今回は日本の神話に登場する月読命(ツクヨミノミコト)について書いていきます。
月読命は、古事記では伊奘諾(イザナギ)が黄泉の国から帰り、禊(みそぎ)で右目を洗ったときに生まれました。
そして左目を洗ったときに天照大御神、鼻を洗ったときに須佐之男命が生まれました。
ですので、月読命は天照大御神と須佐之男命と同じときに生まれた3兄弟の中の一柱の神です。
天照大御神は太陽、須佐之男命は荒れた海、月読命は月を治める神といわれます。
ただ、天照大御神と須佐之男命についての物語はたくさんありますが、月読命に関する物語はほぼないといえます。
なぜ無いのかはよくわかりません。
しかし、天照大御神と須佐之男命と月読命の三柱の神を伊奘諾が産んだときに、最も尊い三貴子だと言ったことから、月読命もこの世界でとても重要な神であるのです。
今回は月読命はどんな神なのかを考えていきます。
月読命の表すもの
月読命について考えるには、他の天照大御神と須佐之男命の二柱の神と一緒に考えてみると何かわかりそうです。
天照大御神は太陽と昼を治める神です。
これまでこのブログで私が考察したのは、天照大御神には最後の審判をする光が関係するということです。
つまり、とても簡単に言うと創造主の意思です。
そして須佐之男命は荒れた海を治める神ですが、なかなか治めてくれず、やりたい放題のやんちゃなイメージの神です。
この須佐之男命は、地球に追放された創造主の惑星の科学者たちのしたことを表していると書きました。
この考えで行くと、月読命が月と夜を治めるとは何のことでしょう。
なぞなぞみたいですが。
太陽の光に対して月の光?
だとすると?
月の光は太陽の光が反射したものです。
その光が人間にはどんな効果があるのかわかりませんが、それが月の役割かもしれません。
太陽の光は今はただの暖かい光ですが、最後の審判のときには裁きの光になると私は思っています。
同じように太陽の光を映す月の光も最後の審判のときには、今とは違う働きが表れるのかもしれないです。
天照大御神は創造主や宇宙文明の存在を含む大きな意志の事だと私は思っているのですが、そこから考えると月読命は月に関係する何かです。
月には宇宙人たちの基地があるといわれるので、月からこの地球を見ているということ?
月読命という文字から考えられるのは、月を読むということになります。
つまり月読命は時間と関係あるのでしょうか。
古事記の神々とはこの世界での様々な出来事や自然の働きを表していますが、それだけでなく必ずどこかで創造主や宇宙文明の存在が関係していると思います。
つまり月読命はこの地球の時間と創造主たちとの何かです。
ここからは、月読命が地球の時間と関係あるという前提で考えてみます。
月読命の隠された役割とは
月読命が生まれたのは天照大御神と須佐之男命と同じときなので、聖書でいえばおそらくノアの大洪水の後です。
それはこの地球に虹ができるようになってからということです。
つまり、この未開の世界が終わるときには必ず最後の審判が行われることになってからです。
もしかするとその前までは月は存在しなかったのかもしれません。
地球に虹ができた時からこの世界が終わるときがおおよそ決まっていました。
ただし、はっきりいつとは決められてはいません。
いつになるのか、その日は誰にもわかりません。
その理由は、世界が終わるのは人間が進歩したときか自滅するときだからです。
ですがその時期は決まっています。
それはこの今の時代です。
すでにその時代になっているのです。
そのときがいつになるかは人類の自然な進歩に任されています。
たとえば人間の妊婦さんがいつ出産するかはだいたい決まっていますが、実際に赤ちゃんが生まれるはっきりした日付や時間までは誰もわからないのと全く同じです。
この時期になるまで、創造主たちは始めから星座を割り当てて太陽の昇る位置を測り、その位置でその時代がだいたいどの時期なのかがわかるようにしました。
始めからというのはノアの大洪水の後からです。
その一つの道具がマヤのカレンダーだったのでしょう。
マヤのカレンダーはすでに2012年で終わっています。
ですから、今現在はいつこの世界が終わってもおかしくない時期なのです。
どうやって終わるかは、今の私たち人間次第です。
できれば平和な終わり方になることを願っています。
月読命とは、この未開の地球の世界で人間が進歩して世界が終わるまでがだいたい決まっていることを表す神なのだと思います。
人間にとって月とは、1ヶ月の経過や一年の経過を計るための役割が大きいですよね。
ですからこの洪水後の世界が始まってからは、時間に関してはほとんど創造主や宇宙文明の存在は関わりがありません。
ですが何の関係もないわけでもありません。
そのときが来るまで創造主やたくさんの宇宙文明の存在が静かに見守っています。
それが古事記で月読命が生まれたあとに殆ど登場しない理由なのではないかと思います。
月読命は天照大御神や須佐之男命のような感情的な神ではありませんが、静かに、そしてずっとそのときまで私たちを見ている神なのです。
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