聖書の教えが私たちに伝えていること Vol.168

キリスト

今回は聖書などの「神」からのメッセージといわれるものたちが伝えていることについて考えていきます。

恐らく私はただ聖書を読んだとしたら意味がよくわからなかったし、二度と読まなかったと思います。
でも都市伝説をきっかけに聖書を読み始めたため、意味がわからなくても知りたい気持ちが強く、どんどん調べていきました。

そのおかげで私なりにですが聖書が書かれた背景がわかり、さらに他の神話やメッセージについても理解できるようになりました。

これらは今のこの地球に生きている全ての人に向けたメッセージだと思います。
ですので少しでも多くの人がこのことを理解して生活に生かしていけるといいと思っています。

聖書は創造主と人間との歴史や創造主からの教えが書かれたものです。

聖書だけでなく、この世界にある「神」からの言葉といわれるものの多くは創造主や宇宙文明の存在からの人間へのメッセージだと私は思っています。

「神」というと本当は存在しない架空のような、信じる人々が作り上げた存在に思えますが、それでは聖書や他のさまざまな言葉も人間が書いたものということになってしまいます。

確かにそれらを書いたのは人間ですが、その内容は人間から出たものではないでしょう。

人間が誰にも教わらずに聖書のような言葉を考えることは不可能ではないと思いますが、それらの言葉はどれも何の迷いもなく、明確な目的があって書かれているからです。

それはなぜかというと、これらを人間に書かせた存在たちは人間のことをよく知っていて、その人間の世界がこれからどう進むかもよくわかっているからです。

それだけではなく、どうすれば人間は幸せになれるのかもはっきりと知っているため、その方法も伝えてくれているのです。

なぜそんなことをするのかというと、彼らがそうしたいからであり、それが彼らの生きる目的だからです。
つまりそれが自然な気持ちだからです。

ではそれらの教えは具体的にどういったことを私たちに伝えているのかを考えてみたいと思います。

聖書とは何か

聖書での教えと聞いて何となく誰もが思い浮かぶのは、良いことを教えているのだろうなーくらいだと思います。

しかし実際に読んでみてもピンと来ない人も多いでしょう。

その原因は、聖書や神話などを「神」の話だと捉えてしまっているからだと思います。
それでは神を信じない人にとっては関係のないことなので、読んでも自分には関係ない世界の話に感じるのです。

ですが本当は、聖書も神話も他の様々なメッセージも、地球で生きる全ての人々に向けたものなのです。
関係のない人なんて誰もいないのです。

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さらに神を信じる人々は「神」という存在が実在するのだと信じるように誘導され、聖書などが伝えるメッセージをゆがんだ形で受け入れてしまっています。
ですから聖書に書かれているたとえの部分もそのまま信じている所があります。

そのため、終末にはハルマゲドンがきて世界が終わるなどということを信じている人もいます。
ハルマゲドンがどういう理由で起こるのかなどを自分では考えず、ただ神が起こすことだというようにです。

このように、神からの言葉といわれるメッセージは「神」の存在によって信じる人と信じない人に分かれてしまい、さらにその内容は少しずつ変えて伝えられてしまいました。

しかし聖書は全世界で一番多くの人に読まれているベストセラーですから、キリスト教徒の人だけが読んでいるわけではなく、生きるヒントとして読んでいる人も多いのでしょう。

実際に恐ろしい描写の部分や不思議な出来事のような部分を除くと、人間にとっての人生の道しるべになるアドバイスがたくさん書かれています。
その内容はとても強く具体的で、しっかりと導いてくれると感じられるものだと思います。

この世にはスピリチュアル的なアドバイスの本などはたくさんありますが、そういった言葉よりも数倍頼りになります。
なぜならスピリチュアル的な本のほとんどは人間が書いた言葉だからです。

人間がこの世界で学んだことが書かれたものは人間の考えを超えることはできません。
どんなに素晴らしいと思える言葉でも、この世界で生きるためのアドバイスというだけです。

ですが聖書は創造主や宇宙文明の存在からの言葉ですから、この世界で生きるためのヒントの中にも宇宙の真理が書かれています。
聖書の中のイエスが語った言葉は人間の言葉だろうと思うかもしれませんが、イエスは創造主や宇宙文明の存在に実際に会って宇宙の知識を与えられたと私は思っていますから、イエスの言葉はイエス自身の考えではなく、宇宙の真理を語ったものです。

宇宙の真理は宇宙の法則に則ったものですから、人間が幸せになるのは当たり前のもので、それ以上に人間が進歩できるヒントが書いてあるのです。
それは現在の人間の最先端のさらに先へ行けるということになります。

今生きている人々の多くはこの世界が全てで、死んだら終わりだと考えています。
だからこの世界での成功である名声や富、人間関係などが全てになっています。
そのため、この世界で成功できず何の望みもなくなると絶望して、人生の全てが終わったと考えてしまう人もいるでしょう。

もしかするとそこから「神」にすがる人もいるかもしれません。

ですが多くの人はこの世界が全てだと思い込まされているだけです。
本当はこの宇宙には命が溢れています。
それを実際に見て確かめるには、進歩するしかありません。
他のどんな方法も近道もないのです。
誰かが助けてくれることもありません。

創造主や宇宙文明の存在も見守って応援してくれてはいますが、助けてはくれません。
まるで生まれてくる赤ちゃんを見守るように、ただ私たちを見守っています。

自分で卵の殻を破って生まれようと頑張っている雛の邪魔をすると、その子はこの世界で生きられません。
同じように私たち人間の進歩を人間以外の誰かが手伝うことは、私たち人間のためにならないのです。

そのために、この世界にはやっぱり神はいない、神は何もしてくれないといわれるのだと思います。

でも聖書のように、人間を通してヒントやアドバイスを残すことは許されているのでしょう。
ですから私たちはそのアドバイスを頼りに、殻を割って生まれられるように一人一人が自分で精一杯努力するしかないのです。

いちばん大切な教え

聖書の教えで一番大切な部分は、イエスが語っています。

22:36「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。 22:37イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 22:38これがいちばん大切な、第一のいましめである。 22:39第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。 22:40これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
(「マタイによる福音書」22章36節~40節より)

12:28ひとりの律法学者がきて、彼らが互に論じ合っているのを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、イエスに質問した、「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」。 12:29イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。 12:30心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 12:31第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。
(「マルコによる福音書」12章28節~31節より)

「マルコ」には「イスラエルよ、聞け。」とあります。
イスラエルとは現在のイスラエルということではありません。
聖書にあるイスラエルとは、創造主を信じその思いを実現しようとする人々のことです。

本当は全人類に向けてのメッセージですが、誰もが今の世界で創造主の思いを実現したいと思うとは限りません。
むしろそういった人はとても少数でしょう。

その代わりに自分がそうしたいと思った人は誰でもいつでもすぐになれるのです。
つまり「イスラエルの民」になるかならないかはそれぞれの自由なのです。

イスラエルの民にはならなくても、今の人生の中で少しでも人間的に進歩することはとても大切なことです。
それがこの世に生まれてきた全ての人の目的だからです。

宇宙の中での進歩とは、どこまでも自分を愛に向かうように努力することだと思います。
こう書くとなんだか宗教的で敬遠されそうですが、具体的にいえば自分に向けている愛を少しでも自分以外に向けるということです。

普通の生活をしていると、つい自分本位な行動をしてしまいがちになります。
それはこの世界がそういう風になってしまっているためですから仕方がありません。
そのため、普通に何も考えずに生きているだけだと全く進歩できないかもしれません。

その中で、できるだけ意識して自分本位な行動を改めるようにすることが、今の私たちができる進歩なのだと思います。

自分本位な行動を改めるということは、自分以外の人のためにも行動するということです。
それが「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」を実践することになります。

これ以外に人間が進歩できる方法はありません。
どんなにすごい魔術やテクノロジーや超能力を使えたとしても、これを実践しないのなら意味がないのです。

ただし自分を犠牲にすることではありません。
「自分を愛するように」ですから、自分と同じように自分以外にも愛を与えるということです。

その人が望んでいることを手伝うくらいでいいのです。
もっとわかりやすく言うと、その人の自由な意思が叶うように手伝うということです。

と言っても、わざわざ誰かの望みを聞き出して叶える手伝いをするのは親切ではなくお節介になってしまうので、その人が求めていることであなたがその時できる範囲のことをするくらいでいいのです。

これは簡単そうですが、慣れないと恥ずかしくて何も出来なかったりするので、最初は意識してみると誰かにそっと手を差し伸べることができると思います。

こう書いている私自身もなかなか実践は出来ていませんが、もしそういう場面に出会ったときには勇気を出して何か出来るようにしたいです。

人間の進歩は肉体をもって生きている間に行ったことでしかできません。
死んでから進歩しようとしても無理なのです。
今の人生の進歩はこの人生の中でできることで、その続きはたとえば死んでから次の肉体に生まれてからになります。

聖書やその他のたくさんのメッセージには、その具体的なヒントやアドバイスが書かれているので、今の人生で進歩したいと思う方は参考にしてみることをお勧めします。

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