今回も「真実を告げる書」を参考にして書いていきたいと思います。
「真実を告げる書」は聖書の中の創造主が、フランス人のラエル氏に託したメッセージを記したというものです。
ですので、創造主からのメッセージということになります。
信じるか信じないかは読んでいる方の自由ですが、私は真実が含まれていると思っているので、引き続き書いていこうと思います。
前回の記事の続きになりますので、前回の記事をまだ読んでいない方は、そちらから読むことをおすすめします。
前回の記事はこちら
創造主による生命創造の真実。進化論は正しくなかった
創造主の惑星では、自分たちの姿に似せた生物は創造しないという条件つきで地球での生命創造が許されました。
しかし、科学者たちはその約束を破り、地球に創造主の姿に似せた人間を創造してしまいました。
そのため科学者たちは惑星政府から、人間たちに科学的なことを教えることを禁止され、原始的な状態で過ごさせるようにと言われていました。
ところが、またしても惑星からの命令を無視した科学者がいたのです。
いったいどうしてなのでしょうか。
男女ふたりの子供が駆け回っていて、その子供たちにあらゆる種類の事柄を熱心に教えていたのですから、この科学者チームがどんなに喜んだかを想像してみてください。
(「真実を告げる書」p23より)
このチームの全科学者の中には、自分たちの「創造物」である小さな人間に、深い愛を感じている人たちがいました。
彼らは、この子供たちに完全な知識を授けて、自分たちのような科学者にしたいと考えていました。
(「真実を告げる書」p23より)
自分たちが創造した人間の子供たちを、本当の自分の子供のように感じ始めていたんですね。
きっと本当にすごく可愛かったんだと思います。
私たち人間も、愛する自分の子供には自分が持っている知識を全て教えてあげたいと思いますよね。
賢い人になってほしいと。
科学者たちもいつかそんな風に人間を見るようになっていたのです。
だから人間たちに本当のことを隠し続けていることに耐えられなくなったんです。
彼らは、間もなく成人になるこの若者たちに、科学を学べば、創造者と同じように有能になれると語りました。
(「真実を告げる書」p23より)
このことは後半にも詳しく書かれています。
彼は、新しく創られた創造物の素晴らしい能力を見て、惑星政府の指令から逸脱することを決心しました。そして、その創造物に対し、自分たちは「神」ではなく、血と肉を持った人間であり、触れることのできる物質でできた円盤に乗って、天空より飛来したのだということを、明かす決心をしたのでした。
(「真実を告げる書」p264より)
とあるように、ついに人間たちは創造主についての真実と科学について教えられたのです。
こうして人間は、自分たちも創造者になれることを知りました。
(「真実を告げる書」p24より)
聖書の中の善悪を知る木
聖書を知っている方ならわかる方もいると思いますが、前章での話は創世記の中のアダムとイブが園の中央にある木の実を食べたことについてのことだったんです。
しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。
(創世記 2章17節より)
「禁断の果実」ともいわれている木の実のことですね。
この木の実は、「真実を告げる書」によると創造主たちの科学のことだったのです。
人間に真実を教えたときのことは、聖書の次の部分になります。
すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。
(創世記 第3章7節より)
「目が開け」たのは、科学知識を得たというのはわかりますが、「いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた」の意味はよくわかりません。
そして禁止されていたのに人間に真実を伝えた科学者は、罰を受けることになってしまいます。
「アダムとイヴ」に真実を教えようとした、この創造者の中の小グループ”へび”は、他の創造者たちが実験を止めて地球を去ることになったのに対し、彼らの惑星政府から有罪の宣告を受けて追放され、地球で暮らすようになったのです。
(「真実を告げる書」p24より)
人間に真実を教えたのは、ある科学者のグループでした。
その名前が「へび」になった理由は、次の部分からわかります。
ヤーウェは、彼の命令に反した科学者たちを地球に追放しました。すなわち詩的に言えばヤーウェは、「へび」が地上を這わねばならないように呪ったのです。
(「真実を告げる書」p265より)
ヤーウェとは、「真実を告げる書」によれば
エロヒムの惑星を統治する不死会議の議長
(「真実を告げる書」p265より)
です。
不死とか統治とかいろいろと気になるところですが、今はヤーウェがなんだかすごい会議の議長だということだけお伝えします。
それがただの命令だったのか、何か帰れないように措置をとられたのかはわかりませんが、とにかく人間に真実を教えてしまった科学者たちは、地球で暮らすことになったのです。
へびのように「地上を這わねばならない」とは、自分たちの故郷の惑星に帰れないようにされたということです。
ただ、これでは聖書ではじめから「へび」になって登場しているのはつじつまが合わない気がします。
へびというのは喩えのようなものですから。
これは私の考えですが、この事実は起こってから伝えられて聖書に記されたので、聖書を書いた人や書かせた人がそう伝えてしまっただけだと思います。
そして前章で紹介した「真実を告げる書」の中の
「こうして人間は、自分たちも創造者になれることを知りました。」
とあるのが、聖書で人間は神様と同じようになれると思ってしまうことにつながるのだと思います。
聖書での永遠に生きることと死の真実
創世記の第2章17節に、
しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう
とあります。
ここを読むと、善悪を知る木から取った実を食べると、すぐに死んでしまうかのように解釈してしまいます。
しかし聖書の次の部分を読むと食べても死んでいないことがわかります。
見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない
(創世記 第3章22節より)
「われわれ」とは創造主たちのことです。
科学を知り、創造主たちの知識と同じようになったのです。
さらに死ぬどころか「永久に生きるかも知れない」そうです。
どういうことなのでしょう。
人間の生命は非常に短いですが、それを延ばす科学的な方法があります。
(「真実を告げる書」p24より)
人間は科学的に寿命を延ばせるそうです。
私の読んでいる聖書には「命の木」とありますが、「真実を告げる書」では「生命の樹」とあるのが、科学的に寿命を延ばす秘密の技術のようです。
しかしそれでは「永久に生きる」ことにはならないので、寿命を延ばすだけではなく他の技術があるのでしょう。
ところが人間は科学者たちから科学を教えられてしまったので、
何ら努力することなく食と住をあたえられていた人間たちを、「地上の楽園」としての実験場から追放したのです。
(「真実を告げる書」p265より)
とあるように、人間たちは地球上の「地上の楽園」から追い出されてしまいました。
「地上の楽園」は創造主たちの実験場ですが、本当にあった場所のようです。
そこにある寿命を延ばす「生命の樹」の恩恵を受け続けるには、人間が科学を知らず、原始的なままの暮らしを続けていくことが条件だったようです。
おそらく人間がそのまま科学を知らなければ、「生命の樹」の技術で「地上の楽園」で永遠に生きることになっていたのでしょう。
しかし科学を教えられてしまった人間たちに、それはもう与えられなくなってしまいました。
科学を知ってしまった人間には、創造主たちからの永遠の命の恩恵を受ける資格がなくなったのです。
つまり、寿命が来たら死ぬのです。
それが聖書でいう「死ぬ」ということなんだと私は思います。
科学を知らずに地上の楽園で永遠に生きるか、寿命があり、人間たちだけの努力で次の世代につなげながら科学的な発展をしていくか、どちらが人間にとってよかったのか。
それは私にはわかりません。
しかし、知性をもった人間なら、科学的な発展や進歩をし続けたいという欲求を持つのは本能なのかもしれません。
そうして自分たちの力だけでもう一度、永遠の命と同じ価値のあるものを手に入れるしかないのです。
「真実を告げる書」を読んでいると、聖書は例え話にして伝えられていることが多いんだなと思います。
しかし、決しておとぎ話のような作り話ではないこともわかりました。
聖書はすべて本当に起こったことや、創造主から伝えられたことを記録した書物なんです。
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