悪魔崇拝は実在する Vol.203

聖書

支配層の後ろにいる存在は人間ではなくサタンです。
ですから、最近よく噂されている有名人が悪魔崇拝をしているというのは全くのデタラメでもないと思います。
なぜなら有名人とは支配層を隠したり人々を洗脳するための存在だからです。
とはいえ、有名人がすべて悪魔崇拝をしているというのは乱暴な気がします。
少なくとも悪魔崇拝のためのシンボルやサインを使っていることが一つの目印です。

悪魔崇拝のための生贄を集める方法

悪魔崇拝とは悪魔を神として崇拝することです。
なぜ悪魔を崇拝するのかというと、悪魔といわれるサタンは人間の欲による願いを叶えてくれるからです。
つまり悪魔崇拝とは自分の欲を満たしたい人がするものです。
それも普通ではなかなか叶わないような願いを叶えたいときです。

この悪魔崇拝の方法の一つに人間の命を捧げて犠牲にするというものがあります。
しかし人間の命を捧げるには犠牲になる人間が必要だし、生贄を捧げるための儀式をする場所も必要です。
それに他の人間たちには絶対に見つからないようにしなければなりません。
そうなると秘密の地下施設のような場所が必要ですので、余程の大物や支配層の上位に位置する人にしかできないと思います。
いかにもというような場所では見つかりやすいため、どこにでもある普通の施設や建物の地下などに専用の場所を作る必要があります。
または、人々が自らすすんで行きたくなるような楽しい場所に作れば簡単に人を集めることができます。

ただ、かなり大きな規模でみんながグルにならないと施設の秘密がバレてしまうので、世界中のいたる所や機関、組織の中に悪魔崇拝者の仲間がいると考えられます。
そうすればもしもどこかで悪魔崇拝の証拠が見つかったとしても、簡単にもみ消すことができるからです。

悪魔崇拝についてのことは仲間同士でお互いに秘密を守る誓いなどをしており、もしも部外者に話したり知られてしまうことになると命を狙われたりする場合もあるかもしれません。
ちなみに悪魔やサタンが人間を殺すことはありません。
もしも秘密を話した人が殺されるとすれば、殺すのは人間です。
それくらい悪魔崇拝の存在は絶対に秘密なのです。

なぜ絶対に見つからないようにするのかというと、もしも悪魔崇拝のために生贄の人間が必要だと多くの人に知られたら、この世界のさまざまな罠にかかる人が少なくなってしまうからです。
隠れて誘拐したり人身売買をするには、一見すると普通のことや楽しいことをしているように見せて騙して人を連れて来なければいけません。
そういった罠にかかる人が少なくなったら困るのです。

このような人身売買には有名人が関わっているという噂もあります。
それが本当だとしたら、有名人を利用する理由はやはり人々を信用させて騙して連れてくるためでしょう。
有名人というだけで、普通の人々は信用してしまう傾向がありますから。

また、有名人は恐らく支配層など悪魔崇拝をしている人たちの末端あたりに位置する人たちなので、その意味を本当に理解してシンボルやサインを使っているわけではないと思います。
だから悪魔崇拝者ではないということではありません。
シンボルやサインには本当に悪魔崇拝の意味が込められていて、実際に何かの効果もあるでしょう。
そういったシンボルやサインを使っているなら悪魔崇拝をしているのと同じです。
ただ、悪魔崇拝やサタンについての詳しい関係性は知らず、その効果だけを知っていてサインを使っている人が多いのだと思います。

悪魔崇拝のシンボルやサインに何かの効果があるとすれば、人間の欲を叶えることでしょう。
たとえばこの世界で成功できることや、一つの願いを叶えることなどです。
それらは人間の魂が成長できることや精神の進歩などとは一切の関わりがないものです。

もしも、悪魔崇拝をしたとしても目標を達成することで精神が進歩できるというなら、その願いや目標を達成するために裏技的な悪魔崇拝をせずに頑張る方が何倍も進歩できます。
悪魔崇拝はいわば反則的なことですから。
反則をしても目標を達成することが大事なら、それはもうただ結果だけが重要で、そこに辿り着くまでの過程はどうでもいいということになります。
現在のサタンの支配する世界は物質主義ですからそれでも満足できるかもしれませんが、魂の成長という視点で見ると何も成長できていない恐れがあります。
むしろ悪魔崇拝をしたことで後退しているかもしれません。

悪魔崇拝のしくみ

悪魔崇拝の具体的な方法は詳しくはわかりませんが、最初に書いたようにシンボルやサインを使ったり、儀式をして生贄を捧げたりすることです。
それは人間が考えたことではなく、サタンが人間に伝授した宇宙のテクノロジーだと思います。

これは私のただの予想ですが、普通に願い事を心で思うことでも引き寄せの法則のようにその目標に少し近づくと思うのですが、その願いを叶えるために何かを捧げるともっと叶いやすくなるのだと思います。
なぜなのかはわかりませんが、これが宇宙の法則なのでしょう。
神社でのお賽銭はその一つの方法になっているのです。

もしかすると、神社が作られるときにすでに生贄として何かが供えられている可能性もあります。

では神社での願い事も悪魔崇拝になるのかと気になるかもしれませんが、悪魔崇拝の定義がよくわからないのでなんともいえません。
しかしその仕組みはほとんど同じだと思います。
この仕組み自体は自然の法則を利用した技術の一つなのです。
サタンは人間のエゴや攻撃性を危険視して警戒しているので、人間が自分の願いを叶えるためだけに何かを犠牲にすることは全て悪魔崇拝といえるのかもしれません。

そのもっと上級の方法が生き物の命を捧げる生贄をするとか、生贄の代わりに自分の命の寿命を捧げることなのです。

生贄が宇宙の法則に則っているわけがないと思うかもしれませんが、この宇宙を司る自然の法則に善悪はありません。
ただ原因と結果があるだけです。

木をこすり合わせると火を起こせるのは自然の法則です。
その火が他の木に燃え移ると山火事になってしまうから、自然には燃え移らないはずだとはなりませんよね。
やっぱり自然の法則が働いて燃え移ることもあります。
そこに善悪の判断はありません。

ここに人間の良心を入れたなら、火を起こすときに山火事にならないように他の木が近くにない場所で火を起こすなど気をつけますね。

同じように生贄を捧げると願いが叶いやすくなるのが自然の法則なのだと思います。
しかし良心があれば、自分の願いを叶えるために他の命を犠牲にすることはしないと思います。

イエスが救世主として十字架にかけられたことが生贄にたとえられることもあります。
悪魔崇拝の生贄とイエスの犠牲はどちらも同じ自然の法則を利用した願望成就の方法なのです。
しかしその方法を実践する人の心は全く正反対だといえます。

悪魔崇拝者は自分の願いのために他の命を犠牲にし、イエスは全ての人類のために自分の命を犠牲にしました。

関連:キリストの復活の真実。キリストは現代の人々のために犠牲になった Vol.32

普通なら願いを叶えたい本人がそのための色々な努力をするのが自然の流れですが、その過程を飛ばして願いを叶えるためには、この世界の通常の流れをどこかで無理やり変える必要があります。
その方法の一つが生贄を捧げることなのでしょう。

本当に生贄を捧げるなんていうことが行われているのかどうかは、実際に自分の目で見たわけではないのでわかりません。
しかし悪魔崇拝の噂には必ず出てくるし、聖書でアブラハムに生贄を捧げさせようとした神は、アブラハムを試すために生贄の真似をさせようとしたので、この世にはこのエピソードの元になる生贄を捧げる行為が本当に存在しているのだと思います。

ちなみにアブラハムに生贄を捧げさせようとした「神」は宇宙文明の存在で、生贄は良くないことだとしていましたが、敢えてアブラハムに自分の息子のイサクを生贄として捧げるように命じてもきちんと「神」に従うかどうかを試しました。

この真意は、神の計画の意味がその時点では理解できなくても、人間の自分の感情や事情を優先せず忠実に従うことが、これからのこの世界を導いていくには必要な人間の要素だったからです。

結局、アブラハムがまさに息子のイサクの首にナイフを挿す直前に「神」に止められ、息子を生贄にはしませんでした。
代わりに近くの藪に角が引っかかっていた羊を捧げ、アブラハムは神の求める行動をしたので祝福されました。

生贄のような反則的な手段を使うことにはもちろん代償が伴うと思います。

生贄や悪魔崇拝のサインやシンボルを使うことで願いが叶うとしたら、その時点で願いが叶うように自分の周りの自然の法則の流れが変わるので、通常だったら起こることが起こらなかったり、反対に何かが起こるようになるかもしれません。

生贄は生き物の命を奪いますが、特に人間を生贄にすることには特別な効果があるのかもしれません。
そのことと引き換えに代償といえることがすぐには何も起こらなかったとしても、良心に逆らっているので自分の心や魂には少なからず何らかのダメージがあると思います。

そのことが現実の生活には反映されなくても、普通の人間ならいつかそれが心に重くのしかかってくると思います。

悪魔崇拝のまとめ

この記事に書いてあることは特別な隠されている情報などではなく、誰でも調べれば得られる情報です。
そして悪魔崇拝は存在します。
その理由はサタンが存在しているからです。

悪魔崇拝が本当に効果があるのも事実でしょう。
だからといって実行するかどうかは自分次第です。
その結果どうなるかも全て自分の責任です。

悪魔崇拝を人間に教えたサタンの本当の目的を知らずに悪魔崇拝をしている人がほとんどだと思います。
次回はサタンの人間に対する本当の目的について書いてみたいと思います。

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