最後の審判が起こるのはこの二つのどちらかのとき Vol.176

真実を告げる書

現在の地球の世界が終わる時には最後の審判と言われている何かが起こる可能性があります。

そんな非現実的なことが本当に起こるはずがないと思う方のほうが多いと思いますが、今の人類にとってこの世界が初めてですから、この先どうなるかなんて誰にもわかりません。
私なりにわかったことは以前にこちらで書きました。

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世界が終わるというのは何か恐ろしいことが起こるということではなく、現在の人類が歩んできたこの大きな一つの時代が終わり、全く新しい世界といえる時代に変わることです。

現実に今、この世界が大きく変わり始めていると感じる人もいるでしょう。
完全に変わるまでにはまだ時間がかかるし、もしかしたらその前に大きな試練があるかもしれませんが、必ず変わることはすでに決まっています。

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そしてついに世界が変わる時は何も起こらないかもしれませんが、それは何もないように感じる人がいるだけで、宇宙から見ればまるで最後の審判が行われているように見えるのかもしれません。

次の地球の新しい時代は宇宙文明の時代です。
新しい世界になるときには宇宙文明からこの世の全ての知識と知恵、テクノロジーが全ての人に伝授されるため、今のように宇宙の謎も地球の謎も謎のままというものは何もなくなります。

しかしこの世の全ての知恵を誰もが手にする世界になるとすると、現在の地球では悪用する人がいるため危険すぎるのです。

ですので地球が宇宙文明になる前には必ず最後の審判と言われる何かがあります。

それは何かのたとえかもしれませんが、私は現実に起こるのではないかと思っています。
本当に何もなく人間だけのこの世界のまま、次の時代に移行するということはないのです。
聖書にはそのときのことがこう書かれています。

24:29しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
(「マタイによる福音書」24章29節より)

これは単なるイメージを表しているだけかもしれませんが、もしかすると実際にこうなるとも考えられます。
そのときになるまでは誰にもわかりません。

ただ、宇宙文明の知恵が伝授されていない今のまま、これが新時代だといわれてもそれは本当の新しい世界ではないことだけはわかります。

では最後の審判のようなものが実際に起こるとしたらいつなのかというと、その正確な時は今は誰にもわかりません。
その時は突然やってきます。
普通にいつも通り過ごしているときにくると言われています。
いつ、どういった予兆があるという決まりは何もありません。

ですが、どのような時に起こるのかは予測できます。
それは大きく分けて2つの可能性があります。

無事に最後の審判を迎えるとき

一つの可能性としては、このまま何も大異変のようなものは起こらず、地球の人々の意識が善良な方に大きく傾いて新しい世界へと移行できるときです。

できればこの可能性にかけたいですが、今の状況が大きな分かれ道だと思います。

この場合、地球には大きな災害は起こらず新しい世界をこの地球に作っていくことになりますが、そのときには何かのきっかけによって最後の審判のようなものが起こると思います。
最後の審判といっても神や天使が降りてきて人間を審判するのではなく、人間の自分の中で起こるのです。

現在の地球は、最後の審判が自然に起こらないように何かのバリアのようなもので守られていると私は思っていますが、きっとその時にはそのバリアがなくなり、自然に最後の審判が始まります。

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何がきっかけで始まるのかはわかりませんが、この場合は人類の大多数の人々の合意があったときではないでしょうか。

この仕組みは聖書の虹の契約のときにはすでにプログラムされていたのだと思っています。

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最後の審判は恐らくそのときに太陽の光を浴びることで起こるのではないかと思うのですが、これはただの私の妄想ですので実際に起こるかどうかはわかりません。

現在の地球での太陽の光はバリアかフィルターのようなものを通して浴びているため、ただの暖かい光ですが、そのバリアがなくなった太陽の光は人間の中にある愛や宇宙の法則に則っていない部分を溶かしてしまうのかもしれません。

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その光を浴びても存在できた人は、新しい地球の世界で生きることができる人々となります。

もう一つの可能性

もう一つは今の地球や人類のほとんど全てが滅んでしまうかもしれないくらいの何かが起こるときです。

それは自然に起こる地震か何かの現象や隕石の衝突かもしれませんが、今の時点ではこの確率は低いと思います。
なぜそう思うかというと、聖書でいう「イスラエルの子ら」が14万4千人集まっていない可能性があるからです。

イスラエルとは、旧約聖書でヤコブが天使の一人と相撲のように組み合って勝負して勝ったときに、「イスラエル」と名乗るように命じられたことから始まっています。
その意味は「神に勝った者」という意味でした。
そのときからイスラエルと名乗ったヤコブの12人の子供たちがイスラエルの子らであり、その子供たちから増えた人々がイスラエルの12部族の始まりとされています。

また「イスラエル」にはヘブライ語で「神の支配」という意味があります。
ですからイスラエルの子らとは、聖書ではヤコブが率いる神に従うユダヤの人々のことです。

しかし現代ではイスラエルという国の人というわけではなく、創造主や宇宙文明の意思を理解して行動に移している人や、何も知らずに自然にそのような生き方をしている人のことです。

もしも人類が全滅してしまったとしても、そのような人々がおよそ14万4千人集まっていれば、新しい地球の世界を作ることができるようです。
ちなみにそういった人々には現在は死んでいる人も含まれます。

この地球で生きている間に洗礼(バプテスマ)やトランスミッションを受けた人の中で、イスラエルの子と認められた人々は14万4千人の1人に数えられ、その人々はすでに別の待機用の惑星で生きているといわれます。
現在でも洗礼を受けていて死を迎えた人の中には、そちらに肉体が再生されている人はいると言われています。

しかし洗礼を受けたからと安心して堕落した生き方をしてしまったら、イスラエルの子とは認められません。
つまり、洗礼は必ず永遠の命が与えられるという約束ではないのです。

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今生きている人で洗礼やトランスミッションを受けており、宇宙の法則に則った生き方をしている人もイスラエルの子に数えられています。

それでもまだその人数に足りなければ、人類が滅亡する程の隕石や地震など自然の大災害が起こりそうなときは、宇宙文明の存在たちが阻止してくれています。

自然の大災害だけでなく、人類が滅ぶ恐れのある核ミサイル攻撃なども監視され阻止されるでしょう。

ここでもう一度聖書の該当する箇所を引用しておきます。

「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。 わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は十四万四千人であった。
(「ヨハネの黙示録」7章3節〜4節より)

この解説と思える「地球人は科学的に創造された」も引用しておきます。

「額に印を押された」人たちの数は、総数にして約14万4000人となるでしょう。これには、すでに私たちの惑星で再生された人たちや、メッセージを知ることなく人類の進歩および開花に尽くした人たち、あるいはメッセージを読んで、そしてラエルを私たちのメッセンジャーとして認める人たちなどが含まれます。 この総数が、大体14万4000人になるまでは、最後の大異変を私たちは遅らせるでしょう。この数が、再び地球上に生命の営みが可能になったときに、新しい人類の出発のためには必要なのです。
(「地球人は科学的に創造された」p282より)

私がなぜ今はまだこの人数には足りていないと思うかというと、2013年のロシアの隕石がそのまま地球に落下したとしたら大変な被害が予想されましたが、そのときに録画された映像の中には落下する隕石を何かが貫いて隕石が破壊されたために、被害が小さくて済んだというものがあるからです。

実際に隕石を貫いたものがあるのかの確実な証拠はなく、ただの偶然だという意見もあります。
少なくとも当時の地球には隕石より速く飛び、落下している隕石に命中させることができるミサイルのようなものは存在しなかったといわれます。

ですのでもしかしたら宇宙の存在が被害を食い止めたという可能性も私はあると思います。
それが本当だった場合、その理由はただ人類を守るためではなく「イスラエルの子ら」の数がまだ十分ではないからだと思います。

そのときから現在は7年経ち、何人になっているのかはわかりませんが、それがわかるのは何かの大異変が起こってしまうかどうかだと思います。
しかし大異変が起こったときには、「ああ、ついに14万4千人が集まったんだなー」なんて考えている場合ではないですね。

最後の審判はその大異変の最中か、その後に起こると思います。
最後の審判は、イスラエルの子ではない人々に行われ、新しい世界で生きられる人とそうでない人にはっきりと分かれるでしょう。

最後の審判は誰も避けることはできない


新しい地球では常に最後の審判のような光が入ってきている可能性があります。
もしかするとその光は見える光ではなく何かの粒子で、この地球の空間全てに行きわたるようになる可能性も考えられます。
そのときはどこにいても関係ありません。
空気のようにどこにいても触れるからです。

ですので、このことを知っていて太陽の光を浴びないように隠れて最後の審判を逃れようとしても、地球にいる人間は必ず誰もがその光を浴びることになります。

聖書ではそのとき、これまで死んだ人も全て審判を受けると書かれています。

20:12また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。
(「ヨハネの黙示録」20章12節より)

以前に最後の審判について書いたとき、死んだ人も一度肉体が蘇って裁かれると書きましたが、これを読むとその時は肉体は蘇らず、裁きだけが起こるように読めます。

ですので最後の審判が起こるときまでは、洗礼やトランスミッションを受けていない大多数の死んだ人々の霊はいわゆる陰府や黄泉の国といわれるところで待機しているのだと思います。

陰府や黄泉の国は架空の場所のようですが、実は本当にある何かのたとえかもしれません。
それは地球で肉体が死んだ人の霊を保存しておくための宇宙文明の施設か何かです。
施設というより、霊というデータを保存するサーバーのようなものです。

霊とは肉体と結びついて初めて生きた人になる記憶ともいえますが、それだけでなく一人の人をつくる意識です。

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最後の審判では保存されていた死んだ人の霊にある記憶も審判され、新しい地球で生きることが許された人はもう一度肉体が再生され、霊と結びついて生きることができるのです。

そして宇宙の法則に則っていない部分が多くて存在できなくなった人は新しい地球にはいられないため、保存されていた霊と肉体のデータは消され、今までの地球と同じようなレベルの別の惑星に魂が生まれ変わるのだと思います。

24:36その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。 24:37人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。 24:38すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。 24:39そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。
(「マタイによる福音書」24章36節~39節より)

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