鬼とは何か Vol.164

古事記

この世界にはなぜか鬼が出てくる話や伝説がたくさんあります。
桃太郎やこぶ取り爺さん、泣いた赤鬼など。

しかしそれぞれの鬼の伝説は全く別の話だと思えるので、鬼は共通する一つの存在を表しているとは考えにくいです。

そもそも鬼とは昔話やアニメなどで登場する架空の怪物のイメージで、実在しないものだというのが一般的な感覚だと思います。
私ももちろんそう思っていましたが、鬼の伝説が多いことや鬼に関する風習があるのが気になってきました。

昔から伝わる伝説や風習とはただ楽しむための言い伝えや行事ではなく、何かを後世の人々に伝える役割があると思うからです。

そこで鬼に関する昔話というのはもしかすると古事記のように何かのたとえで作られているのではないかと考えてみたのです。
するとある一つのことが見えてきました。

鬼は何を表しているのか

鬼が出てくる話ではほとんどの鬼は悪者です。

ですが鬼はただの怪物ではなく、神の使いとして書かれているものもあります。
また、なまはげは怠け者の子どもや嫁を戒め、無病息災と五穀豊穣を祈り、邪気を払うといわれます。
そのなまはげは鬼です。

こういった鬼は人間の心にいるものだとか、想像上のものという実体のないものとも考えられますが、それにしては鬼を象徴するものが多いし、それらは角があったりと共通点があります。

ここから私が思いつくのは、いつものように創造主たちです。

このブログを読んだことがある方は、私は何でも創造主や宇宙文明と繋げたがると思われるかもしれません。
ですが実際にこういった不思議な存在と思えるものについて現実的に考えてみると、そう考えた方が自然で辻褄が合うのです。

もちろん全然違う可能性もありますが、むしろ全くの架空で本当は存在しなかったものだという方が不自然なのです。
ですから私はこれからもこの可能性も含めて考えていきます。

旧約聖書の神は正になまはげのように人間をいさめ、ときには怒り、いつも近くにいたイスラエルの人々からは恐れられる存在でもあったと思います。
その存在は、実際に知っている人ほどそのすごさを実感できると思います。
まるで鬼のような厳しさを実感していたのも近くにいた人間なのです。
しかしそれは人間のことを思うからこそだったとも思います。

そして古事記で須佐之男命として書かれたルシファーたちは、生活や農業の知恵を与え、洪水などの対策をしたりして人間を助けました。
これを無病息災や五穀豊穣を祈ったことだと捉えることもできます。
祈りよりも現実的で実際に効果のあるものですが。

では鬼として伝わる姿は何なのかというと、創造主たちは大気の違いから地球の地上では生身のままではいられなかったと思います。
ですから地上に現れるときは宇宙服を着ていて、頭部には通信のためのアンテナのようなものがあったとも考えられるため、その姿が現在まで伝わる鬼の姿なのかもしれません。

もう一つの鬼の存在

泣いた赤鬼は悪い鬼ではないですが、人間たちが最初から鬼は悪いものだと思っています。
このことから鬼とは人間が悪いものだと思っているだけで、人間を傷つけようとはしていないようにも思えます。

そういった存在を考えてみたとき、古事記の国譲りが思い浮かびました。

国譲りとは、この人間の世界を人間と一緒に作り上げた創造主の惑星から来たルシファーたちが、その統治権を宇宙文明に譲ったというものだと私は考えています。

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古事記によれば、その際に少しのいざこざがありましたが、最後には天照大御神に譲られました。
そして国譲り後には天孫降臨があり、この地上の国は天照大御神の一部である宇宙文明に統治されているといえます。

当時のこの地上の人々にとって、国譲り前に地上にいた須佐之男命などの国津神はこの世界を一緒に作ってきた親のような存在だったと思います。
しかし国譲り後は国津神は隠れ、この世界は天照大御神の孫に任されました。

このことを現実の世界で表すと、地球に自然の環境と人間を創造し、ノアの大洪水から救った創造主の惑星のルシファーたちと人間が暮らしていたこの地球の統治が、ある時から宇宙文明から来た人物による統治に変わったのです。

おそらく当時の国津神といえる地球にいたルシファーたち科学者は、人間たちに生きるための知恵をたくさん教えてくれ、親のような存在として敬われていたのではないかと思います。
その頃はルシファーたちは宇宙服を着て現れたり、宇宙船が雲に隠れて現れたりといった感じで人間の前に普通に表れていた可能性があります。

それなのにある時から人間の世界の統治を宇宙文明に譲られたため、ルシファーたちは人間の世界からは姿を消し、人間には見えない場所から見守ることにしたのです。
このことは古事記によれば少し強引に譲らされたように書かれていることから、当時の人間からもそう思われた部分があるのかもしれません。

当時の世界の実際の様子がどうだったかはわかりませんが、天照大御神の孫である邇邇芸命は宇宙船のようなもので天からやってきたでしょう。

宇宙文明から派遣された天孫は人間と同じ姿ですが、人間たちにとってはよそ者という感じですんなりと歓迎はされていなかったとも考えられます。

昔話に登場する鬼はだいたい人間と仲良くありません。
むしろ人間から嫌われています。

この昔話からも、悪い鬼とは国譲りで国津神からこの地上の世界を無理やり奪い取ったというイメージから作られた天照大御神の子孫を表しているように思えます。
それは国津神の立場からの印象です。

とはいっても、国津神である大国主は国譲りに同意しましたから、もしも天照大御神側を鬼にたとえるなら、それは国津神ではなく、当時の人間たちがたとえ話として後世に伝えようと作ったのではないでしょうか。

もしかすると現在でもこういった勢力の対立が続いている可能性はあります。
しかしそれは人間の中でのことであり、天津神と国津神が対立しているわけではないのです。
それに国譲りによって、ルシファーたちはこの地球の人間を守ったともいえます。

古事記や聖書で神にたとえられている宇宙文明や創造主の惑星と、地球にいたルシファーたち科学者はとっくに和解していて、そんなことよりも今の地球の人間たちの未来を心配していると思います。
それはまさに親が子を心配しているような感じです。

このことから、鬼は国津神のことも表すし、天津神から派遣された子孫たちを表すとも考えられます。

泣いた赤鬼のモデルは国津神と天孫で、天孫が人間たちに受け入れられるように国津神が悪者になったのではないでしょうか。
赤鬼と青鬼との違いはこれなのかもしれません。

鬼は創造主を隠すため?

この私の考えがもし本当だとして、なぜ創造主や宇宙文明の存在を鬼にたとえて伝えているのかと考えたとき、その存在を隠すためではないかと思いました。

その理由は、人間以外の存在が過去に人間に関わっていたという事実を隠すためです。
なぜ隠すのかというと、神という存在の意味が変わることが都合が悪い人たちがいるからです。

その人たちにとっては恐らく創造主のいた証拠も都合が悪いのです。
そのために神のような人間を超越した存在を強調しているのです。

ですから神のしたことだと伝えられていることが、本当は神などではなく人間と同じように実在する存在がしたという事実があってはまずいのです。

さらにその存在は地球侵略などの怪しい目的で地球にいたわけではなく、地球に環境を作って人類を創造し、人間の進歩を手伝ってきた親や兄弟のような存在だということが知れてしまうのはとても都合が悪いのです。

普通の人間の技とは思えないことが伝説や神話では伝えられています。
仕方がないので神の仕業になっているものもありますが、神は実体のない霊のような存在だとするとどうしても辻褄が合わないこともあります。

その場合には、聖書では天使や御使いのしたこととして書いてあります。
同じようにこの日本では鬼や神の使いの仕業とされているのかもしれません。

また、どう考えても人間以外の存在が関与したと考えられる様々な消すことのできない証拠は、何か別の原因にすり替えたのです。
例えば人間の能力だけでは作るのが不可能だと思える場所にある遺跡などは、古代の人間が優れていただけということにしたり、単なる自然の現象だとしたりです。

なぜそこまでするのかは、現在の世界の状況を大きく見てみるとわかってくると思います。

ちなみに今回の内容はただの私の妄想のようなものなので、信じるかどうかは皆さんの自由です。

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