私たちは大きな生物の細胞の中にある宇宙にいるのか Vol.51

真実を告げる書

このことは私自身もまだきちんと理解できていないかもしれないですが、現時点でわかっていることを書いてみようと思います。

それは無限大と無限小の世界についてです。

「真実を告げる書」が含まれる「地球人は科学的に創造された」には、どんな人が永遠の生命の惑星で肉体を再生されたのかという部分に「無限」について書いてあります。

この人たちは生きている間に、無限に関して心を十分に開く段階に到達したか、またはその発見や著作、また社会を組織した方法や同胞愛、愛、献身によって、地球人たちを原始的な段階からはある程度、脱却させることのできた人たちです。

(「地球人は科学的に創造された」第二部 p151より)

この「無限に関して心を十分に開く」という意味が、私はいまいちよくわかりません。
無限大と無限小を理解することなのかどうか。
そうだとしたら、はたしてそれが肉体を再生される権利を与えられるほどのものかが謎です。

とりあえず今の時点で私が理解している無限大と無限小について、「真実を告げる書」を参考にした考えを書いていきます。

無限大と無限小の世界

無限大と無限小については、じつは私は「真実を告げる書」を読むずっと前にマンガで読んで、その概念は知っていました。
ただ、それが本当のことなのかどうなのかはわかりませんでした。
マンガだし。

そのマンガとは、手塚治さんの「火の鳥」です。
火の鳥には原始の時代から未来のことまでが描かれています。
読んだのがかなり前なので、くわしい内容はほとんど覚えていないのですが、この場面だけはずっと頭に残っています。

その話の中では、この世界で自分だけ不死の肉体を与えられ、周りの人たちが世界戦争で全て死んでしまったのに、地球上で自分だけ死ねないという孤独の苦しみを感じている人がいました。

その人のもとに幻の鳥といわれる火の鳥が現れ、どういう経緯からか極小の世界に連れていかれます。
自分の体がどんどん小さくなり、ある細胞の中の素粒子のレベルの世界に行きます。
そこには太陽のようなものがあり、その周りを惑星のように回っているものがありました。
その惑星のようなものに近づいていくと、ある生き物のようなものが付いています。

さらにその生き物の細胞の中に入ってどんどん小さくなると、また太陽のようなものがあり、その周りを惑星のようなものが回っています…

ここまで読めば、これが無限に続いているのだろうと気づきますね。

次に火の鳥は極大の世界へ連れていってくれます。
地球から宇宙へ飛び出し、太陽系も抜け、銀河の外へ。
そこには極小の世界と同じようにたくさんの銀河が集まって一つの細胞のようになっていました。

そう、多分これも無限に続いているんです。
私たちのいる宇宙は、何かの生物の一つの細胞の中の世界なのかもしれないのです。

この「火の鳥」を読んだとき、たとえば私の手の中の一つの細胞にも広大な宇宙が広がっていて、その中の惑星には地球のようにたくさんの人が住んでいる惑星もあるのだろうと思いました。

さらにその中の一つの生物の一つの細胞にも同じように宇宙が広がっているんです。
それがたった一つの細胞の中のさらに小さい世界の宇宙なんです。
私の体の中だけでもどれだけの宇宙があるんだろうと思います。
右手の細胞の中の宇宙と左手の細胞の中の宇宙は決して交流することはないのだろう、などと想像していました。

この考えでいくと、私たちがいるこの太陽系がある銀河がたくさん集まって一つの細胞になり、その細胞を組み合わせて生きている巨大な生物がいるということです。
さらに、その巨大な生物がいる世界を極小の世界だと捉える、極大の世界があるのです。

この無限小と無限大の世界の中に私たちはいるのかもしれません。

しかし、これは手塚治さんのマンガの中の話です。
本当かどうかは確かめようがありません。
それでも私はこのことをずっと信じていました。

それから何年も経ち、ふと見つけた「地球人は科学的に創造された」に同じことが書いてあったのです。
しかもこれはマンガや作り話としての文章ではなく、一応「真実」として書かれているものです。
本当に真実かどうかは置いておいて。

実際私たちは、無限小の中に、知性を持つ生物を発見しました。彼らにとっては惑星であり恒星である微粒子の上で、彼らは生活し、私たちと同じような疑問を抱いているのです。

(「真実を告げる書」p84より)

ここを読んだとき、すぐに「火の鳥」のあの場面が頭に浮かびました。
創造主たちは「実際」に極小の世界を覗いて見たようです。
顕微鏡のようなものででしょうか。

私たちは、無限に小さな世界にも知性を備え、有機的な身体を持った生命が存在することを発見しました。彼らが私たちと同じ程度に進歩した生物であり、私たちに匹敵する存在であることは証明済みで、まず間違いありません。
 従って私たちは、恒星や惑星は、あるひとつの巨大な存在の微粒子であることも発見しました。

(「地球人は科学的に創造された」第二部 p143より)

これで全く別の情報源から、ほとんど同じ内容の情報にたどり着きました。
ですからこれは真実の可能性は高いと私は思います。
一つはマンガからの情報ですが。
手塚治さんはこのことを何かで知ったのでしょうか。

「ガリバー旅行記」にも巨大な世界と極小の世界があります。
ただ、それはこの無限の概念とは少し違って、ドラえもんのスモールライトで小さくなった世界のようなものです。
もしかすると読者にわかりやすく書かれた可能性もあります。

このことが真実かどうかは、私たちにミクロの世界を覗く技術が発展すれば実際に確認できます。
無限小の世界につながる極小の世界の存在があるなら、さらにその中に極小の世界がある可能性は高いです。
そしてそのときは、逆の極大の世界の存在も想像できます。
私たちのこの世界が最大の世界でこれ以上の世界はないという方がありえません。

もしかすると極大の世界の誰かが、今の私たちの存在を顕微鏡で確認してビックリしているかもしれませんね。

無限の中の私たち

この無限大と無限小の世界が理解できたとして、私たちの存在する意味とは?

一つ言えるのは、この世界には地球の人間しか知的生命体が存在しないと考えるのは、無限大と無限小の世界を理解できていないということです。

このことについて「地球人は科学的に創造された」の中で、著者のラエル氏が話したことを創造主が紹介しています。

私たちは、あなたが前に講演の中で話をしたあの比喩が大好きです。あなたが話されたように、ああいった人たちは、他の池にも生き物はいるのか、などと池の底で言い合っている蛙のようなものなのです

(「地球人は科学的に創造された」第二部 p145~p146より)

無限大と無限小の世界を理解すると、ここにいる私たちは特別な存在というわけではなくなると思います。
今の自分は一つの細胞の中にある宇宙の中の小さな存在だからです。
無限の中での私たちの存在の意味は、もしかしたら特に無いのかもしれません。

たとえば、人間の髪の毛の細胞の一つの中にある宇宙に存在している生命について考えてみます。
もちろん髪の毛は人間に関係ありますが、その中の極小の世界の生命は私たちにとっては殆ど何の関わりもありません。
髪の毛が抜けたらなおさらです。

それでもその中の宇宙は続いています。
髪の毛が抜けたからといって、その中の宇宙のさらに一つの銀河の中の惑星の生命には何の影響もないからです。
もし燃えてなくなって土になってしまったり気体になったとしても、素粒子の世界は続いています。
さらにもっと極小の世界にはもっと無関係です。

でもその視点を今の自分に向けたとき、自分が中心になる世界が広がります。
ではなぜ私たち人間は存在しているのか。

この疑問は、現在無限の中に存在している私たちには本当のことはわからないのではないかと思います。

私たちが存在する意味

しかし、ここに生きているというのは私たちの現実です。
意味が無いはずはありません。
少なくとも自分にとっては。

ここで「地球人は科学的に創造された」の中の「真実を告げる書」にあるこちらを見てみます。

人間は、惑星や恒星を微粒子とする、巨大な存在の病気なのです。そして、この巨大な存在もまた、他の微粒子の寄生物なのです。極大と極小、どちらの方向にも無限なのです。
しかし、重要なことは、寄生物である私たち人類が絶えず存在を続け、決して滅亡しないようにすることです。

(「地球人は科学的に創造された」p84より)

極大の存在にとって私たちは寄生物ですが、滅亡しないようにすることが重要だそうです。
ですから、私たちの体の中にも存在する極小の世界の生物も寄生物で、滅亡しないようにしている存在はいるのでしょう。
でもなぜ滅亡しないことが重要なのか。

それはこちらの創造主の言葉でわかります。

 私たちは、あなたがたを創造したとき、自分たちの中に「書き込まれている」二次的使命を果たしていることに気づきませんでした。私たちは自分たちに対して行われたことを、繰り返していたのです。
私たちは、私たちの行った創造とその進歩から、私たち自身の起源を発見したのです。私たちもまた、現在では姿を消してしまった別の人間たちによって創造されたのです。

(「地球人は科学的に創造された」p84より)

「二次的使命」とは、自分たちが滅亡しないように命をつないでいくことなのでしょう。
同じように、私たち人間の科学技術が発展して新たな生命を創造することが私たちの使命としてDNAに書きこまれているのだと思います。
簡単にいうと、生命をつないでいくことが快楽になるようになっているのです。

これを読むと、人類の起源がどうとかいうレベルの議論をしている場合ではない気がします。

私たちもいつの日か消滅するかもしれませんが、その時までにはあなたがたも進歩を遂げて、私たちの役割を引き継いでくれることでしょう。ですから、あなたがたは、人間というかけがえのない存在を継続させていく鎖の環、なのです。別の世界が存在し、そこでも人間が確かに発展をしていることでしょう。

(「地球人は科学的に創造された」p85より)

私たちは創造主のさらにその創造主、恐らくはそうしてずっと続いてきた存在の中の通過点の人類です。
ここで次の生命につないでいくためには、私たち人間は進歩していく必要があるのです。

無限の中では、私たち人間の存在の意味がいまいち見つけられませんが、少なくとも私たちの創造主のさらに創造主たちから続いている生命にとっての希望なのです。

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