やりすぎ都市伝説のイスラエルの回を復習してみる Vol.146

キリスト

やりすぎ都市伝説の2012年4月に放送されたイスラエルの回について。
この放送はかなり重要な回なのではないかと私は思うので、備忘録として書いておきます。

今回は放送の内容を詳しく紹介するというより、その内容についての私なりの考えを加えて書いてみたいと思います。

やりすぎで伝える事実に注目

やりすぎ都市伝説とは都市伝説という本当なのか嘘なのかわからないこと、という前提で作られていますから、番組の内容をそのまま真実だと捉えることはおすすめしません。

ですが関氏は実際に現地に行って本物を見たり、当事者といえる人やそれに近い人に会って話を聞いたことを伝えています。
それはつまりその映像には事実を伝えている部分が必ずあるということです。

これまでに世の中で噂や都市伝説として伝わっていたようなことはたくさんあったと思います。
その噂や都市伝説に関するものを実際に取材することで、今存在している事実が見えます。

取材したことに対して関氏が話すことは関氏なりの考察になりますが、大切なのはヒントになる事実があるということです。

それが真実を表しているとは限りませんが、少なくとも動かない事実がそこにはあります。
その事実を取材してカメラに収めて視聴者に見せることに大きな意味があると思います。

カメラに写るものを捏造して放送することもできますが、「やりすぎ」で紹介する関氏の映像は実際に誰でも現地に行けば確認できるものばかりですから、捏造してもすぐにバレるでしょう。

それを見た人がどう捉えるかは人それぞれですが、これまで歴史の中で曖昧だったことについての部分的な証拠を見ることはできます。

では、ここからは2012年4月に「やりすぎ都市伝説」で放送されたイスラエルの回について書いていきます。

関氏はイスラエルがユダヤ教とキリスト教とイスラム教の三つの宗教の聖地だと紹介します。
この三つの宗教の聖地が同じ場所であることには意味があると思います。

日ユ同祖論

ユダヤ人が多く暮らすエルサレムの旧市街のヘロデ門には、日本の皇室の紋章ととても似ている16菊家紋が刻まれています。

菊家紋は日本ではパスポートにも描かれているように国の紋章としても扱われています。

なぜイスラエルと遠く離れた日本に同じ紋章があるのでしょう。

また、イスラエルの国旗にも描かれている六芒星もエルサレム旧市街にあります。
六芒星はダビデの星ともいわれ、ユダヤ教のシンボルでもあります。
そしてこの六芒星は実はフリーメイソンの紋章としても使われています。

以前にも書きましたが、この六芒星と16菊家紋が一緒に刻まれている場所が日本にもあるのです。
それは伊勢神宮です。

関連記事:六芒星とダビデの星と籠目紋の繋がりとシンボルの意味 Vol.71

伊勢神宮とは日本の最高神といわれる天照大御神を祀る宮です。
三種の神器の一つである八咫鏡が御神体として内宮に泰安されています。

その伊勢神宮に六芒星と16菊家紋が刻まれているということは、この二つの紋章は天照大御神と関係があるのかもしれません。
そして二つのシンボルがイスラエルにも存在していることで、天照大御神がイスラエルとも無関係ではないとも考えられます。

天照大御神については以前にこちらの記事で書きました。

関連記事:
天照大御神の本当の力とは Vol.124
天照大御神の正体 Vol.138

日本語とヘブライ語

また、日本語とヘブライ語にも似ている部分があります。
たとえば日本語の「あなた」はヘブライ語で「アンタ」です。
他にも「明らかになる」は「バレル」、「話す」は「ダベル」など。
遠く離れた二つの国の言葉が似ているのは不思議です。

三種の神器と神の宮

日本の三種の神器は八咫鏡と八尺瓊勾玉と草薙の剣ですが、同じようにイスラエルにも三種の神器があります。
それは十戒の書かれた2枚の石板とマナの壺とアロンの杖です。

その石板が入っていたといわれる契約の箱の形は、日本のお祭りで担ぐお神輿と似ています。

そして日本の神社でお参りするときの手水舎と似たものがイスラエルにもあります。

イスラエルでは旧約聖書の時代の神の宮として建てられた幕屋の構造が神社と似ていて、幕屋に入る前に洗盤の水で手足を洗うという決まりがありました。

日本紙幣

日本の千円札の野口英世の顔が右側と左側で違っているのは都市伝説では有名です。
この向かって右側の顔はユダヤ系の顔に見え、千円札を透かして見るとそのユダヤ系の顔の左目がちょうど裏側の富士山の真ん中に重なり、ピラミッドに目のプロビデンスの目に見えます。

また、二千円札には平安京が描かれています。
平安京をヘブライ語にするとイール・シャローム、つまりエルサレムとなります。
エルサレムにある都市のZION(シオン)はエルサレムの別名であるといわれ、京都の祇園(ぎおん)はシオンを表しているともいわれます。

日本とユダヤが共通する謎の正体

なぜこんなにも日本とイスラエルに共通するものが多いのでしょう。
その理由として考えられているのは、イスラエルの失われた十氏族が日本に渡ってきたからだといわれています。

旧約聖書に記されているイスラエルの十二氏族は、北イスラエル王国の十氏族と南ユダ王国の二氏族に分かれていました。

失われた十氏族とは、紀元前722年にアッシリアによって滅ぼされた北イスラエル王国の十氏族のことです。

その行方は文書などに残されていないため、今でもどこに行ったのかはよくわかっていませんが、その一部の人々が平安時代の頃に日本にたどり着いたといわれています。

イスラエルの人々が本当に日本に来たという確実な証拠はありませんが、日本とユダヤの不思議な共通点をみると、そうなのではないかとも思えます。

もしも本当にはるか昔にイスラエルの人々が日本に来たとすれば、ただ日本を目指してきたというより、元から日本に何かがあり、イスラエルの人々はそこを目指してきたのではないかとも思います。

似ている二つの犠牲

関氏は、失われた十氏族を調査し、日本とユダヤのつながりにも詳しいアミシャブ代表のラビ・アビハイル氏に話を聞きます。
ラビ・アビハイル氏によると、失われた十氏族は1000年以上前に日本にたどり着いたと考えられるそうです。

その根拠の一つにユダヤでは羊を生贄として神殿に捧げる儀式があり、諏訪大社ではシカの首を捧げる御頭祭があることだそうです。

さらに諏訪大社があるのは守屋山で、エルサレムにはモリヤと呼ばれる聖地があります。

モリヤは旧約聖書の創世記22章で、神がアブラハムを試すために息子のイサクを神へ捧げるように告げ、アブラハムがイサクを犠牲にしようとした山です。

息子を犠牲にしようとしただけで、実際にはイサクを縛って祭壇の上で刃物で殺す寸前に、殺してはいけないと神に止められたので殺してはいません。
そのとき、偶然に角がやぶに引っかかって動けなくなった1頭の雄羊がいたのでアブラハムはその羊を神に捧げました。

このエピソードをもとに、日本の守屋山の諏訪大社にも生贄の儀式が伝わっているのかもしれません。

失われた十氏族はイスラエルに戻る

ラビ・アビハイル氏はこう話します。

「この世の終末、メシヤ(救世主)が現れるとき、すなわち新時代が訪れるとき 我々ユダヤの失われた十氏族が、ある人々の導きで再び戻ってくるでしょう。
それは東の果ての海沿いの国、聖書を知らない人々だと伝えられています。
つまり日本人かもしれません。」

関氏はこれを聞いてこう話しました。
「日本という民族が失われた十氏族の末裔をイスラエルに還すことによって、新たな時代が切り開かれていく。
宗教の隔たりを超えて手を取り合っていく時代が求められている。」

ラビ・アビハイル氏のこの言葉は、旧約聖書のエゼキエル書などをもとにしていると考えられます。

37:15主の言葉がわたしに臨んだ、 37:16「人の子よ、あなたは一本の木を取り、その上に『ユダおよびその友であるイスラエルの子孫のために』と書き、また一本の木を取って、その上に『ヨセフおよびその友であるイスラエルの全家のために』と書け。これはエフライムの木である。 37:17あなたはこれらを合わせて、一つの木となせ。これらはあなたの手で一つになる。

(「エゼキエル書」37章15節~17節より)

「ユダおよびその友であるイスラエルの子孫」は現在のイスラエルにあるユダヤの二氏族と考えられます。

また、ヨセフ族から二つに分かれたマナセ族とエフライム族が失われた十氏族に入っていますから、「ヨセフおよびその友であるイスラエルの全家」は失われた十氏族と考えられます。
それが「エフライムの木」なのでしょう。

旧約聖書の「ホセア書」によれば、エフライムはこの世界で富み、とても成功していたようですが、慢心のために神を怒らせます。
エフライムの死後も、その一族は偶像崇拝やバアルを拝み、牛の像に犠牲を捧げさせたりして神を忘れていました。

これらを合わせて一つの木となることは、イスラエルの全ての氏族が一つになるということです。

37:20あなたが文字を書いた木が、彼らの目の前で、あなたの手にあるとき、 37:21あなたは彼らに言え。主なる神は、こう言われる、見よ、わたしはイスラエルの人々を、その行った国々から取り出し、四方から彼らを集めて、その地にみちびき、 37:22その地で彼らを一つの民となしてイスラエルの山々におらせ、ひとりの王が彼ら全体の王となり、彼らは重ねて二つの国民とならず、再び二つの国に分れない。

(「エゼキエル書」37章20節~22節より)

関氏は「宗教の隔たりを超えて手を取り合っていくことが求められている」と言っていますが、つまりイスラエルの十二氏族は現在それぞれ別々の宗教に分かれているということなのだと思います。

その中にはエフライムのように偶像崇拝や悪魔崇拝をしている氏族もあるのですが、これからは全て一つになることが大切なのです。

これまでの悪事も許されるようにも思えますが、創造主たちは人間がどんなに悪いことをしたとしても、全ては想定内だということなのでしょう。

想定内だから許されるということではありません。

また、宗教だけではなくこれまでの思想の違いなど様々な隔たりを超えて一つになることを言っているのだと思います。

ヤハウェが繋ぐもの

次に関氏は「なげきの壁」に向かいます。
「なげきの壁」とは、ソロモン王が作ったソロモン神殿の西側の外壁です。

およそ1950年前、ユダヤ戦争でローマ軍によって破壊されたときにソロモン神殿の西側の外壁だけが残り、それが「なげきの壁」となってユダヤ人の祈りの聖地になっています。

ここの広場に入るときにはキッパという小さい帽子をつけます。
それは「私の上にいつも神様がおられることを忘れるな」という意味で被るそうです。

そこでは男の子が13歳になると行うバルミツバという儀式があります。
ユダヤでは13歳で成人とみなされ、トーラーという聖書の巻物を掲げ、神と向き合うのです。
それはユダヤ人として誇りと責任をもって今後、生涯を生きていくという誓いの儀式だといいます。
そのとき頭には日本の山伏を思わせるかぶり物をします。

なげきの壁の上にはもともとはソロモン神殿があり、ヤハウェを祀っていました。
ヤハウェはユダヤ人にとっての天地創造の神であり、すべての祈りの象徴です。
また、フリーメイソンもピラミッドに目のマークのヤハウェをシンボルマークとして掲げています。

フリーメイソンがユダヤの神であるヤハウェをシンボルにしているということがポイントです。

キリスト教の聖地へ

次に関氏が向かったのは聖墳墓教会です。

そこはゴルゴダの丘といい、イエスが十字架で処刑された場所です。

現在はその場所に教会が建てられ、イエスが十字架にかけられた場所がきらびやかに装飾されています。
つまり、ここはキリスト教の聖地といえます。

キリスト教とは、イエス・キリストを父と子と聖霊の三位一体の神としている宗教です。

神が自らキリストとして福音を伝えるためにこの世に生まれ、復活したとされています。
ですからキリスト教でキリストはただ1人の神なのです。

ここでナレーションは
関の真の目的は
と語ります。
関氏はこの次のことを視聴者に伝えたかったのです。

イエスが十字架で死んでから降ろされた場所の真正面の壁には、なんとピラミッドに目のマークがありました。

キリスト教の聖地に、なぜユダヤ教の神でありフリーメイソンのシンボルのヤハウェが描かれているのか。

イエスが十字架に架けられた場所の正面にあるということに注目です。

さらに関氏はイエスの遺体が安置され復活したといわれる別の場所へ向かいます。
興奮気味の関氏です。

その場所の壁には十字架が刻まれていて「Α(アルファ)とω(オメガ)」(はじまりであり終わりである)と、「IC XC」(イエス・キリスト)と刻まれています。

ヨハネの黙示録の中でヨハネの目の前に現れた神が、「私はアルファでありオメガである」と言ったことをここに書いたのでしょうか。

またはキリストはアルファ(はじまり)でありオメガ(終わり)であるというようにとれますが、これがどういう意味を表すのか私はよくわかりません。

最後の晩餐の場所へ

次にイエスたちが最後の晩餐をしたといわれる場所に行きます。
ここにはあるメッセージが隠されていると関氏は言います。

その建物はもともと十字軍によって建てられたのですが、キリストの死後にイスラム教のモスク(教会)に建て替えられたというのです。
つまりそこは、キリスト教とイスラム教が交わる部屋なのです。

「大事なのはこの下」だと関氏は言います。

最後の晩餐をしたその部屋の下にはもうひとつの部屋があり、ダビデ王の墓があるのです。
ダビデ王は、キリストが生まれるおよそ1000年前の古代イスラエルの王であり、エルサレムを築いた王です。

最後の晩餐をした部屋の真下にあるダビデ王の墓。
その部屋にはダビデ王の棺があり、「彼はまだ生きている」と書かれています。

つまり、この場所はキリスト教とイスラム教とユダヤ教が一つになった場所といえます。

なぜこの場所でキリストは最後の晩餐をしたのでしょう。
聖書を読むと、弟子たちがどこで食事をすればいいかをイエスに尋ねると、すでに決めてある場所があることがわかります。
それがこの場所なのです。

ダビデ王の棺はイエスがこの上で最後の晩餐をする前からあったのか、または後にこの場所に運ばれてきたのかはわかりません。

そしてキリスト教とイスラム教とユダヤ教が一つになったシンボルがあるといいます。
それはフリーメイソンです。

イスラエルとフリーメイソン、そして

最後に関氏が向かったのはイスラエルフリーメイソンのグランドロッジです。
そこではユダヤ教の六芒星とキリスト教の十字架とイスラム教の三日月が一つになったシンボルが、コンパスと定規の中に描かれていました。

イスラエルフリーメイソンのグランドロッジ元会長のエフライム・フックス氏によると、
フリーメイソン初代会長は、イスラエル王国を築いたダビデ王の息子のソロモン王であると全世界のフリーメイソンメンバーに伝えられている
ということです。

「ソロモン神殿を建てたのはフリーメイソンであり、ソロモン神殿こそフリーメイソンの象徴であり起源なのです」

なんとイスラエルのソロモン王がフリーメイソンの初代会長だったのです。
つまりフリーメイソンとは、もとは一つの同じ創造主を主とした団体といえます。

しかし時が経ち、創造主から旧約聖書を伝えられたイスラエルの人々はユダヤ教を興し、イエスが現れて天に行ってからはその中からキリスト教に分かれ、さらにムハンマドが現れてイスラム教にも分かれていきました。

お互いに対立する宗教となっていくにつれ、フリーメイソンの存在は秘密にされるようになったのでしょう。

ユダヤ教とキリスト教、イスラム教のシンボルを一つにしたのがイスラエルフリーメイソンのグランドロッジのシンボルで、宗教の壁を越え、一つになることが大切だと伝えられているそうです。

2013年新時代とは

2013年の「13」とは、ユダヤにとって聖数といえます。
だから13歳で神と向き合うバルミツバという成人の儀式があるのです。

ところでなぜ2013年が新時代の幕開けなのでしょうか。
マヤのカレンダーが終わったことも一つの時代が終わったことを表していますが、なぜなのかがよくわからないという人もいると思います。

創造主や宇宙文明では、この地球のような未開の文明の人間の進歩の度合いをかなり正確に予測しています。
その予測は星の位置などを使っておおよその目安にしています。

恐らくこの13年という単位も、宇宙から見た地球の人類にとってはかなり重要な区切りの年なのだと思います。
例えば人間の成長を測るために一年ごとに一歳ずつ歳を重ねるような感じです。

人類全体の成長を星座で測っているとすれば、12星座で一回りしているこの地球は13番目の次の時代へ入っているとも言えます。

関連記事:地球のカレンダーはすでに1周しているかも知れない Vol.64

その13を聖数とし、私たちが忘れないようにしてくれたのかもしれません。

創造主や宇宙文明の存在たちは、私たちに決まった日を祭や行事にしたり、習慣として定着させているものがあります。
例えば過ぎ越しや安息日などです。

それは過去の出来事を忘れないためだと思いますが、大事なことを未来へ伝えるためでもあると思うのです。

その理由はまだわかりませんが、これから先の未来に向けてのものの可能性はあります。

イスラエルに伝わる13年という節目も、誰もが忘れないために行われるものなのかもしれません。

ノアの大洪水以降の私たち人間は、次の文明に進歩することを期待されながら宇宙から見守られているのです。
まるで出産を控えた妊婦さんを見守るようにです。

アミシャブ代表のラビ・アビハイル氏によれば、ヘブライ語で13は二つの意味があるといいます。
ひとつは「愛」、もう一つは「ひとつ」という意味です。

ヘブライ語には文字に対応する数字があります。
愛はアハバー(5+2+5+1=13)
ひとつはエハッド(4+8+1=13)
となります。

関氏はこう話します。
2013年を2×13に変換すると、
13(愛)+13(ひとつ)=26です。
26はヘブライ語で「ヤハウェ」になります。
5+6+5+10=26

新たな時代の扉が開かれているのです。
そこで「開く」の文字を開けると⛩(鳥居)が現れます。
つまり神道が現れるというのです。

この言葉と文字の仕組みの凄さは、宇宙文明の科学なのではないかと思います。

日本の神道の核ともいえる伊勢神宮。
その伊勢では大切な行事に唄われる歌があります。

「コラーコラー ヤーハ トコーオセェヌオ」
これは日本人には理解不能な歌詞です。

ラビ・アビハイル氏によると、これはユダヤ民族のヘブライ語だそうです。
旧約聖書の「出エジプト記」の頃の話で、
「多くの民がイスラエルを訪れ神と向き合う。
その時、人々の中から憎しみが消え去るという話」です。

この歌の意味はこうです。

「呼べ呼べ ヤーハウェを
ヤーハウェは憎しみを砕く
全世界を守っている神は一つ
それはヤーハウェだ」

人々はいずれそのことを知るようになるだろうと。

「ヤハウェ」は「愛」+「ひとつ」です。
今なら多くの人が理解できるのではないでしょうか。

この回の最後にスタジオで関氏が紹介するある映像は、本当かどうかは何とも言えません。
それは、エルサレム上空で撮影されたUFOの映像です。

この流れで最後に紹介したことにはどういう意味があるのでしょう。

信じるか信じないかはあなた次第です。

関連記事:
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イスラエルは創造主の実在を証明している Vol.199

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