神の存在について。信じるものは救われるのか Vol.28

キリスト

最近は、悪魔や悪魔崇拝について調べることが多く、悪魔について語る動画などもいくつか観ていました。
そうして悪魔は実在する、ということを私なりに理解しました。

ただ、悪魔が実在することについては実際には証拠を出して証明することはできないので、信じるか信じないかは皆さん次第ということになります。

ところで、悪魔について調べていたとき、気になることがありました。
YouTubeは、見ている動画に関連する動画が次から次へと紹介されますよね。
悪魔崇拝に関連する動画が表示されている中には、キリストや神の体験談も出てきました。

やはり、聖書には悪魔の記述もたくさんあるので、悪魔に関連するのはキリストや神様ということなのでしょう。
そういう意味で紹介されているのはわかりましたが、キリストや神の体験談ということがとても気になりました。

私はとくに宗教を信じているわけでもなく、不思議な体験も全く経験がないので、キリストや神のことも信じてはいませんでした。
しかし、私は同じように悪魔の存在も信じていませんでしたが、「真実を告げる書」を読むとその存在が本当であると書かれています。

そもそも「真実を告げる書」は、聖書を書かせたという創造主が現代の預言者に書かせたというものですから、それを信じるということは、聖書の内容は事実で、神といわれる創造主やキリストの存在を認めることです。
ですので、それが真実かどうかは信じるか信じないかの問題になります。

「真実を告げる書」だけを信じるのは、考えが偏ってしまう恐れもあります。
しかし、書いてあることはかなり真実に近いと思えるような内容です。
その内容を確かめるために、様々な角度から自分なりに調べてみると、歴史的な事実によって真実だと確認できるものもたくさんあります。

というわけで、私は「真実を告げる書」を参考にしながら、今回は神への祈りについて書いていきます。

キリストへの祈りの体験談

私が悪魔についての動画を観たときに出てきた関連動画に、神やキリストの体験談が出てきました。
これまでだったらほとんど興味が無いので観なかったと思います。

しかし今は、存在しないと思っていた悪魔が存在すると知り、悪魔の体験も嘘ではないと確信しました。
ですので神やキリストの体験も気になって、動画を観てみました。

その内容は、命の危険にさらされたときに神に祈ったら、天使のような人が現れて助けられたというような体験です。
1人くらいなら、たまたま生死をさまよっていたときに見た幻覚かもしれません。
しかし、そのような体験談がいろいろな人から寄せられているのです。

ある夫婦は交通事故にあい、2人が車に閉じ込められたまま炎上してしまい、先に旦那さんが救出され、奥さんは体が燃えているのがわかり、天使に連れられて天に昇っていく感覚になりました。

奥さんはその時、これまでの人生でのことを神に許しを求めました。
その途中で生まれたばかりの子供のことを思い出し、戻りたいと思った瞬間、どんどん下に降りていく感覚になり、ぼろぼろの自分の体に戻りました。

救出している人たちも神に祈りながら救出していましたが、車から救出された奥さんはもう助からないと、本人も周りの人たちも思うほどひどい怪我でした。

すると横たわっている奥さんのもとに、どこからか一人の男性が現れ、倒れている奥さんの顔に手をかざし、
「〇〇(奥さんの名前)、もう大丈夫だからね」
と言ったそうです。
しかしこのとき、事故にあってから旦那さんももちろん奥さんも、誰にも奥さんの名前を教えていなかったのです。
その後この男性は旦那さんに向かって「〇〇(奥さんの名前)を頼んだよ」と言って去って行ったそうです。

その後、助からないと思われた奥さんは奇跡的に助かりました。

自分には関係ないと思っていた

こういった話は奇跡の話としてテレビなどで紹介されたりしますよね。
これまでの私なら信じたかどうかわかりません。
たぶんその話は信じるとしても、奇跡の話としてや、特別な話として捉えていたと思います。

つまり、信じる人には神様が見えるとか、奇跡が起きるのだろうという感じです。
そして自分にはもちろん起こりはしないことだろうと他人事のように思うと思います。

助けてもらった存在のことは、実は自分の中にある潜在能力や潜在意識の力だと思っていたのです。

私はマーフィーの法則の本なども読んでいましたので、神様というのは全知全能の潜在意識のことだと理解していました。
つまり元々持っている自分の中の力だと。

その潜在意識は、宇宙の全ての意識と繋がっているものなのです。
だから奇跡のようなものもすべてこの潜在意識からくるものではないかと思っていたのです。

創造主の力

聖書は結局おとぎ話や例え話だと思っていたのですが、「真実を告げる書」に出会い、悪魔も創造主も存在するとわかりました。

もちろんキリストも存在するとわかったのですが、これと先ほどの奇跡の話のつながりがよくわかりませんでした。
神様やキリストに助けを求めると、実際に天使やキリストが現れ、助けてくれることについてです。

そこで考えてみたのが、悪魔サタンについてです。
サタンは実在し、現在もこの世界の人たちを誘惑したり試したり、脅したりしているということがわかりました。

そして悪魔にお願い事をすると悪魔の契約をしてしまうということも。
それは願いが叶う代わりに代償を払うというものです。

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サタンはこの世界に本当に現れることもありますが、姿を現すときは恐らく幻のような感じで現れます。
でも実際に人を傷つけたり、誘惑したり惑わせるために夢のような世界を見せたり、本当に人を裕福にしたりもできるとも思います。

これはきっと創造主の惑星の科学技術で可能なものなのではないかと考えています。

サタンは創造主たちの惑星の人ですから、創造主の惑星の政府から許可をもらって地球の人間に対して科学技術を利用しています。
ですから聖書で神様といわれる創造主なら、サタンの持つ技術はもちろん使えるだろうし、それどころか全ての技術が使えるはずです。

天使の行う奇跡や、キリストの存在を感じるときなども、同じように創造主の惑星からのものだと思います。
それは人を癒す力もあるでしょう。
しかしこのような力は、サタンの力とは比べ物にならないくらい大きい力なのではないかと思います。

気を付けたいのは、お願い事をすると天使のふりをしたサタンに願ってしまうこともあるかもしれないことです。
では本当の神様というか、創造主にお願いしたり救いを求めるにはどうすればいいのでしょうか。

祈りの力

私がサタンのエピソードで気になっていたことは、どんなに悪魔やサタンに攻撃されていたとしても、「イエス・キリスト」の名前を出すとサタンは去っていくというものです。
キリストの名前に何か聖なる力があるのかと感じました。
しかし、ただ口で「キリスト」というだけで悪魔が去るというのがとても不思議でした。

もちろん体験談を語る人が思い込んでいるだけで、すべては幻だということも考えられます。
または嘘を言っているだけということもあります。

でも語っている人を見ると、嘘を言っているようには見えないし、嘘をつく理由が私には思いつきません。
キリスト教を広めるためでもなさそうです。

なぜならキリストについての奇跡を語る人は、ユダヤ教徒だった人や悪魔崇拝をしていた人などで、もともとキリスト教徒だったわけではないし、その後キリスト教徒になったわけでもないのです。

ただ、クリスチャンになったといっています。
クリスチャンはキリスト教徒とは限りません。
クリスチャンとは聖書を信じて創造主の存在を信じ、キリストは創造主の子だと信じてその教えに従う人のことだと思います。

そして心から創造主を敬愛し、その子供であるキリストを通してどんなことも祈ればかなえられるということなのです。

最初に紹介した、交通事故に遭った夫婦のケースでは、周りにいた人たちも必死に祈っていました。
その時、その人たちが祈っていたのはキリストを通した祈りだったのでしょう。

つまりクリスチャンの祈りです。

悪魔も祈りを叶えてくれるならば、あれは悪魔だった可能性もありますが、多分悪魔なら代償を払う必要があったと思うので、あれはキリストを通した祈りだったと思います。

何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。

(「ヨハネによる福音書」14章14節より)

また、こちらにもあります。

イエスは答えて言われた、「神を信じなさい。 よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。

「マルコによる福音書」11章22節~24節より

上記の祈りの方法は、引き寄せの法則にも似ています。
このことについてはまた別の機会に書きたいと思います。

このことから思いついたことがあります。
それは前回の記事からつながります。
前回の記事ピラミッドに目のマークにはどんな意味があるのか

この世界の人たちは脳の中の小さな松果体を通して創造主とコンタクトが取れるのではないかと書きました。
ただ、そのときに創造主の息子であるキリストを通して祈ることが大切です。

その理由は、私たちは松果体を通して創造主と繋がれるなら、創造主の一人であるサタンとも繋がれることになるからです。

たとえば「神様」と祈っても、その思っている神様が、私たち人間を創造してくれた創造主だという認識がないとだめなのです。

どういうことかというと、創造主の存在を信じていない人が「神様」というと偶像崇拝に近いものになってしまいます。
偶像崇拝は聖書で創造主が禁じています。

その理由は、偶像崇拝は創造主以外の何かを崇拝しているということだからです。
ということは創造主を敬愛していないし、存在を否定することにもなります。
これはサタンが危惧している、創造主たちにとっての人間の危険な部分になります。

それに対し、聖書を信じ、その創造主を信じ、その子供であるキリストを信じている人の祈りは、仕組みはわかりませんが何らかのきっかけでわかるのだと思います。
これも創造主たちの科学の力なのでしょう。
それは、私たちにとっては心からのキリストへの祈りとしか言えません。

キリストを通さずただ願いを言うだけの祈りは、サタンに繋がってしまう恐れもあります。
サタンは天使や聖なる存在のように現れることがありますから、願った本人は悪魔と気づかずに祈ってしまいます。

しかし祈るときにキリストを通して祈ると、悪魔には繋がらなくなっているのだと思います。
そうして願いが叶えられたとき、疑っていた人も心を改めて信じるようになるかもしれません。

祈りは、その都度創造主が聞いてくれているというのは現実的ではないと思います。
でもどういう仕組みかで創造主のもとに送られ、その祈りが本人に返ってくるようになっているのです。
きっととても精密だけど温かい仕組みのような気がします。

人間にとって、サタンと本当のキリストや創造主の違いは、サタンが叶えてくれる願いは物質的な満足だけで、いつまでも心の平安はありません。
それに対して本当の創造主やキリストが叶えてくれる願いは、心からの平安や満足が得られるのだと思います。

私はこれらの体験をしていませんが、このことを知ってからは本当だと信じています。

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