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獣に殺されるふたりの証人と聖なる都を42か月踏みにじる異邦人 Vol.194

投稿日:2021-09-09 更新日:

以前、この世界が終わる前に獣の支配する42か月があるかもしれないと書きました。

関連記事:獣が支配する42ヶ月はこれから起こるかもしれない Vol.145

これは「ヨハネの黙示録」に書かれていることです。

13:5この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。
(「ヨハネの黙示録」13章5節より)

正確には獣が活動する42か月でした。

聖書では期間をたとえで書いていることがあるのでこれもたとえかもしれません。
たとえば創世記の1日は地球の2000年でしたから。
ですが、「ヨハネの黙示録」では同じ頃にふたりの証人が1260日の間預言をするとも書かれています。
1260日は42か月で3年半ですから、やはり42か月はそのまま42か月である可能性が高いです。

獣が活動する期間は現在の世界のことのような気がしますが、この世界は42か月どころではなくずっと続いてきましたから、この世界のことではないでしょう。

ですのでその期間は現時点ではまだ来ていないと思います。
しかし現在話題になっているQによる作戦が本当だとすれば、支配者たちによる長かったこの世界の支配の終わりが近いと思えるので、もしかすると間もなく来る可能性が高いです。

この世界の支配の終わりが来たときは誰もが知ることになると思います。
このことを知っていてずっと待っていた人々にとっては待ちに待った喜びのときであり、何も知らなかった人々にとっては驚きや恐怖で始まる時代かもしれません。

ところで現在の支配が終わった世界が実現したらそれが待ちに待った地球の新しい文明世界だと考える人がいるかもしれませんが、その世界はまだこの世界の続きである可能性が高いと私は思っています。
つまりその世界が獣の活動する期間であり、これまでの世界とは大きく変わりますがまだ新しい文明世界ではないのです。

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獣に殺されるふたりの証人


以前こちらで書いたのですが、「ヨハネの黙示録」には獣の活動する期間の前にふたりの証人が預言をするとあります。

関連記事:世界が終わる前に起きるかもしれないこと Vol.190

その期間は1260日です。
1260日は42か月になり獣が活動する期間と同じであるため、私はこれらの事は同時に起こると思いこんでいましたが、「ヨハネの黙示録」をよく読むとそうではなさそうでした。
勉強不足ですみません。

11:7そして、彼らがそのあかしを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。 11:8彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている大いなる都の大通りにさらされる。彼らの主も、この都で十字架につけられたのである。
(「ヨハネの黙示録」11章7節~8節より)

1260日の間預言をした後、ふたりの証人はその後に登場する獣によって殺されると書かれています。

「彼らがそのあかしを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。」とあるので、ふたりの証人を殺す獣が42か月活動する獣と同じだとすれば、二つの時期は連続しているようです。

このふたりの証人とは本当の二人の人間ではなく、二つの勢力や世の中の2極化された世界というような正反対の何かを象徴しているのではないかと以前に書きました。

関連記事:悪魔の終わりのときの光と闇の目的は同じかもしれない Vol.184

何かのたとえだとしても抽象的でわかりにくいものではなく、恐らく誰もが認識できる存在なのだと思います。

「ヨハネの黙示録」にはふたりの証人の説明?もあります。

11:4彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台である。
(「ヨハネの黙示録」11章4節より)

……よくわかりませんが、やっぱりただの人ではないでしょう。

「地球人は科学的に創造された」によると、宇宙船または宇宙船と連絡をとる装置のことを聖書では燭台と書いてあると書いてあるので、宇宙文明が直接関係するものかもしれません。

彼は、黄金に輝く7つの宇宙船を見たのです。それが要するに「7つの金の燭台」です。
(「地球人は科学的に創造された」p279より)

7 本の管を持つ燭台(訳注:『ゼカリヤ書』4 章2 節を参照)というのは、現在ではその意味が分からなくなっていますが、もともとは創造者たちの司令部にあった、7 つの表示灯を持つ中央装置のことで、これによって、他の基地や地球を周回する惑星間宇宙船と、連絡が取れるようになっていました。
(「地球人は科学的に創造された」p60より)

これは「ふたりの証人」の説明としての「燭台」のことではありませんから違うかもしれませんが、それでもその時代のヨハネがたとえて書いたものですから、何か創造主や宇宙文明に関係するものである可能性はあります。

そしてこの「ふたり」はこの地球の科学を超えた能力を備えていて、誰もその預言を邪魔することはできないようになっているようです。

11:5もし彼らに害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。もし彼らに害を加えようとする者があれば、その者はこのように殺されねばならない。 11:6預言をしている期間、彼らは、天を閉じて雨を降らせないようにする力を持っている。さらにまた、水を血に変え、何度でも思うままに、あらゆる災害で地を打つ力を持っている。
(「ヨハネの黙示録」11章5節~6節より)

もしかすると「ふたりの証人」が現れるときとは、誰もが宇宙文明が遣わした宇宙船のようなものを直接見ることになるときかもしれません。

しかしそれはまだ公式なコンタクトではなく、人々に宇宙文明の存在を理解させるためのものです。

ところで「ふたりの証人」が預言をするということは、二つの立場のどちらからも何かの形で宇宙文明からのメッセージを3年半の期間人々に伝えられるのでしょう。

預言をするというと人が言葉で伝えるイメージがあります。
多分人間が預言として伝えるものもあると思いますが、きっとそれだけではなく様々な方法で知らず知らずのうちに伝えられるものも沢山あるのです。
これらの色々な預言は、きっと邪魔が入ったとしても宇宙文明から守られながら続けられるのかもしれません。

そのメッセージを見たり聞いたりして理解する人もいるし、全く理解しない人もいると思います。
全員が理解しなければいけないというものではないためそれでいいのですが、気づいた人は新しい地球の世界や宇宙文明の存在を知ることになるでしょう。

3年半の間預言したのちふたりの証人は獣に殺され、そのことを人々は喜びます。

11:9いろいろな民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめるが、その死体を墓に納めることは許さない。 11:10地に住む人々は、彼らのことで喜び楽しみ、互に贈り物をしあう。このふたりの預言者は、地に住む者たちを悩ましたからである。
(「ヨハネの黙示録」11章9節・10節より)

ふたりの証人が殺されるということも恐らく何かのたとえですが、二人は「地に住む者たちを悩ました」とあるので、この物質文明の世界で楽しく生きている人々にとっては厄介な存在だったのだと思います。
だから人々はふたりの証人が死んだことを喜んでいます。

この物質文明の世界で楽しく生きるというのは、この世界の価値観の中で充実した生活を送ることだといえます。
例えばお金持ちであるとか権力があるとか、誰かと比べて幸せかどうかとかです。

これから実現する新しい世界は、この物質文明で充実した生活をしている人にとっては、まるでその持っているものを否定されているようで受け入れられないという人もいるでしょう。

そういったものを否定するような新しい価値観が出てくれば、その人々はできるだけそれを潰そうとすると思います。
そうしないとこれまで努力して手に入れた幸せに価値が無くなってしまうからです。

つまりふたりの証人とは、両極的な立場からこの物質文明の価値の無意味さを広めるもので、ふたりの証人を殺す獣とは、この物質文明が続くことを求める人々の欲や執着から出た考えや新しい仕組みを表すのかもしれません。

聖書での「獣」とは、「地球人は科学的に創造された」によれば1945年以降の攻撃的な心をもったままの、欲やエゴが強い人間のことです。
その年には人間が初めて核を攻撃に使用したからです。
攻撃的な心を持ったまま科学技術が進歩することは危険なのです。

そして「獣の刻印」は、この時代の人々の中で地球の新しい世界を受け入れようとしない人々が受ける何かです。
獣の刻印を受けるような人々は新しい地球の世界のことを聞いたとしても理解することはないし、新しい価値観も受け入れないと思います。

この事が「獣」が「ふたりの証人」を殺すという事なのかもしれません。

そして3日半ののち、ふたりの証人は生き返り、天に昇っていきます。

11:11三日半の後、いのちの息が、神から出て彼らの中にはいり、そして、彼らが立ち上がったので、それを見た人々は非常な恐怖に襲われた。
(「ヨハネの黙示録」11章11節より)

龍が追いかける男子を産んだ女

ふたりの証人が預言する1260日と獣の活動する42か月はどちらも3年半ですから、これらを合わせると7年です。

この他に期間について書かれている箇所は男子を産んだ女が養われる期間の1260日ですが、この期間はこれらが起こっている7年間の間に養われるのか、また別なのかはよくわかりません。

12:5女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。 12:6女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。
(「ヨハネの黙示録」12章5節・6節より)

以前に女が産んだ男の子とは新しい地球の世界のことではないかと書きました。
男の子は「すべての国民を治めるべき者」とあるので、新しい世界を引っ張っていく存在や人々の集まりで、「女」とは地球が新しい世界に変わるための準備をする人々や思想かもしれません。

12:13龍は、自分が地上に投げ落されたと知ると、男子を産んだ女を追いかけた。 12:14しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。 12:15へびは女の後に水を川のように、口から吐き出して、女をおし流そうとした。 12:16しかし、地は女を助けた。すなわち、地はその口を開いて、龍が口から吐き出した川を飲みほした。12:17龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。
(「ヨハネの黙示録」12章13節~17節より)

龍とはサタンのことですが、サタンが人間の欲やエゴを引き出すために人間に仕掛けた罠のこととも捉えられます。
サタンが怒りを発しているので、人間の欲を刺激するものと敵対したり邪魔をするものが「女」だとも考えられます。

ですので「女」は人々にとっての新しい地球の世界に移行するきっかけになるものだと思います。
例えばこれまで物質文明で生きてきた人々が、その経験によって宇宙の基本の法則である愛に気づき、新しい世界へと向かうきっかけになる考えや存在です。

その女が1260日の間荒野で養われるというのは、新しい地球の世界になる準備はされていても、まだ3年半はこの物質文明が続くとも考えられます。

それはサタンの罠にかかってこの世界に執着している人々の抵抗が大きいからではありません。
これも神の計画の一部だからです。

そしてこの箇所では女は「一年、二年、また、半年の間」養われるとあります。
つまり二年半です。
三年半養われる予定だったのに一年減っていることには何か意味があるのかもしれません。

獣の活動とは

以前に書いたように、これまでの支配された世界では多くの人は生きるのに精一杯で自由に生きることが難しかったため、支配者による支配が終わってからが本当の私たち一人一人の進歩が試されるときになると思います。

それが獣の活動する42か月の始まりです。

支配がなくなった世界ならば、なぜそこから獣の活動する42か月が始まるのでしょうか。
獣というと新たな支配者が現れるようにも聞こえますが、私はそうではないと思います。

先に書いたように獣とはこの時代の人間のことです。

大きな支配がなくなっても、始めのうちは多くの人にとって普段の生活はそれほど急激には変わらないと思いますが、もし経済的な心配がなくなるとしたらそれだけで大きな変化です。
生きるために仕事に縛られていた多くの人々が自由になるからです。
それはこの物質文明で生きる人たちにとっては恐らく初めてのことです。

自由になるとはいっても、当たり前ですが法律を侵したり何をしてもいいということではありません。

世界が支配から解放されるのは、人間が精神的に進歩してきたからこそ実現できることですので、人としてしていいことと悪いことを踏まえた上でのことです。
そうでなければただ原始時代に戻ってしまうだけですから。
ですので、これまでの支配があったからこそ人類はここまで進歩し、目覚めることができたのだとも考えることができます。

そして人々が自由に生きる世界が実現したとすると、最初は支配がなくなったことを喜び感動すると思いますが、だんだんその生活が当たり前になっていきます。
すると、多くの人々は欲しいものをどんどん手に入れたり、好きなことだけをするようになるでしょう。

好きなことをするのは悪いことではないし、それがしたくても今までは制限されていてやっと自由になったのだから好きなだけすればいいと思います。
もしも自由になった世界で人々の欲を刺激するような何かが現れたら、多くの人が喜んで飛びつくのではないかと思います。
そうなったとき、人間というのはどうしても欲に支配されやすい性質があるので、自分の欲を満たすことだけに夢中になると他の人への思いやりが小さくなってしまいます。

聖書に書かれている「獣」とは特定の誰かではなく、科学が進歩した現代で生きる攻撃的な心を持ったままの人間のことです。

関連記事:獣の数字の666の本当の意味と獣の刻印 Vol.19

支配者による支配がなくなり自滅の恐れもほぼなくなった世界で、人々は真の意味で自由に生きることができるようになります。
つまり獣の活動する42か月とは、これから始まる自由になった私たちの世界を表しているのだと思います。

大切なのは、この獣が活動する前に「ふたりの証人」が1260日のあいだ預言をしたということです。

聖なる都を異邦人が踏みにじる

聖書では聖所の外にいる人を「異邦人」と書いています。

11:1それから、わたしはつえのような測りざおを与えられて、こう命じられた、「さあ立って、神の聖所と祭壇と、そこで礼拝している人々とを、測りなさい。
11:2聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。
(「ヨハネの黙示録」11章1~2節より)

異邦人というと同じ国の人ではないし、言葉もなかなか通じない人という感じがします。
ちなみに異邦人でない人のことは「神の聖所と祭壇と、そこで礼拝している人々」とあります。
これは創造主を知り、イエスを創造主の子と信じてその思いを実行する人で、恐らく洗礼までした人のことです。
洗礼をするということは、信じる心と行動が伴っているということであり、さらにその行いが宇宙文明から認められれば新しい世界に住むことを約束されることになります。
ですのでそれ以外の人を異邦人と呼んでいるのです。

これはまるで宗教のようだと捉える方もいると思いますが、このことは人類がノアの大洪水以降に決められた計画のことで、この地球の進歩に合わせて創造主や宇宙文明の中で決まっていたことなのです。
その真実を理解して計画が成就するために実行すると約束した人と、何も知らずに生きている人の違いです。

この世界でこのようなことを知る人はごく限られた人のようで不公平のように感じるかもしれませんが、その限られた人は自分で気づいたからこそ辿り着いたのです。
何も考えずボーっと生きていたり、この支配された世界に何の疑問も持たずに思考停止したまま生きていては、たとえ親切に教えてもらえたとしても理解できないでしょう。

そして何も知らずに生きる人々は「四十二か月の間この聖なる都を踏みにじる」のです。
「聖なる都」とは、これまでの解釈でいえば支配者による支配がなくなった、新しい世界になる予定のこの地球のことです。

なぜ今までも住んでいた地球が「聖なる都」なのかというと、この場所に新しい文明世界を作るからです。
そして支配がなくなった地球では、精神の進歩をすることも愛に従って生きることもできるからではないかと思います。

恐らくこの時は「ふたりの証人」が預言をするので、新しい世界について何も知らない人はおらず、知っても理解しない人になると思います。

そこで創造主の計画を知ったとしても好きなように生きることが「聖なる都を踏みにじる」ということなのでしょう。
「そこは異邦人に与えられた所だから」、42か月は何をしようと自由なのです。

いつまで経っても、どんなに準備するように説得しても全く見向きもしない人もいるでしょう。
そういった人はそのときを精一杯楽しんでいるだけで、気づくときは気づくのでそのまま自由にしておいてあげてください。

獣の刻印を受けないとその世界で自由に行動できないのなら、喜んで受ける人もたくさんいるでしょう。
そして獣の刻印を受けない人は自由に生きられなくなるため、とても生きづらい世の中になってしまうかもしれませんが、周りに流されず自分が信じたことを貫くことが大切です。

支配から解放された普通の人々が新しい世界の存在を知っても無視し、その世界に向けて何の準備もすることなく好きなように生きることは許されていることなのです。
それすらも「神の計画」の一部なのですから。

もちろん、今まで何も準備をしなかった人がその世界へ向けて準備をすることができればそれは喜ばしいことです。
それこそが3年半の期間を設けた理由ではないかと思います。
自由な世界で真実を知って目覚め、新しい世界へ行きたいと望む人をできる限り増やすことです。
そのような人はたくさんこれから現れると思います。

この世界では現在、様々な魂のレベルの人がごちゃまぜになって生きています。
見た目ではだいたい同じような年齢の人でも、もしも魂のレベルを見ることができる眼鏡があったら、小さな子供や大人がいるでしょう。
人間としては子供でも、魂のレベルではもう大人の人もいるし、反対に見た目は老人でも魂はまだまだ子供という人もいるのです。

地球の次の文明世界に住むには一定のレベルまで精神が進歩することが条件で、そこまで到達できなかった人はその人に合う別の場所に行くことになります。
魂の進歩についてはまだ私もよくはわかりませんが、簡単に言えば愛を理解してそれを実践して生きたかどうかだと思います。

今回の「ヨハネの黙示録」の私の考察が大きく間違っていなければ、そのときが来るのはこの世界の支配がなくなってから3年半または7年くらいです。
「そのとき」とは、新しい世界に住むかどうかの最終的な決定をする「最後の審判」のことです。

それまでにどう生きるかは本当に自由です。
ですが、このチャンスは長い魂の経験を持った人でもなかなか出会えない貴重な機会のようですから、少しでも新しい世界に興味があるのなら、あと数年ありますから、進歩できるように頑張ってみるといいと思います。
私もできる限りのことをしてみようと思います。

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