宙船の窓をスクリーンにして見せてもらっていました。
少し長いですが、その箇所を引用します。

「こんなにたくさんの犠牲者を出さないで、平和な世界を手に入れる方法はないの?アミ」
「とてもいい質問だ!ペドゥリート」
「どうして?」
「だって、それは可能だからさ。これから別の惑星の映像を見てみよう。ここに別の世界の記録がある」
 アミはあらたにコントロールボタンをそうさした。まどに新しい映像がうつった。こんどは地球やキアにとてもよく似た世界だった。人々もさまざまな人種まで地球人にそっくりだった。
 ある主要都市にある巨大な建物の入口に、たくさんの人々が集まっていた。
「いま、きみたちは歴史的な瞬間に立ち会っている。たったいま、この惑星の世界政府が成立したところなんだ。各国から選ばれた代表者はふつうの政治家とはちがうんだ……」
「じゃ、なんなの?」
「宇宙計画の奉仕者たちだよ。この世界ではいま、宇宙の法、神の法による統治がはじまったところなんだよ」
「すばらしいわ!とっても」
 ビンカはひどく感動して言った。
「このグループは宗教界や精神界において活動するグループをはじめ、生態学者や平和主義者から構成されている。彼らが、すべての文明世界で実践されている兄弟愛に基づく共同生活を提案したんだ。そして人々が彼らの言うことを信じることにしたんだよ……もうほかにはまったく選択の道がなかったんでね……」
「どうして?」
「世界的な規模の経済恐慌があったんだよ。それと平行しておびただしい数の核実験や環境汚染、そして地下資源の過剰乱開発。生態系の不均衡が起きて、気候の異変が農産物をおかしはじめていた。そして新しい伝染病やペスト、疫病、さらに世界各地でたくさんの戦争があった。社会システムの対立が原因でひき起こされた戦争もあれば、国境をめぐる戦争、異なった宗教間の戦争もあった。すべてのお金が戦争につぎこまれ、飢餓や貧困、恐怖が世界じゅうのいたるところに生み出されていた。人々はもううんざりしていたんだよ。そんな世の中にね。
 そしてこの集団狂気をなんとか食いとめる可能性のある道が、ひとつだけのこされた。そんなわけで、みんなの合意を得て平和的にそれをこころみることにしたんだよ」

まどガラスを透していろいろなシーンがうつし出された。
「いまちょうど世界政府のあらたなる法が、執行されるところだよ」
 すべての都市の何千、何万という人々がぼうだいな量の戦争兵器の前にいる。ぼくの惑星のあるひとたちにとっては、まさにほこりの対象である小銃、機関銃、大砲その他あらゆる破壊的な武器が山積みにされている。
「なにしているの?」
「すべての国、いやいまとなっては元・国、つまり世界政府の州の自治体が武器を別のものにかえているところなんだ」
 大きな炎が金属を溶かしていた。港では戦艦を輸送船に、空港では戦闘機や爆撃機が旅客機に、戦車はトラクターにと、つくりかえられていた……。
 ぼくはそれを見ていて、アミからさいしょ教わっていた預言者イザヤの言葉を思い出した。
 聖書にあるその言葉をここに書いておこう。

”……そして彼らは、その剣を鋤の刃に、その槍を、かまに打ち直し、人々は人々にむかって、剣を上げず、二度と戦いのことを習わない”(イザヤ書2章4節)

炎が金属を溶かしているあいだ、人々は感動にうち震えながらある歌を合唱していた。そして、多くの人々は熱いなみだを流していた。まさに友愛と平和の象徴的な場面だった。
「これからよく注意して見ていてごらん。いちばんいいシーンだ」
 とアミはぼくたちに言った。
 空に何千、何万というかがやく飛行物体があらわれ、円を描いて炎のまわりをとびはじめた。人々は感動とよろこびのあいさつを送っている。いくつかの円盤は下降し、搭乗員が円盤からおりて、破壊と暴力を永久に放棄したその惑星の人々と合流してよろこびを分かち合っている。

 空からの訪問者が拡声器を通して地上の群衆にむけて話はじめた。
「この惑星のみなさん、きょうの記念すべき行事は、宇宙からの建設的なインスピレーションの力を受けています。それはあなたがたのハートのいちばんすばらしい部分に影響をあたえ、未来をすくうための戦いを推進させました。あなたがたは自分たちのエゴイズムや無知や不信や暴力を克服しました。これは”宇宙親交世界”に仲間入りできる証でもあります。
 これからはもう未来に、あなたがたの前に、苦悩は待っていません。宇宙の調和と合致した、愛によって統治されるシステムづくりができるよう、豊かな科学や精神上の知識をすべてあなたがたに提供しましょう。そうするためにわれわれはきたのです……」
 人々は幸せいっぱいの表情でだき合ったり、驚嘆したり、円盤のほうに両手を大きくひろげたりしている。
 そのあまりにも感動的な場面を前にして、ビンカは人目もはばからず、大声を出して泣きはじめた。
 ぼくは胸につきあげてくるつよい感動をなんとかおさえ、アミにひとつの質問をした。
「どうして、ここにいるひとたちは、空とぶ円盤の出現にまったく恐怖心をいだいていないの?」
 アミは笑って答えた。
「とてもかんたんなことだよ。前もって情報は知らされていたんだ、この惑星にいるわれわれの仲間によってね。
 愛によって動いているすべてのグループや団体は、われわれの存在と援助のことを知っていて、人々がすべての武器をなくし統一を果たしたあかつきには、自分たちの兄弟にあたる宇宙人の円盤があらわれるというわれわれのメッセージを、預言として人々に説いていたんだよ。そのおかげで、ここのひとたちは世界主義的な意識をじょじょに受け入れつつあったんだ。だから、きみたちの使命というのは、とても重要なんだよ」
(「もどってきたアミ」文庫版 p230~p236より)

このようなことがこの地球でもこれから実現する可能性はまだ十分あります。
そのためにはここにあるように、人間の攻撃的な心をなくして破壊的な武器を全て放棄することが第一の条件なのです。

この場面を見ていたビンカはとても感動してこの場所に降りていきたいとアミに言いましたが、これはこのときのリアルタイムの出来事ではなくとても古い映像をアミの宇宙船の窓に映したもので、その頃地球ではまだ文字すら生まれていなかったそうです。

今地球で起きているようなことは遥か昔から宇宙の他の惑星でも何度も起きていることであり、このような時期の惑星には破滅に向かうか素晴らしい世界に向かうかの可能性がどちらもあるのです。

新しい文明で生きるための条件

前回も書きましたが、今の地球はもう全人類が滅びるくらいの大災害はもう起こらないという噂があります。
ですがそれはどこかから伝えられた情報ですから、本当に滅亡しないという保障はありません。
それが本当だとわかるのは、実際に滅亡せずに次の文明を迎えられたときだけです。

そしてこのような素晴らしいイベントはこの地球でも起こる可能性は十分にあります。
そのための一つの絶対的な条件は、私たち人間の中にある攻撃性を無くし、その証拠として地球上にある一切の武器を放棄することです。

現在、地球で行われている人類の解放の戦いの中では、悪魔崇拝をして酷いことをしていた人々がいるため、その事実を知った人はそういった支配者たちを憎む心が生まれてしまうことはあると思います。
しかし、ただ憎んだり復讐心を抱くと心が悪魔崇拝をした人たちと同じレベルに落ちてしまう恐れがあります。
たとえ悪魔崇拝をしていなくても、心のレベルが同じになってしまうのです。

だからといって悪を許していいということではなく、悪の元になる行動や心を許すことなく毅然と立ち向かいながら、悪に支配された人を憎まないようにするのです。
怒りをもって人を憎むことは善ではないからです。

それにこの世界の悪魔崇拝者たちはこれから必ず宇宙の法則に則って自ら罰を受けるため、私たちが罰を与える必要はないのです。

誰かを陥れようとしたり、いじわるな心を抱いたり、競争心をもって接することはどれも攻撃的になり争いを産むものですから、まずはそういった心をできるだけ手放すように努力するといいです。

1:19愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。 1:20人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。
(「ヤコブの手紙」1章19節・20節より)

4:29悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。 4:30神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。 4:31すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。
(「エペソ人への手紙」4章29~31節より)

「アミ」の中にこんなエピソードがあります。

ペドゥリートがキア星の老人クラトに会ってお互いを紹介し合った時、「ペドゥリート」という名前をクラトにからかわれためにペドゥリートはいらいらしていました。
そしてクラトの名前を紹介されたとき、ペドゥリートはその仕返しのつもりで大げさに笑いました。
クラトはペドゥリートが笑った理由をアミから聞いてペドゥリートに謝りました。

アミは名前のことなんかで喧嘩をするのはつまらないことで、「クラト」は石という意味だと言ったとき、ペドゥリートはどうして石なんていう意味の名前を付けられたのかとクラトの名前を笑いました。
そこでアミは、「クラト」と「ペドゥリート(ペドロ)」はどちらも「石」という意味を表す名前だと言ったため、みんなで笑いましたが、ペドゥリートは一人だけ笑えず、いつも自分はこうだ、と落ち込んでいました。

アミはそんなペドゥリートにこう言いました。

「ペドゥリート、いいかい。きみは、本来のきみの水準以下で行動しているんだよ」
 ぼくはもっとわかりやすく説明してくれたらいいのに、といった目つきで彼を見た。
「小さな子どもが食事のときに服をよごしても、だれもそれを本気になってしかったりしないだろう。それはその子どもの水準による行動だからね。
 でも、もしおとながおなじことをしたら、きっと周囲のひとからとがめられるだろう。だってそれは彼の水準に見合った行動じゃないからね」
「それとぼくとどういう関係があるっていうの?アミ」
「ほんとうの自分に見合った行動をしていないんだ。自分のあるべき水準で行動していないんだよ。だから、なにかをしたり考えたりするたびに、こらしめを受けて苦しむことになるんだよ。反対にきみがあるがままの自分じしんのよい部分にしたがって行動すれば、きみの人生はいつも天国そのものになるよ」
(「もどってきたアミ」文庫版p175~176より)

自分のレベル以下の行動をすることは、結局自分自身に返ってきて自分が苦しむことになるのですね。
怒りに任せて行動して大切な物をなくしたり壊してしまうのも、自分が苦しむことになります。

ぼくはいまの自分とは別のひとになる努力をしようと決心した。
「いや、ほんとうの自分じしんになることで、じゅうぶんなんだよ。手に入れなくっちゃならないのはそれなんだよ……。
(「もどってきたアミ」文庫版p176より)

このあと、ビンカとクラトがふたりでいるところを見たペドゥリートは不快な気分が生まれかけましたが、すぐにその感情を打ち消すようにしました。
行動も思考もよりよくすべきだと思ったからです。

「ブラボー!そう思えるようになったら、それはもうひとつの進歩だよ、ペドゥリート」
 とアミがよろこんで言った。
「エッ!それどういうこと?」
「きみは進歩しているんだよ。自分の思考を観察しはじめたんだからね。もう、それほどねむっている状態じゃない。ふつう、ひとはけっして自分の思考に注意をむけてみるということをしない。
 悪い考えが頭の中をよぎったとしても、まったくそれに気がつかないでいるから、とうぜん自分はすばらしい考えをいだいていると思っている。
これじゃ少しも進歩はない。ペドゥリート、きみはいま、自分の心を監視しはじめたんだよ。自分じしんをより深く理解しはじめたんだ。そのうえ、自分の意識の中のふさわしくないものを、取りのぞく力も獲得しつつある」
(「もどってきたアミ」文庫版p177より)

誰もがこのような行動ができるわけではありませんが、せめて自分のレベル以下の行動や考えをしてしまうと気づけたときには、すぐに自分で修正できるように努力ができるといいですね。
何が自分のレベル以下かどうかは、その考えや行動が自分の中にある良心に従っているかを確認するとわかるのではないかと思います。

今回のことは、聖書やアミのような預言書の内容が事実かどうかは関係なく、人間がどう生きるかのヒントとして誰にでも当てはまる事です。

これから来ると思われる解放された世界では、もう誰も私たちを支配する人はいなくなります。
その自由になった世界で進歩する努力をすることが、新しい文明で生きることができるための一歩になるのです。

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