悪魔は身近なところに潜んでいる。私たちがするべきこと Vol.26

世の中について

今回も引き続き悪魔について書いていきます。

悪魔といえばサタンといわれます。
私のサタンについての捉え方は、現在一般的に世の中に広まっている悪魔やサタンのイメージとはかなり違うと思います。
180度違う可能性もあります。

しかし一人一人の悪魔の捉え方が違うからといっても、私たちにとってのサタンの存在が変わるわけではありません。
ですのでむしろ、もっとサタンや悪魔について理解する必要があります。

前回までのサタンについての記事はこちらです。
関連記事
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サタンの目的は神様への反逆ではない。人間への嫉妬でもない
悪魔サタンの攻撃の手口とは

この考えの元になっているのは、真実を告げる書(地球人は科学的に創造された)という書籍からです。
こちらは無料でダウンロードしてPDFで読むことができます。

今回は「真実を告げる書」の中の情報と聖書と世の中の現状をもとに、私が考えたことを書いていきます。
ですので、信じるか信じないかはみなさんの自由です。

ではいきます。

超能力や魔術のようなもの

サタンは、聖書の中の時代では主に預言者といわれる人たちの前に現れ、誘惑して罠にはめたり、攻撃したりしました。
そうして人間の創造主への敬愛の心を試したのです。

聖書の時代は預言者がサタンの攻撃の対象でしたが、預言者がいなくなった現代では誰でもその対象になっていると私は考えています。

私がそう思う理由は前回も書きましたが、実際にサタンの攻撃に遭ったという人や、悪魔崇拝をすることによって魔術が使えたという人の動画を見たからです。

もちろん嘘の可能性もありますが、嘘をつくメリットや意味を考えると、やっぱり本当だという可能性が高いと思ったのです。

私が見た動画の魔術のひとつは、種も仕掛けもないようなところで、絶対にありえないような物の浮き方をしているという魔術です。
魔術を使う瞬間、その人の目が何かに乗り移られたように白目のようになります。

他にも、物がスマートフォンを通り抜けるマジックなど、最近のすごいマジックを紹介していました。

それをマジックといわれれば私は信じてしまうので、マジックとして見ても単純にすごいと感じると思います。
しかし、その動画ではその現象を悪魔による力の一つだと紹介していたのです。
タネも仕掛けもあるマジックなんかではなく、悪魔の力だと。

そう言われると、どう考えてもありえないあの現象に納得できます。
結局この世界の人間だけの技術ではできないことだったのです。
だからといって不思議な魔法のようなものではありません。

悪魔やサタンは霊界のような人間は決して行けないような場所にいる霊体などではなく、絶対に逆らえない存在でもない実在する存在なのです。

悪魔の力ということはサタンですから、創造主たちの技術を使っていることになります。
サタンは創造主の惑星の住人ですから。
しかし創造主の惑星の技術とは、たとえ私たちには魔法のようだとしても科学の技術です。
ただとても進んでいるだけです。

だとすれば、今の人間の世界ではありえないと思ってしまう現象だとしても、実現可能だということは考えられます。
なんといっても創造主は、ちりから私たち人間を創ったのですからね。
それが私たちにとってはすごいマジックのようです。

このような力が使える人は、実はこの世界の中にもたくさんいるのではないかと思います。
特にすごいマジシャンや超能力者といわれる人たちです。

でもマギーさんのように、いかにも種も仕掛けもある手品やマジックはちゃんとした伝統芸だと思いますよ。

悪魔の力を借りている

超能力やすごいマジックをする人はみんな悪魔の力を借りているのでしょうか。

もちろんきちんとタネと仕掛けを使ったすごい技術によるマジックをしている人もたくさんいると思います。
しかしどう見ても不思議としか言えないマジックは、そうなのではないかと思っています。

ただ、生まれつきそういう能力を持って生まれた人もいるかもしれませんので、そういう人は多分違います。

私が悪魔の力を借りているのではないかと思うのは、もともとはそういう力を持っていなかった人が使えるようになった場合です。
そういった人たちは、恐らく悪魔崇拝をして悪魔の力を借りています。

なぜなら、悪魔は人間に力を与える代わりに自分を崇拝することを要求するからです。
このことは聖書にも出てきます。

どうやって創造主の惑星の技術を伝授しているのかは私は悪魔を崇拝していないのでわかりませんが、特定の場所に行くとか、ある呪文を唱えるとか、ある記号を書くなど、何かの決まりがあるのでしょう。
そのような不思議な儀式も実は創造主や宇宙の科学なのです。

ところでそんなにサタンは自分を神のように崇拝してもらいたいのでしょうか。
神様に見放されたから神に逆らって反逆するのが目的で?

いいえ、悪魔やサタンの目的は人間を言いなりにさせたいのではありません。
人間の血や肉が欲しいわけでもありません。
そして神に反逆して神になりたいわけでも決してありません。

そんな低レベルで原始的な目的ではありません。
悪魔の代表であるサタンは創造主の同じ惑星の住人です。

悪魔を崇拝するということは、その人は創造主を崇拝しないということになります。
もしくは創造主を忘れています。

サタンは人間のこういう部分を危険視しているのです。
創造主を敬愛していないし、存在すら忘れたり否定しています。

サタンは人間が作られた時から、さらに人間に科学を教えてしまってから、そして現在でもまだ人間を原始的で野蛮で危険な存在だと信じています。

サタンは、自分たちの惑星の科学者たちが創った地球の人間には絶対にそういう部分があるので、できるだけ引き出そうとしています。
そうして惑星政府に人間の危険性を証明したいのです。

それが創造した者の責任でもあると考えているのです。

そのために人間の欲を刺激して誘惑したり、恐怖で脅したりします。
それで人間同士が争い、結果的に滅亡するとしてもいいと考えていると思います。
もしも滅亡するとすれば、それが人間の進歩の結果だからです。

ですから地球の私たち人間にとっての悪魔は、どこまでいっても人間の味方をすることは決してないのです。
しかし人間の前では神のように振舞ったり、甘い言葉で誘惑して味方のふりをするのです。

悪魔崇拝の目的

人間が悪魔を崇拝すれば、自分の欲望を満たすことができるし願いがきっとかないます。
その代わり、一度悪魔を崇拝すると、ずっと崇拝し続けないとその欲望を満たしてくれる力は消えてしまうのではないかと思います。
それが怖くて悪魔崇拝はやめられなくなるのです。

ですので、一度だけの願いより継続させたい願いのほうが危険です。
たとえば名声とか富などです。

もちろん本当に自分の力だけで富や名声を手に入れる人もいます。
しかし、悪魔にお願いをしてその地位や名声を得ている人もいるのではないかと思います。

そういった人の特徴は、その地位や名声を得られるほどの能力があるとは思えないような人が実際にその地位を得ている場合などです。

「欲」を満たすために悪魔は力を貸しますから、あらゆる欲に悪魔はついてまわります。
欲を刺激するのが一番悪魔を崇拝させやすいからです。

そうなると世の中のほとんどのことに悪魔が関わっていることになります。
直接すべてのことに悪魔が関わっているわけではなく、大きな組織などのトップが悪魔崇拝をすることで、そこから作られる世の中の仕組みが悪魔崇拝によるものになります。

とくに華やかなものや人々が憧れるものは、人々の心を奪います。
すると、人間は創造主のことをすっかり忘れていきます。
忘れるというより、現代では初めから教えられることがないのです。
これが悪魔の罠です。

人間の創造主への敬愛や想いを確かめるのもサタンの目的の一つかもしれませんが、一番の目的は人間が創造主にとっての脅威になると考えているので、その証拠をどんどん集めているのです。
脅威になるというのは創造主を忘れているだけではありません。
人間の自分本位な考え方などがそうだと私は思っています。

人間の欲を満たすため

神社などでお願いすることは、ほぼ何かの欲を満たすためですよね。
商売繁盛や試験の合格など。
他にもさまざまなお願いがあります。

それもほぼすべて悪魔崇拝になるのではと思いました。
崇拝とまではいかなくても、悪魔と契約するような感じです。
願いを叶えてもらうためににお賽銭を捧げますから。

以前、RAPTブログで神社は悪魔崇拝だと書いている記事を読みましたが、そのときはピンと来ていませんでした。
でも今なら私も「神社は悪魔崇拝」という言葉は理解できます。
ただ、意味というかその目的の解釈は少し違うかもしれません。

神社は何らかの仕組みで悪魔に願いが伝えられやすい場所になっているのでしょう。
結界というのがその仕組みの一つなのかもしれません。

聖書でも出てきますが、悪魔は自分は神だと偽って人々の前に現れることがあります。
ですから、もしも神社に神様のような存在が現れたり見えたり声が聞こえたときはすべて悪魔や悪霊と考えていいのではないかと思います。

神社にはそもそも意思の疎通ができるような神様はいませんから。
ですので神社ではお願いではなく、日頃の感謝を伝えるだけでいいと思います。

そんなことはない、ちゃんと願いも叶うから、というのは反対意見になりません。
悪魔は人間の欲望などの願いを叶えますから。

しかし神社で願い事をする一般の人々は、まさか自分が悪魔を崇拝しているとは思っていないでしょう。
もちろん神様にお願いしていると思っています。

「神頼み」というのも結局は悪魔にお願いしていることです。

悪魔はいわゆる「悪魔」という姿形をしているわけではありません。
悪魔崇拝をしているという自覚がある人の前にはそういう姿で現れるかもしれませんが、神様にお願いしていると思っている人には、もし姿を現すとしたら神のような天使のような神聖な姿で現れるでしょう。
聖書にもそういう箇所があります。

ですので、神社でお願いごとをするのは悪魔崇拝や悪魔と契約することになります。
その願いが叶うか叶わないかは人それぞれですが、お願いをするということ自体が、悪魔が関わっている可能性はあります。
特に願いが叶ったときは悪魔の力のお蔭かもしれません。

悪魔がかなえる願いは人間の欲を満たすものですが、欲が満たされると満足できるかというと、一時的には満足できますがずっとは続かないでしょう。
そうして一度願いが叶うとますます欲が出てきて、どんどんはまってしまいます。

ですので自分の欲を満たすことでは、結果的に人間は何も得られないのです。

神社ほどは願いが伝わりやすくはないと思いますが、欲を満たすための願い事をすることはすべて悪魔崇拝や悪魔との契約になるのかもしれません。

何かをお願いすることは、だいたい必要以上の欲望を満たすための場合が多いからです。

軽い気持ちで神様に何かをお願いするだけで、悪魔が寄ってくるかもしれませんから、神頼みのようなことはしないほうがいいでしょう。

私は欲が全て悪いとは思いません。
この世界で生きていくためには何も無かったら無理です。
基本的な欲は生きるために必要です。
創造主もそのために人間が欲を持つように作ったのだと思います。

神頼みではなく、自分自身の努力で願いを叶えるなら悪魔は寄っては来ないでしょう。
しかし、注意しないといけないのは必要以上に欲しがらないことです。
生きる為の欲以上のものは欲望になり、どんどん欲しくなるからです。

本当に人間が必要な願いは、悪魔では叶いません。
すべては聖書などで創造主が教えてくれています。

今本当に必要なものを知り、必要最低限の物を持てば十分なのです。

引き寄せも悪魔崇拝か?

願い事をかなえる方法で、最近流行している「引き寄せ」などもあります。
引き寄せは自分の欲を満たす状態になれるように意識することです。

「こうなりたい」「あれが欲しい」というものを、すでに叶ったと思い込むようにします。
それ自体は悪魔崇拝ではないでしょう。
無意識に思っていたことが現実として引き寄せられる場合も悪魔崇拝ではないと思います。

しかし、そうやって意識的にそう思い込むようにする目的は、自分の欲を満たすためですよね。
それがうまく思い込めないと、お願いになってしまう可能性があります。
するとそれが悪魔崇拝になってしまうのです。

ですから、意識して願望が叶ったと思い込むという行為をする引き寄せも、少し間違えると危険だと思います。

悪魔崇拝のまとめ

悪魔崇拝とは、悪魔を神様だと思って崇拝するというものです。
悪魔とわかって崇拝する場合と、神様だと思って崇拝する場合があります。

その結果、人間は創造主を忘れ、悪魔や偶像や架空の神様を崇拝してしまいます。

悪魔を作っているサタンの目的は、人間の創造主への敬愛の心や両親を愛する気持ちが無いことを確かめることや、自分の欲に溺れることで危険で野蛮な存在であると創造主に証明することです。
このことは創造主もサタンに任せていることですから、この現在の世の中の悪魔崇拝の仕組みは創造主も認めているのでしょう。

しかしそれはこの世界が新しい世界になるまでという期限があります。
新しい世界にはこの悪魔のシステムはないので、欲に支配されることも自分本位に行動することもなくなります。

それは、言い換えれば欲を持ち過ぎたり自分本位な行動や考えを続けたままでは、地球の新しい世界には住むことが難しいということになります。

私たちは欲を満たすことはもう十分にしており、その結果の無意味さも多くの人が分かり始めています。

私たちに大切なことは、自分の欲を満たすことより、今出来ることを精一杯することです。
自分が今出来ることを理解するには、まずなぜ自分がここにいるのかを理解することが大切です。

その上で、創造主にこの生きている世界で何か困ったことやお願いをしたい場合、その正しい方法があります。
そのときは架空の神様ではなく本当の創造主のことを知り、敬愛していることが大切です。

その方法は聖書にもはっきりと書いてあります。

そうして創造してくれたことに感謝をし、さらに次につなげていくことが私たちのするべきことなのです。

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