聖書に書かれている7つの封印で封じられた巻物とは Vol.41

真実を告げる書

聖書が世界で一番多く読まれている書籍というのは事実です。
しかしその理由は、世界にそのくらいキリスト教の人が多いからというだけではないでしょう。

そもそも聖書はキリスト教の聖典として使われてはいますが、キリスト教徒ではなくても読めるし、わざわざ本の聖書を買わなくてもネットで無料で公開もされています。
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聖書を読んでみるとわかりますが、その内容はキリスト教の教えというよりも、人間なら誰でも読んでおくといいものです。

聖書には人が生きていく上で大切な真理や、創造主やこの世界のことについての真実が書かれているからです。
それもただの過去の歴史だけではなく、現在を含めたもっと未来のことも書かれています。

それが本当かどうかは現時点では確かめようがありませんが、だからこそ今でも多くの人に読まれているのでしょう。
これから起きる恐れのある未来の事は気になりますからね。

私がこのことを理解できたのは「真実を告げる書」を読んだからです。
もし「真実を告げる書」を読まずに聖書だけを読んでいたら、難解でいまだに理解ができていなかったと思うし、なんだか怖いような部分もあり、自分には関係ないと思って読むのを止めてしまったと思います。

しかし「真実を告げる書」は、ただの聖書の解説の書ではありません。
聖書を完全に踏まえ、さらに聖書を超えた創造主からの新しいメッセージだと思っています。

聖書を超えたというと聖書を冒涜していると思われそうですが、そうではなく、聖書に続く新しいメッセージとして読むべきものということです。

この、地球の人々にとって重要だと思われる新しいメッセージは、聖書と同じように世界の人に読まれてもおかしくないと私は感じてます。

そしてさらに驚くべきことがわかりました。

この「真実を告げる書」は、なんと聖書にも書かれていたものだったのです。
どのように書かれているか、くわしく紹介します。

終わりの時まで封じられた書

まさかと思う方や、インチキ商法のようにただ「真実を告げる書」にそう書いているだけだと思う方もいるでしょう。

しかし、そう書かれているという聖書の部分を照らし合わせてみると、確かに書いてあります。
ただそれが本当にこの「真実を告げる書」のことかどうかは確かめる方法がありませんが、少なくとも私はそう思いました。
それに「真実を告げる書」はそれだけの役割がある重要なものだとも私は思うからです。

ではまず、「真実を告げる書」にはどう書いてあるのか、引用してご紹介します。
「真実を告げる書」の中では、該当する聖書の箇所をたくさん引用しています。

ダニエルよ、あなたは終わりの時まで、この言葉を秘し、この書を封じておきなさい。多くの者はあちこちと探り調べ、その知識が増すでしょう。
『ダニエル書』12章4節 

この言葉は、人間が十分な科学知識の水準に達したときに、初めて理解されるものです。そして今がその時なのです。そのすべてが、実際に起きるのです。

(「真実を告げる書」p54より)

「この書」について、これまで色々なところで推理されてきたと思いますが、はっきりと納得できるものは無かったでしょう。
「この書」とはまさに「真実を告げる書」の内容のことなのです。

「真実を告げる書」という書物は当時にはありませんが、この内容と同じことを記したものがあったのです。
しかし、それは当時の人々には理解できないものだったため、人々に公開はされませんでした。

なぜそう言えるかというと、「真実を告げる書」を信じるとすれば、上の文章の中に答えがあります。

この部分です。
「人間が十分な科学知識の水準に達したときに、初めて理解されるものです。」

もし、このダニエル書の内容が「真実を告げる書」についてではないとすると、一体何の事を言っているのかが、今でもわかりません。
ですから私は、この「真実を告げる書」の内容を信じたいです。

その証拠として「真実を告げる書」の内容は、現代の科学知識があれば、たとえ地球の科学がまだ創造主の惑星のレベルに達していなくても理解できます。

ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終わりの時まで秘し、かつ封じておかれます。
『ダニエル書』12章9節 

すべてが当時は理解不可能だったのです。しかし今や、すべてが理解できるようになりました。ここ数年の間に、人間は宇宙探査に着手するほどの目覚ましい科学的進歩を遂げたので、人間の目から見て、当然のように、すべてが可能と思われるようになりました。

(「真実を告げる書」p54より)

「真実を告げる書」を、科学知識が充分に発展していない時代の人が読んでも内容が理解出来ないことが多いでしょう。

ましてや聖書が書かれた時代の人々にはさっぱりわからないと思います。
もし読んでみても混乱する恐れもあります。
それはまさに聖書に書かれているように、当時の人々にとってはいくら調べまわってもたどりつけないことなのです。

このことは、ダニエル書に書いてあることに当てはまります。

真実を知ったダニエルでも、このことを書き残すことしかできませんでした。
そして当時を精いっぱい生きたのです。

科学が進んだ現在なら、きっと誰でもすんなりと理解できるでしょう。
ですから「終わりの時」はもう間もなくか、すでに到来しているのです。

蜜のように口に甘い巻物

聖書のダニエル書にはこんな箇所があります。

しかしわたしは、まず真理の書にしるされている事を、あなたに告げよう。

(「ダニエル書」10章21節より)

ダニエル書に書かれている「真理の書」や「真実の書」(表現は聖書の訳によって異なる)というのは、この「真実を告げる書」のことです。
もしくはそのメッセージの内容のことです。

 私のほうに伸べた手があった。また見よ、手の中に巻物があった。……その表にも裏にも、文字が書いてあった。
『エゼキエル書』2章9・10節 

人々が羊皮紙の片側にしか文字を書かなかった時代に、その巻物は驚くべきことに、表と裏の両方に文字が記されていたのです。そのあとで、この「巻物」は食べられました。つまり、エゼキエルが知識を得たということです。彼が学んだことは、今あなたが学びつつある人類の起源のことでした。それは実に興奮させる励ましとなるものだったので、彼は次のように言っています。 

私がそれを食べると、それは蜜のように口に甘かった。
『エゼキエル書』3章3節

(「真実を告げる書」p48より)

聖書に何度も出てくる「巻物」も「真実を告げる書」またはそのメッセージのことです。
巻物を食べるというのは、聖書ではおなじみの喩えです。
だから「蜜のように口に甘い」のも喩えです。

昔から聖書を読んでいる人ほど、その内容は衝撃的で受け入れられないかもしれませんが、「真実を告げる書」をきちんと読んでみれば、これが真理だとわかるはずです。

そして神秘的な救いの言葉よりももっと現実的で、本当の人類の希望が具体的に書かれています。
それはここに書かれているように、人類にとっての大きな励ましになるでしょう。

ですので、ただ「神様」を信じているだけではなく、一人ひとりが今できることをすればよいことがわかります。
しかしそれは気楽に楽しく生きるだけでいい、というのとは少し違います。

どうすれば良いかは聖書を読んだり、「真実を告げる書」が含まれている「地球人は科学的に創造された」を読めばその中にちゃんと書いてあります。

7つの封印で封じてある巻物

また次の文は「真実を告げる書」が含まれている「地球人は科学的に創造された」の第三部に書いてあるものです。
「真実を告げる書」を読んだ元ローマ・カトリック司祭の感想の中の言葉です。

第一のメッセージの表題でもある〝真実を告げる書〟のことは、『エゼキエル書』2章9・10節、『ヨハネの黙示録』5章1節などに示されており、中でも『ダニエル書』10章21節には、「しかし私は、まず真実の書に記されていることを、あなたに告げよう」とあり、同じく12章4節に、「ダニエルよ、あなたは終わりの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい。多くの者は、あちこちと探りを入れて調べ、そして知識が増すでしょう」と述べられている通りです。無限の観念(無限大と無限小)──その無限に向けて私たちの心を開くことこそ、そこに真理があります。

(「地球人は科学的に創造された」第三部 p337)

こちらの元ローマ・カトリック司祭の挙げた聖書の箇所は以下の部分です。

この時わたしが見ると、見よ、わたしの方に伸べた手があった。また見よ、手の中に巻物があった。 彼がわたしの前にこれを開くと、その表にも裏にも文字が書いてあった。その書かれていることは悲しみと、嘆きと、災の言葉であった。

(「エゼキエル書」2章9節・10節より)

わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。

(「ヨハネの黙示録」5章1節より)

この時代に、表と裏に文字が書いてあるのはよほど不思議で珍しかったのでしょう。
ガラケーがやっと出始めた頃に、スマートフォンを見せられたようなものでしょうか。

「地球人は科学的に創造された」は三部に分かれていて、創造主から現代の人類への主なメッセージは、第一部の「真実を告げる書」になります。

第二部と第三部は主に「真実を告げる書」のメッセージを創造主から直接聞き、世界に広める役割を与えられたラエル氏の言葉です。

その後の創造主からのメッセージも第三部の中にいくつかあります。
それは今にも起こり得る核戦争への警告と、現代のイスラエルの民へ向けたものです。
第一部の「真実を告げる書」に人類への基本的なメッセージが書いてあります。

その「真実を告げる書」は、全部で7章に分かれています。
これがヨハネの言う「7つの封印」ではないかと思います。

そして以下の箇所こそが、「巻物」が封印された理由です。
それは現代の人々にとっても大きな衝撃があることです。
封印は「真実を告げる書」によって解かれたのです。

7つの雷が声を発した時、私はそれを書き留めようとした。すると天から声があって、「7つの雷の語ったことを封印せよ。それを書き留めるな」と言うのを聞いた。『ヨハネの黙示録』10章4節 

そこで私たちは、神は存在せず、私たちも彼と同じような人間であると、ヨハネにハッキリと伝えました。
しかし、十分に科学技術が発達するまでは、それを明かすことは、神という「松葉杖」を必要とする人間たちの間に、あまりにも大きな混乱を引き起こす可能性があるので、私たちはヨハネに対し、私たちの説明したことを書き記さないように命じました。いつの日か、これらのことがすべての人々に理解されるであろう、と彼に説明して。

(「地球人は科学的に創造された」第三部 p285〜286より)

ここに書いてある「私たち」というのは人間を創造した創造主のことです。
つまり、遥か昔から現代でも未だに「神」と言われている存在のことです。

このことが、「レビ記」に記されている「つえとするパンを砕く」の意味になるのではないかと思います。

わたしがあなたがたのつえとするパンを砕くとき、十人の女が一つのかまどでパンを焼き、それをはかりにかけてあなたがたに渡すであろう。あなたがたは食べても満たされないであろう。

(「レビ記」26章26節より)

「つえとするパン」とは、「真実を告げる書」にある「神という『松葉杖』」のことだと思います。
つまりここでいう「パン」は、現代でも多くの人が信仰している「神様」やさまざまな宗教のことなのです。

現代より昔の時代の人々には信仰できる存在が必要だったことを創造主も認めているのです。
しかし「終わりの時」の現代では「真実を告げる書」の全てを理解できるので、人々にとっての「松葉杖」になっていた「神様」の真実を明かしても人々は歩いていけるのです。

むしろ、科学が進んだ現代で神や宗教を信じて生きているだけでは、人間は満たされないのです。

アポカリプスの本当の意味

私たちは現在、アポカリプスの時代に到達しました。アポカリプスの時代とは、「真実の啓示の時代」のことです。すなわち、すべてが科学的に理解可能となる時代を意味するのであって、間違っても、世間がそう信じ、どんな辞書にも出てくる「世界の終末」を意味するものではありません。

(「真実を告げる書」p221より)

「アポカリプス」といえば、都市伝説などでおなじみの「世界の終末」や「世界の終わり」などと言われます。

しかしそれは、その時が来たら隕石の衝突や何か自然に恐ろしい事が起こって世界が終わるということではないのです。
何処からかラッパの音が鳴って、太陽が自然に黒くなったり、月が赤く毛布のようになるのではありません。
それはヨハネが創造主の惑星で見せられた、世界がこのままだと将来起こりうることの映像です。
これは起こるとは限りませんが、このまま私たちが何もしなければ起こる可能性もあるものです。
関連記事ヨハネの黙示録では人間が核を利用することを予言している

アポカリプスとは全てを科学的に理解できる時代に真実を啓示することです。

その事によって、これまでの古い時代が終わり、新しいテクノロジーや考え方を利用した次の時代が始まるということなのです。

「アポカリプス」は時代の呼び方です。
原始の頃から人間は様々なことを経験し、自ら発展して科学的に十分な進化をした、まさに現代のことです。

この時代になる以前に「真実を告げる書」の内容を人間に説明しても理解出来ないため、創造主たちはこれを封印しておくようにしたのです。

そのことをダニエルやエゼキエルやヨハネは聖書の時代に創造主から聞いたのです。
しかし当時にこの事を知っても、聖書としてメッセージを残すことしか出来ませんでした。
そして自分の人生を生きたのです。

科学的に進化した現代の人々なら、初めて見たらどんなに不思議な現象に見えることでも、科学的に説明出来る事だろうと考え、きっと受け入れられます。

聖書に書かれている、人間や生物の創造や、創造主たちやイエスが起こした奇跡は科学の力です。
サタンや悪魔のしたことも科学の力なのです。
もちろんルシファーたちの科学もそうです。
全て同じ創造主の惑星の科学です。

この、実は単純なことを、現在のこの世界ではとても複雑にされているだけなのです。

このことは、現代も続いているこの世界の対立など何の意味も無いことを表しています。
この事についてはまた別の記事で書きたいと思います。

宇宙の始まりから世界を作ったのは、私たちを作った創造主ではありませんが、私たちの創造主の科学は、この宇宙全体の仕組みを上手く利用しているものなのだと思います。

そしていずれは、私たちも創造主たちと同じような科学の水準に達したとき、新しい種類の人類を創造する日が来るでしょう。
それは、創造主にとっての希望でもあります。

その時にはきっと、この地球は創造主たちの惑星のような、または現在もイエス達が暮らしている天国のような惑星と同じような素晴らしい世界になっているでしょう。

ただし、それは人類が科学の発展に無事成功した時の話です。
というのは、今の時点ではまだ私たち地球の人々は、核で破滅する可能性もなくなってはいないからです。

どちらの未来になるかは今は誰もわかりません。
創造主でさえもです。

信じるか信じないかは読書の皆さんの自由です。

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