日本の神話には聖書が隠れているということを以前に書きました。
そうだとすると、伊奘諾(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)から生まれた神々についての神話の内容もやっぱり聖書を表している部分があると思えます。
ですが、まだ古事記の全てが聖書にあることだとは言えません。
聖書には書いていないこともこの世界には沢山ありますから。
そして古事記などの神話とは、もしかすると「アミ 小さな宇宙人」が書かれた背景と似ているのではないかと思います。
それは、地球の人間以外の創造主や宇宙の仲間といえる存在たちが、地球の人間との間に起きたことを、おとぎ話として人間に書き残すように依頼したということです。
そこで、現時点でわかった日本の神話の私なりの解釈を書いていこうと思います。
以前に書いた日本の神話と聖書の関係については創世記の6日目までの人間の創造まででした。
そのときの記事でも書きましたが、聖書には創造主たちと人間の実際の出来事が書いてありますが、日本の神話では創造主と地球の環境や人間との出来事によって起きた現象を、神様として表しているのです。
ですから、日本の神様といわれているものは何かの現象のことだったり、大きな出来事を表していたりするのです。
その内容は創造主や宇宙文明の存在が関係することがほとんどです。
というか、創造主の存在を伝えるための神話なのです。
しかし、古事記や日本書紀では創造主がそのまま登場するのではなく、ある大きな出来事を一つのまとまりにして、神の行いにしています。
その日本の神話から、今回は伊奘諾(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)について書いていきます。
水蛭子は大洪水前の世界
古事記の神話の中では、島や人間の創造は伊奘諾と伊邪那美の働きとして書かれています。
最初に産んだ神は良くないといって葦の船に乗せて流してしまいます。
その神が水蛭子(ヒルコ)です。
そして二番目に産んだアハシマも子供とは数えられませんでした。
聖書ではモーセが赤ん坊のころに籠に入れられてナイル川に流されたことが似ているエピソードにも思えますが、これは違うと思います。
ですが創世記にはこれに当てはまりそうな箇所があります。
それはノアの大洪水前の世界です。
6:5主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。 6:6主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、 6:7「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。
(「創世記」6章5節〜7節より)
この後、ノアの家族以外の全ての地上の生き物は創造主によって滅ぼされました。
この滅ぼされた人類と生き物たちを、古事記では良くない子供だとされた水蛭子と表しているのだと思います。
人間を滅ぼすのはまだわかりますが、他の生き物も巻き添えにするのは可哀想な気もします。
しかしこの頃の人間以外の生物には、恐竜や大きな爬虫類などの凶暴な生き物もたくさんいたため、全てを滅ぼすことにしたのです。
それらも全て創造主たちの科学者が創造したので、創造した責任があったのでしょう。
2番目に産んだアハシマは、死んだとは書いてありませんが子供として数えないとあるので、洪水で滅ぼされた大地を表しているのかもしれません。
しかしこれはまだよくわかりません。
この後、イザナギとイザナミはたくさんの島を産み、さらにたくさんの神々を産みました。
この島については、洪水後に水が引いて陸地になった部分を表しているのだと思います。
その陸地は、洪水前にあった大地とは位置も形も全く変わっていたのです。
洪水前はひとつの平坦で大きな大地でしたが、洪水の後では大地は割れて離れ、盛り上がって山になったり谷になりました。
なぜなら、ノアの大洪水を起こしたのは創造主の科学を使った核ミサイルだったからです。
彼方の惑星政府は、核ミサイルを発射して地球上の全生命を破壊しようと決定したのです。
(「地球人は科学的に創造された」p26より)
たぶんその威力は想像もできないほど凄まじいものだったでしょう。
核ミサイルは1つではなく、いくつも落とされたかもしれません。
その証拠に、世界中でたくさんの生物の化石が見つかっています。
化石になるには、一瞬で周りの酸素が無くなる状況が必要です。
洪水のように徐々に水が増えただけでは化石にはなりません。
水と一緒に一気に大量の泥や砂などで埋まったのでしょう。
ですから静かに水が増えたのではなく、とてつもない津波が世界を覆ったのです。
餌を食べている途中で化石になった生物の化石が見つかっていることも、その洪水が一瞬で起きたことを表していると思います。
洪水後の地球で、生き残ったノアたちと共に方舟に乗せた他の生物も再生されましたが、恐竜などの凶暴だった生物は再生されませんでした。
だから恐竜や化石でしか見つからない他の生物は、絶滅したというよりも再生されなかったのです。
この出来事を、古事記では水蛭子が生まれたけど良くなかったために葦の船に乗せて流したと表現しているのだと思います。
良くなかった洪水前の世界は、古事記では水蛭子としか書いていないのです。
良くないというのは、人間が暴力的だったりしたこともありますが、創造主たちからの視点もあったと思います。
ヤーウェは、人の悪が地上にはびこり、すべてその心に思い図ることが、いつも悪いことばかりであるのを見られた。
『創世記』6章5節ここでいう悪とは、人間たちが科学的に自立し、創造者たちと同等になろうとする欲望のことであり、エロヒムの惑星の人たちにとっての善とは、人間が原始的な存在のままで細々と生きることでした。悪とは、人間が進歩を望み、それによっていつの日か、人間が創造者たちに追いつく危険が生じることでした。
(「地球人は科学的に創造された」p26より)
このことから、創造主は人間が科学的な進歩をすることを、創造したときには望んではいなかったのがわかります。
しかし、人間を創造した創造主の科学者のルシファーたちは、人間に科学を教え、洪水の前には人間のノアたちをこっそりと助けていました。
人間以外の生物たちは実際には細胞だけを採取して方舟に乗せ、採取した生物の細胞のDNAを元に洪水後の地球に再生しました。
ルシファーたちや創造主はこのとき、自分たちも人間と同じように他の惑星から来た存在によって創造されたことを知ったのです。
この時、エロヒムは、自分たちもまた、他の世界の惑星からやって来た知的生命体によって、彼らが地球人を創造したのと同じように、実験室で創造されたものであることに気づきました。そして、二度と再び、人類を破滅させないことを決意し、ルシファーのグループが「方舟」の中に保存した生命を、再び地球に移植するのを助けたのでした。
(「地球人は科学的に創造された」p266より)
このことが聖書の創世記に書かれている虹の箇所になるのです。
わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」。
さらに神は言われた、「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。
すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。
(「創世記」9章11節~9章13節より)
これは人類を二度と滅ぼさないというただの約束ではありません。
契約とあるので、何か重要な決まりなのです。
虹はそのしるしです。
契約とはどんなものなのかが気になりますよね。
この契約についてはどこにも詳しく書いていないので確実なことはいえませんが、私なりの考察は以前にこちらの記事で書きました。
関連記事:虹の秘密 Vol.79
この契約が、伊邪那美の黄泉の国の話になるのだと思います。
黄泉の国と洪水後の契約
伊邪那美は神々を産むなかで、火の神の火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)を産んだときに陰部を火傷して病気になり、その後亡くなって黄泉の国へ行ってしまいます。
火之迦具土神は火の神です。
伊邪那美が火で火傷をして死んでしまったという話は、火を利用するようになった人間たちに何かが起きて死んでしまったことを表しているようです。
これは古事記の中でもかなり重要な部分なので、人類や地球にとってとても大きな出来事のように思えます。
聖書で人類に起きた大きな出来事といえば、禁断の果実を食べて楽園を追放されたことや人類が滅ぼされたノアの大洪水ですね。
そして古事記の初期で重要な話は、伊邪那美が死んで黄泉の国に行ったことだと思います。
ですのでこの伊邪那美の話は、人間の楽園からの追放やノアの大洪水と無関係ではないかもしれないのです。
人間が楽園にいた頃は寿命や老化はありませんでした。
創造主の保護のもとで永遠に生きていくはずだったからです。
しかし禁断の果実を食べて、人間は楽園を追放されました。
そのとき、無条件で永遠の命と安全が確保されていた人間に、老化と死、出産の苦労が与えられたのです。
つまり、創造主たちからの楽園での保護が得られなくなったのです。
禁断の果実は喩えで、本当は人間がルシファーから科学を教えられ、科学知識を得てしまったということでした。
科学知識は生活を豊かにする便利なもので、人類の文明を発展させるのに大切なものです。
しかし創造主は地球の人間が科学を知ったことに危機感を持ちました。
それは科学には危険な面があるからです。
これを神話では火に喩えることもできると思います。
科学を知った人間たちは、追放されたルシファーたちと好き放題な世界を作っていまい、ついにノアの大洪水で滅ぼされます。
それが水蛭子とアハシマです。
そして再び地球にノアの家族が降り立ったあと、創造主は人間との契約を立てました。
この理由は、洪水後に地上で生物を再生するときに、創造主たちも人間と同じように他の惑星の存在から創造されたことを知ったからです。
つまり、人間と創造主はもとは同じ立場だったとわかったのです。
その契約とは、この先どれだけ人間が悪いとしても、ノアの大洪水のように創造主が全人類を滅ぼすことはしないということです。
この内容だけを見ると、一見安心できるような、許されたような感じのするものです。
しかし、実はこの契約は人類にとって、創造主の干渉が無くなったことになり、一人暮らしを始めて親の保護から抜けたようなものなのです。
自由ではありますが、生活の責任は全て自分にあるということです。
私たちは、創造者たちが行ってきた一連の活動の中で、決定的な変わり目に到達しつつあります。そこで彼らは、直接介入することは一切しないで、人間が科学的に進歩するように仕向けることを決定しました。なぜなら彼らは、自分たちも同じようにして創造されたのであり、自分たちに似た物を創造することにより、この循環が続いて行くことが可能になると理解したからです。
(「地球人は科学的に創造された」p61より)
「この循環が続いて行くことが可能になる」とあります。
つまり、私たちが子供を産んで、その子供がまた子供を産んで生命が続いていくのと殆ど同じように、人類という単位で続いていくということです。
私たちの創造主が他の存在から創造されたように、私たちは創造主から地球に創造されました。
そして今度は私たちが進歩して、次の生命に続くようにしていくことを期待されているのです。
そのために必要な進歩をするための、ある出来事がこの先に私たちを待っています。
そのある出来事が、最後の審判です。
ノアの大洪水後から最後の審判までがこの契約なのだと思います。
それは神話では伊邪那美が黄泉の国に行ったことです。
ここを乗り越えてやっと、人類は次のステージに進むのです。
これに気づいたとき、黄泉の国に行ったイザナミの正体とイザナギの正体がわかった気がしました。
この続きは、長くなってしまうので次回にします。
関連記事:
イザナギとイザナミが表すもの Vol.123
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