創造主の存在は隠されているのかもしれない Vol.96

キリスト

私が参考にしている聖書や「地球人は科学的に創造された」では、人間を創造したとされる創造主の存在が書かれています。

しかし一般的な考えでは、創造主の存在が信じられることはほとんどありません。
もし自分は信じているなどと言えば、宗教を信仰しているか都市伝説やオカルトの類いだと思われることもあります。

これについては、学校教育で人間は猿から進化したと教わりますから仕方がないのです。
学校で教えられたことが嘘だなんて、その方が信じられないですからね。

ですが、進化論が正しく、宇宙の全てのものは自然に発生したとすると、この地球の環境を整え、全ての植物と生物を作り、最後に私たち人間を創造したとされる創造主の存在がどこにも無くなってしまうのです。

これはただの偶然なのでしょうか。
もしかして創造主の存在を隠したい存在がいるのかもしれないとも思えます。

これが事実だとすると、何のためにでしょう。

創造主の存在とは

創造主というと、おそらく2種類の概念があります。

一つはこの宇宙全てを作っているもの。
それには意識というものはなく、善悪もなく、この宇宙にある全てのものの元になっています。
全ての空間や物質に変化して、ただ存在しているだけのものです。

もう一つは、私たち人間を実際に地球に作った存在です。
地球からは遠い惑星に住む、実在する存在です。
私がこのブログで書いている創造主はこちらです。

ですから創造主は宗教的な神様ではないし、自然を擬人化した神様でもありません。

まず始めに、生命の元になる胚というものを作ることに成功し、その後に様々な生物を作りました。

そしてついに自分たちと同じような生命体である人間を作ったのです。
これは例えや神話ではなく、本当に科学的に作ったのです。

このことが事実なら、人間を作った創造主は物理的に実在する存在になります。

創造主の存在の痕跡

人間を作った創造主が実在するという確実な証拠は今のところありません。

しかし確実とは言えませんが、もしかしたらいたのではないか、いた可能性はゼロではないというものはあります。

それは聖書です。
聖書には神や御使いといわれる存在が奇跡のような事をした記述がたくさんあります。

また、世界中にある壁画などにもその痕跡は見つけられるし、太古の時代の遺跡からも高度な技術を伝えた存在がいた可能性は十分に考えられます。

現代の技術が進歩すればするほど、その当時の技術がどれだけ高度だったかが理解できると思います。

ですからむしろ、昔の人間だけでピラミッドや高い山の上に遺跡を作ったり、現代にも受け継がれるような知恵を生み出したと考える方が不思議で無理があることが分かります。

神と創造主は違うのか

創造主の存在を否定することは、聖書には嘘や作り話が書かれているということになってしまいます。
もともと聖書は作り話だと言われればそれで済むのかもしれませんが。

ですが、聖書の内容は事実に基づいているものが多いことがわかっています。
ですから全てが作り話とは言えません。

ほとんどが事実の中で、創造主の部分だけが人間の想像や作り話だという方が不自然だし、話がややこしくなります。

また、創造主は神なのだ、という人も多いでしょう。
ではその神とはどんな存在ですか?
全ての自然の中にある存在ですか?
それとも人間の中にある内なる存在でしょうか。

確かにそのような存在はあると私は思います。
ですが、その存在と聖書の創造主は別だと思います。

神と人間が細かくやりとりしている事が書いてある聖書はなぜ書かれたのでしょう。

時々怒ったりもする、とても人間的な部分もある神です。

そしてキリスト教ではイエスはただの人間ではなく神とされています。
イエス・キリストは神の子だからイエスも神なのでしょうか。
しかし、イエスは実在した人間なのです。

架空の存在や自然的な神から人間が生まれる事の方が、想像がつかないし不思議です。
産んだのは母のマリアですが、そのお腹にイエスを入れた存在は、架空の神ではないはずです。

わざわざ聖書で嘘と事実を混ぜた複雑な書き方をする意味がわかりません。
このことから、聖書は創造主の箇所も含めて全てがほとんど事実だと考えた方が自然です。

だとすれば、やはり意図的に創造主の存在を隠したい人がいるのかもしれません。

人間たちがこうなることを創造主はもちろんわかっていたのでしょう。
だから自分たちの存在の痕跡を残すために当時の人間たちに聖書を書かせたのです。

聖書は少しでも改ざんすると辻褄が合わず、逆に真実が浮かび上がるようになっているのかもしれません。

なぜ創造主の存在を隠すのか

では今度は見かたを変えて、創造主の存在を隠す理由を考えてみます。

創造主の存在を隠したいと考える存在は、反対に創造主や宇宙の仲間たちを知っていることになります。

そんな人たちは、ある時この世界の人々を欲で支配することの楽しさを知ってしまいました。
しかし創造主の存在を知っているからといって、簡単に世界を支配できるとは思えません。

何かそのコツを伝授されたのです。
それはもしかすると、サタンの誘惑に負けた人間なのかもしれません。

サタンが人間を誘惑するのは、創造主たちが人間に伝えたい真実を世界中に広めるのに相応しい人かを確かめるためでした。

サタンは自分を崇拝するという条件で、その人間を富ませることもできます。
しかし実はサタンと創造主は繋がっているので、全ては創造主に筒抜けです。

イエスも荒野でサタンに何度も試され、そして合格したのです。
もし、イエスがサタンの誘惑に負けていたなら、イエスは世界の大富豪の1人としてただ生きていたのかもしれません。

そんな人間はおそらく、欲で人々を支配できる世界は必ず終わることはわかっているのです。

その世界を少しでも長引かせるための悪あがきが現在のこの世界なのかもしれません。

本当は創造主の存在を隠したいけれど、どうしても完全に隠すことは難しいので、少し変えたりしてなんとかごまかしているのです。

創造主を謎の宇宙人として人々に刷り込むこともその一つの手段なのかもしれません。

これまではその方法で上手くいきましたが、人々が気付き始めている今は、そろそろ隠しきれなくなっています。

もしかすると、もうすぐ誰もが真実を知る時が来るのかもしれませんね。

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