正しさとは何か Vol.177

世の中について

正しさとはなんでしょうか?

私はこれまであまりそういったことに興味が無かったのですが、ブログで聖書について書くようになってから、正しさとは何かを考えるようになりました。

正しい生き方とは法律や決まりを守ることでしょうか。

法律や決まりというのは、人間が悪いことをしないための最低限の行動の決まりですので、法律を破らないように生きる人は正しいですが、それは当たり前の生き方で普通のことです。

正しく生きることとは、そのような決まり以上に正しいことをすることだと思います。
法律では決められてはいませんが、嘘をつかないことや誠実に生きることなどです。
それは誰も強制はしないことだし、学校でもあまり具体的に教えてはくれません。

ですから普通に生きているだけでは、なかなかこの事を考える機会はないかもしれません。

正しいとはどういうことなのかを、私なりに考えてみました。

人間の正しさ

正しさとは一般的な常識であり、その根本には法律や憲法があります。
それ以外に何が正しいかを判断する明確な基準はほとんどありません。
そのため一人一人の良心次第ということになります。

ですが人によって価値観も経験値も異なるため、正しさも人によって変わってしまいます。
ただ、嘘をつかないとか正直に生きるというのは誰にとっても正しいことだと思います。
当たり前ですが、誰かに意地悪をすることや故意に貶めるようなことも正しいとは反対のことです。

また何を守るかや何を達成するかといった共通の目的があるなら、その共通の目的を持って行動する人からは正しく見えますが、その目的がそもそも反対の人にとってはその人は正しくないということになります。

正しさの基準が一般的な常識や誰かの主観だと、立場によってどうしても変わってしまいます。
そのため明確な正しさを語るのは難しいですが、人のためになることや思いやりを持った行動は誰にとっても正しいと言えると思います。

それには自分の心の声を聞くということがその一つの方法になると思います。

心の声とは自分の欲望ではないかと思うかも知れませんが、欲望は心の声ではなく頭の声です。
頭で考えることは、今の生活で損をしないようにとか、人に良く思われたいという欲からのものが多いと思います。

しかし人の心は善良な方に自然に傾くようになっていると思うのです。
そのため心の声は一般的な常識とは反対のものの場合もあります。

これは、常識というものがそもそも人間中心に作られたものだからだといえます。
ですので、世間の常識の中で生きながら自分の中で何か抵抗があると感じることは、善良ではない可能性があるのです。
善良とは、自然の法則に則った誰の心の中にもある揺るがない基準です。

自然の法則とはこの地球の自然というだけではなく宇宙全体の法則で、それは物理的な事以外に人の心にも全く同じく作用しています。
つまり人の心というものは、自然の法則の通りに動いているのです。
ですから気が進まないなど心が抵抗する事はどこか善良とはいえないものがあると思います。

たとえば心が抵抗しているのに、世間では常識で当たり前だからとそれをするとします。
すると、その時は良いと思える結果になりますが、後で必ずその反動が返ってくるのです。

それはつまり、もしも善良ではない事を選択したとしても、自然に善良な方向に戻る時がいつか必ず来るということになります。

その反動が自分の心に現れることもあるし、自分を取り巻く環境に現れることもあると思います。

ただ、この善良な心に従うことがこの世界での正しいことだとは言い切れないのが現実だと思います。
例えば立場の強い人々が自分たちに都合の良いように法律を変えれば、それが世間では正しいことになります。

しかしそのような事は自然の法則に反することになるため、いつか必ず元に戻る力が働きます。
それが最後に善は悪に必ず勝つと言われる理由です。

自然に逆らわないこと

心が善良な方に傾くというのは、水が高い所から低い所へ流れるのと同じでごく自然なことです。
それが宇宙の法則です。

宇宙の法則とは愛であり、この宇宙を創っている神といえる存在です。
この世の全てのものは、愛に従って自然に動いたり成長したりします。
心の声を聞くことも自然に逆らわないことになるため、全ての物事がうまく行くようになります。

社会的にはこうした方が良いと言われるようなことでもなぜか気が進まないなら、それが心の声なのでその声に従ってみた方が物事が上手くいく場合があります。

大きな会社や組織の中では、その方針に従って働くことが正しいはずです。
ですが、そもそもその会社や組織の目指していることが人々のためよりも自分たちの利益重視のように自然の法則に逆らっているのなら、その会社や組織のしている事は正しいとは言えません。

そう感じた場合は、せめて自分の一つ一つの行動をその時選択できる善良な方にします。
と言っても会社に逆らうという事ではなく、その時点でできる範囲でです。

以前にも書きましたが、組織の命令が罪のない人を殺すことだった場合、命令に従うことは組織にとっては正しいかもしれませんが、人としても正しいと言えるでしょうか。
これは自然の法則でいえば組織の命令より人命が大事だと言えます。

その場合、命令だとしても殺人を実行する人に一番責任があります。
良心に従うならば殺せと命令されても殺さなければ良いのです。
たとえそれで自分が殺されたり罰せられるとしても、人を殺すよりましです。

そもそも法的に人を殺していいのは死刑を執行するときだけです。
それ以外ではどんな悪人だろうと殺してはいけません。
とはいえ死刑が正しいかどうかはまた別の話です。

人間はこの世界で死なないことが目的ではなく、進歩することが目的です。

小さな事でも、そういったことが積み重なると大きな変化になるかもしれません。
そしてどうしてもそれが難しいならそこから離れるのが良いです。

正しい生き方とは、聖書などを読むとなんだか難しい気がしますが実はシンプルで、自然な心に逆らわない生き方なのだと思います。

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