輪廻転生の本当の意味とサタンの滅亡 Vol.48

キリスト

みなさんは輪廻転生を信じていますか?
人は死後に生まれ変わって新しい人生が始まるという、そんな話です。

これは聖書にはなく、仏教の教えにあるものです。
ですので聖書派の人は信じないし、仏教派の人は信じる人もいると思います。

私はどうかというと、昔は信じていました。
その理由は親にそう言われて育ったからです。
だから聖書に輪廻転生について一切書かれていないことにびっくりしました。

ところで現実に輪廻転生はあるのかないのか。
そんなことは今この世界に生きている人にわかるわけがありませんね。
たとえ本当に生まれ変わっているとしても記憶が無いですから。

じつは、この輪廻転生についても「真実を告げる書」に書いてあります。
でもそれは、いつものように一般に知られているような概念とはかなり違うものです。

輪廻転生のイメージ

まずは輪廻転生とはどんなものなのか、仏教での教えを参考にしてみます。

仏教においても、伝統的に輪廻が教義の前提となっており、輪廻を苦と捉え、輪廻から解脱することを目的とする。仏教では輪廻において主体となるべき我、永遠不変の魂は想定しない(無我)。

(ウィキペディアより)

参考リンクウィキペディア / 輪廻

私は輪廻転生について、ただ人は生死を繰り返していることなのだと思っていました。
それが良い事とか悪い事というのは別に無いと。
しかし仏教ではそのサイクルは「苦」で、そこから抜け出すこと(解脱)が目的のようです。

ここで思ったんですが、もし輪廻のサイクルから抜けられなくても、またこの世界に生まれるだけなら別にいいのではないかと。
記憶はリセットされているし、たとえ人生が辛くても、何度も生まれているという輪廻の苦しみは感じないと思います。

輪廻転生については、「真実を告げる書」が含まれている「地球人は科学的に創造された」の中で創造主はこう言っています。

仏教では、人が死ぬ時に、その死者の霊魂は数々の悪魔たちから逃れるように十分用心しなければならず、そうしないと霊魂は再び肉体を与えられて、輪廻のサイクルに逆戻りしてしまいます。他方では、上手くその悪魔から逃れることができれば、このサイクルから解放され、覚醒による喜悦の境地に入ることができると云います。

(「地球人は科学的に創造された」第二部 p140より)

仏教は仏陀(ブッダ)の教えですが、以前「真実を告げる書」の著者のラエル氏が創造主が用意した天国のような惑星に連れて行ってもらったとき、その場所にはイエスやマホメットと一緒にブッダもいました。

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「真実を告げる書」を信じるとすればイエスもマホメットもブッダも、同じ創造主から伝えられたことを柱にした教えを伝えているということになります。

ですのでブッダの教えである輪廻転生についても「真実を告げる書」にあります。

輪廻転生の本当の意味

では聖書では教えられていないはずの輪廻転生について「真実を告げる書」にはどう書かれているのかというと、次の部分になります。

実は、これは個人にではなく、全体としての人類にとてもよく当てはまる記述なのです。人類は何かの選択を迫られる度に、自分たちを輪廻のサイクルに逆戻りさせる悪魔たちに抵抗しなければなりません。ここで言う「悪魔たち」とは、人間同士の攻撃心や、周りの自然環境を破壊する心です。

(「地球人は科学的に創造された」第二部 p140より)

創造主は人類を一人の人間のように喩えることがときどきあります。
輪廻転生についても一人の人間にではなく、私たち人類についてだったのです。
誰もこんなふうには捉えていないと思います。たぶん。
このことから私は、人類は聖書以前に何度も滅亡しているのではないかと思っています。

「悪魔」とは人間の心の中にある攻撃心や自然環境を破壊することを何とも思わない悪い部分のことです。
サタンは人間にはこの悪い部分があるために危険だとずっと訴えています。
サタンは今でも人間の悪い心をどんどん引き出すための悪魔の罠をこの世界に仕掛けていると思います。

ひとりの天才が、世界に幸福をもたらすことができるのと同じように、ひとりの低脳な人間が、世界の平和を脅かすこともあり得るのです。

(「地球人は科学的に創造された」第二部 p140より)

これはラエル氏に創造主が言った言葉です。
このことは世界の各国のリーダーがどういった行動をとるかということにも繋がると思います。

サタンの滅亡とは

サタンの罠や、人間自身の中にある攻撃心などの悪い部分を自分たちの力で克服することで、今にも起こりうる最終核戦争を防ぎ、人類が滅亡する危機から脱することができるのでしょう。
無事に克服できたときには、この世界には人間の攻撃的な部分はなくなっています。
そういった心がなくなった人々は、現在あるこの世界の悪魔の罠や誘惑には見向きもしなくなります。
欲に支配されているこの世の中には興味がなくなるからです。

そうなったときの人間は、あらゆる欲望に支配されることがなくなります。
それはサタンの仕掛けた悪魔の罠にはかからなくなるということです。
つまりキリストに伝えられた聖書の教えを人間が実現できたとき、サタンの役割が終わるのです。
それがサタンの滅亡です。

ですから、サタンという悪魔が神やキリストに殺されたり滅ぼされるというお伽話のような事が現実に起こるわけではなく、聖書でのたとえなのです。

また「覚醒による喜悦の境地」とは、科学が人々に奉仕する文明の黄金期のことで、科学的な方法で目の不自由な人にも物が見え、耳の不自由な人にも音が聞こえるという、地球上の楽園を意味します。

(「地球人は科学的に創造された」第二部 p140より)

しかし、人類が滅亡と原始時代を繰りかえす輪廻のサイクルから無事抜けることには、ひとつ条件があります。
それは科学技術の発展と欲望は共生できないということです。

欲望に支配されない世界で新しい科学技術がどんどん発展するとき、ラエル氏が連れて行かれた、イエスたちのいる天国のような世界がこの地球上に実現するのだと思います。

このことは、創造主の助けを受けず、私たち人間自身の力で克服していかないといけません。
例えると子供の成長に大人が手を貸すと、成長が遅れるのと似ています。

これが終末の時代に起こりうることなのでしょう。
そのサイクルから無事に抜けられるか、または自滅して原始から始めるかは今の私たちにかかっているのです。

このことは全て「真実を告げる書」が含まれている「地球人は科学的に創造された」を参考に私が考えたことなので、信じるか信じないかは読者の皆さんの自由です。

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