物質文明は縄文時代の終わりと同時に突然始まったのかも知れない Vol.174

古事記

現在の地球は水瓶座の時代に入っていて、それによって今の物質文明が終わると言われます。

物質文明とは現在のこの世界のことで、物質的なことに価値を置く世界です。
物質的な価値とは例えば富や名声、学歴や出世などの競争社会で勝つ事などです。
それからこの物質文明を楽しむための娯楽もそうだと思います。
こういったものが現在の世界で価値があるというのが物質文明の特徴です。

ところで、この物質文明はいつから人類の中に起こったのでしょう。
人間が自然に進歩し、少しずつ物に価値を置くようになったのでしょうか。

人間が自然に発生したのならこれが人間の自然の進化の一つだとも考えられますが、聖書と「地球人は科学的に創造された」と古事記を参考にして考えてみたら、全ては計画されたことだったように思えるのです。

国譲りがきっかけである可能性

まず、なぜこの世界は物質的なことに価値が置かれる時代になったのかについて考えてみます。

地球に人間が創造され、人類として進歩することが決まる前は、もしかすると世界は違っていたのかもしれません。
その頃の人々は物質的なことへのこだわりはあまり無かったのではないかと思います。

なぜそう思うのかというと、その時代とは古事記での国譲り以前の世界だと思うからです。

国譲りとは、この地上の世界である葦原の中つ国が国津神の大国主命から天津神へ譲られたものです。

国譲り以前の世界は、国津神と人間だけの世界でした。
神というと実体の無い曖昧な存在に思えますが、国津神は多くの人が考えるような「神」という存在ではありません。

そもそも古事記などの伝説にある出来事はただの神話ではなく、現実にあったことを表している可能性があります。
私がそう思う理由は、古事記に登場する神を祀っている神社などがあることです。

神社には人間が作り上げた架空の神様が祀られているとも考えられますし、多くの人は架空ではないかもしれないけれど実体は無い神様が祀られていると考えているでしょう。
ですが、なぜ見えない神様をこれほど大切に祀り祭事をするのかを考えると、その神についての実際のエピソードがあったからではないかと思うのです。

「神」といわれる存在には実体があり、確かにこの世界で活動していたとも考えられるのです。
神社やお祭りは、実際にあった出来事を人々が忘れないために、再現したりその事に感謝しているのかもしれません。

そしてその神は聖書に登場する神と同じような存在だと私は思っています。
そう考えると、聖書と古事記のはっきりと理解できなかった部分が見えてくるように思えるからです。

すると古事記に登場する国津神のことも簡単に理解できます。
私が考えている国津神とは、この地球に人間を創造して一緒に暮らした科学者のルシファーたちです。
ルシファーたちは創造された人間たちの成長を助けながら、たぶん平和に暮らしていたと思います。

その世界とは、日本の歴史での縄文時代の頃かもしれません。
縄文時代は約1万年も続いていました。
それほど長く続いていた時代がなぜ終わったのか。

歴史の授業では大陸からの文化が入ってきたためだと教えられましたが、なぜ1万年も続いていたのにという疑問も残ります。
そう考えると、その頃に何か大きな変化が世界で起こっていた可能性もあるのではないかと思います。

そこで古事記の出来事と照らし合わせたとき、この世界での大きな変化といえば伊邪那美の死と天照大御神の岩戸隠れと国譲りです。
そのうち長く続いた縄文時代からの大きな変化と照らし合わせると、国譲りではないかと思います。
つまり縄文時代の終わりは国譲りと関係があるのではないかと思うのです。

国譲りの後には天孫降臨があり、この地上の世界に天津神からの遣いである瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が降りてきました。
それまではこの世界に天津神はいなかったといえます。
ですから国譲りと天孫降臨は国の雰囲気が大きく変わる出来事だったと思います。

そしてこれが、今の世界まで続く物質文明の始まりだったのかもしれないのです。

なぜ物質文明が始まったのか

なぜ国譲りと天孫降臨が物質文明の始まりなのかというのは、その背景をよく考えてみると見えてくると思います。

古事記にある国譲りとは、以前に書いたように、地球の統治が地球に人間と暮らしていたルシファーたちから宇宙文明へと譲られたことだと私は思っています。
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これは聖書でいう虹の契約の箇所です。
この契約では、人間を滅ぼすか滅ぼさないかという創造主たちの意見の相違があり、その間をとった可能性があります。

この意見の相違は、地球に人間を創造した創造主たちと創造主の惑星の人々との意見の相違だと思います。

どういうことかというと、もともと創造主の惑星から創造することを反対されていた人間は、悪い行いが目立ったためにノアの大洪水で完全に滅ぼされる予定だったのですが、ルシファーたちに助けられて生き残ったノアたちによって、地球ではひそかに人類はまた繁栄していました。

人間が滅んでいないことが惑星政府に発覚したとき、もしかすると人類はもう一度滅ぼされるという計画もあったかもしれないのです。
しかし、人間を創造して一緒に発展してきて人類を守りたかったルシファーたちの思いによって、惑星政府と契約が交わされたのだと思っています。

その契約とは、ルシファーたち科学者は地球から姿を隠し、人間の自らの進歩に任せて宇宙文明へと仲間入りできるまで見守るというものです。

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そのときから、この地球の世界が大きく変わり始めたのです。

宇宙での進歩とは精神的な進歩についてのことが大きいですが、そのためには文明的な進歩が伴う必要があるのだと思います。

もしも文明的な進歩が無いままだと、人間は精神的な進歩の速度もとても遅くなってしまうのではないかと思います。
国譲りと虹の契約の前はそれでも良かったのですが、人間がいずれ宇宙文明の仲間に入ることに決まった後からは、人間の進歩を進めてその度合いを正確に計るためにも物質文明が必要だったのだと思います。

人類の文明的な進歩によって人間の進歩の度合いをほぼ正確に測ることができるということは「地球人は科学的に創造された」にあります。
そのことから、物質文明は人類が現在どの進歩の段階にいるのかを把握するためのものでもあるのだと思います。

「地球人は科学的に創造された」は、人間を創造したとされる創造主の惑星の存在がラエル氏に書くように依頼したものですから、信じるか信じないかは皆さんにお任せします。
少し長いですが、その部分を引用しておきます。

将来を予言することは不可能です。時間の流れを旅することは不可能ですから。しかし、ある生物体の将来を予測することはできます。そして、人類全体を一つの生物体と考えることは可能です。素朴な女性を妊娠させた科学者は、その将来を彼女に予言することができます。すなわち、9 カ月後には子供が生まれること、さらには、その性別さえ言い当てることができるでしょう。
 同じように、多くの惑星上に生命の創造を行ってきた私たちは、人類が科学水準と同等の英知を持たないまま高度な科学技術の水準に達したとき、そこで何が起こるのかを正確に知ることができます。
 こうして、個々人の将来について予言することはできなくとも、妊娠中には通常何が起こるのか、あるいは発展過程にある人類全体には何が起こるのか、ということについて知ることはできるのです。
 母胎内で受精した最初の細胞の中には、多くの機能を持った完全な人間が生まれるのに必要な、すべての情報がすでに込められているのです。細胞が増えれば増えるほど、その機能も多様化してきます。その機能の数は、子供が生まれるまでに繰り返される、細胞分裂の結果生じる細胞の数に比例しています。
なぜなら胎児は、すでに完全な生体組織を持っているので、いずれそれが必要な諸器官を生み出し、あらゆる機能を遂行してくれるからです。
 これらのことは、人類全体についても全く同じように言えることです。すなわち個々人は、生成中の胎児とも言える人類の、ひとつの細胞に等しいのです。
 職種、発見の数、科学技術のレベルなどは人間の数に比例します。こうして私たちは、人類が電子義眼で盲人の目を見えるようにし、通信衛星によって大洋を越えて彼らの声を伝え、あるいは実験室で人工的に人間を創り、彼らが「神」と呼んでいるものと同等になる可能性を得たときに、アポカリプスの時代が到来することを容易に予測できました。

(「地球人は科学的に創造された」p277より)

「多くの惑星上に生命の創造を行ってきた」の部分が気になりますが今回はスルーします。

もしもこれを伝えたラエル氏の話が全くの嘘やデタラメだったとしても、ここに書かれている内容は科学的に考えれば理解できることだと思います。
創造主という存在が実在してもしなくても生物学的に正確なことに思えるし、この内容は宗教的でなく論理的で、信じるとか信じないというものではなくただの事実のように思えます。

人間を創造した創造主たちの惑星の科学は、地球より2万5千年進んでいるそうです。
ですから科学もその分先を行っています。
その中で創造主の惑星では、自分たちと同じ形態の生命を創造する技術もあるというだけです。

そしてそういった技術は、私たち地球の人類もいずれ到達できる可能性があるものなのです。
ただ、そのためにはまだ乗り越えなくてはならないことがあります。
それが宇宙の中での進歩です。
その進歩とはスピリチュアル的で曖昧なものではなく、宇宙の科学できちんと測定できるものだと思います。
計りや天秤で測れるくらい正確な単位のようなものがあるかもしれません。

そしてきっとその進歩のためには現在まで続いている、物質的なことに価値が置かれる物質文明が必要だったのです。
つまり、この物質文明は人間から自然に始まったものではなく、創造主や宇宙文明からもたらされたものだと考えられます。

この中で人類の進歩を妊娠した女性に喩えていることから、人類の進歩のために物質文明を与えたことは、人間の妊娠と同じことなのではないでしょうか。
女性が妊娠するには男性が必要です。
同じように、進歩のための物質文明とは男性の役割があるのです。

ということはそれまでの人類は女性にたとえられ、物質文明が与えられた人類は妊娠した女性にたとえられ、出産したあとはまた女性にたとえられるということです。

妊娠は一生続くものではなく、子供が生まれたら終わります。
同じように、物質文明も人類の進歩に一区切りがついたら終わるのかも知れません。

物質文明は進歩する人間に必要だった

人類の進歩のために与えられたものの一つが人間に与えられた知恵です。
しかし知恵は聖書などでは悪とされているものです。

創造主はなぜ悪とされるものを人間に与えたのでしょう。
私にその真意はわかるはずがありませんが、悪というのは一つの面であり、正しい使い方ができるならとても便利なものなのです。

悪といわれる知恵を人間に与えた理由は、創造主と宇宙文明による国譲りや虹の契約の前の交渉にあるのかもしれません。
科学を知ってしまった人類は本当ならもう一度滅ぼされるはずだったのですが、科学を知った人類のもう一つの道として、自らの力で物質的な文明を発展させ、その上で精神の進歩をして宇宙文明に入り、人類が創造主の後継者になることが提案されたのです。

全ての人類を滅ぼすのは簡単ですが、創造した人間の中には優れた人もたくさんいるため、その人々まで滅ぼしてしまうよりも、良い人間を創造主たちの後継者として受け継がせる方がより愛があるからです。
ですから最終的には良い人間たちで新しい世界を作ることが目的です。

新しい世界を作っていくための人間を選ぶ方法が、サタンの提案である人間の欲を刺激するものなのだと思います。
そのために人間に与えられたもう一つのものがサタンによる悪魔の罠です。
その時から、この世界にはサタンによる人間の欲を刺激する罠が張り巡らされた世界が出来上がったのです。
正確にはサタンは人間の欲を少し刺激しただけであって、欲を刺激された人間からこの世界が作られていったのです。

知恵と悪魔の罠は恐らく別に人間に与えられたものですが、この二つの相乗効果によってこの世界の物質文明は発展してきたのだと思います。
知恵と悪魔の罠が無ければ文明は今もまだこんなに発展できていなかったでしょう。

知恵は文明の発展に役に立ち、さらに悪魔の罠は欲を刺激された人間が競争をして文明の発展の速度を早めるのに役に立ったと思います。
しかし、現在の世界の物質文明はもう一区切りがついているのかもしれません。
前回も書いたように、今の時代はネットやデジタルが普及しているため、物質に縛られなくなってきているからです。

そして悪魔の罠にはもう一つの役割として、人間の悪い部分をあぶり出すというものがあります。

この世界が終わって新しい世界が作られるときには最後の審判といわれる何かが起こりますが、そのときにはこの人間の悪い部分と良い部分が測りにかけられるように正確に測定される可能性があります。

ただし測定するのは私たち自分自身です。
これが最後のときには自然に起こるのではないかと思っています。
その仕組みは物質文明が与えられた虹の契約のときで国譲りのときにすでに出来上がっていたのかもしれません。

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