今回も「真実を告げる書」を参考にして記事を書いていきます。
前回までの記事はこちらになります。
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聖書の創世記の第3章で、「へび」がエヴァに善悪を知る木から実をとって食べても死なないことを教え、それによってエヴァはその実を食べてしまい、さらにアダムにも与えてしまいました。
このときの「へび」は「真実を告げる書」によれば比喩のようなものでした。
実際はへびではなく、創造主たちの惑星から地球に来た科学者のうちの一つのグループです。
つまり、人間を創った創造主ということです。
詳しくは前回の記事にありますので、そちらを読んでみてください。
へびは悪魔なのか?
ところで、この「へび」は、この後聖書にたくさん登場する悪魔といわれていることが多いです。
創世記のはじめにだけ「へび」として書かれている悪魔。
悪魔は聖書で登場するとき、人間の預言者を誘惑したり試したりします。
それで創世記でのエヴァも悪魔に試されたとか、誘惑されたと捉えられているのでしょう。
しかし「真実を告げる書」を読んでいくと、それは違うということがわかります。
聖書で登場する悪魔は「サタン」です。
サタンについても「真実を告げる書」の中できちんと説明されていますが、「へび」とは別人です。
ですから、聖書でエヴァを誘惑した「へび」は悪魔「サタン」ではありません。
前回、自分たちが創造した人間の子供たちを自分の本当の子供のように愛し始め、科学を教えた科学者のグループがいることをお伝えしました。
ここで、ルシファーが登場します。その名は語源的には「光を運ぶ人」を意味します。ルシファーは地球上に生命、したがって人間を創造したエロヒムの中のひとりです。
(「真実を告げる書」p264より)
ルシファーは、最初の人造人間の行動を研究する、ある1つの遺伝子工学実験場において、一つの科学者グループの長でした。
(「真実を告げる書」p264より)
「エロヒム」は「天空から来た人々」という意味で、創造主たちのことです。
人間に科学を教えたグループの長が「ルシファー」だったのです。
だからルシファーはへびの姿ではありません。
ルシファーが人間たちに禁止されていた科学を教えてしまった理由は、
肉体的にも精神的にも美しく立派で知性的な創造物が、偶像の前に平伏すように自分たちの前に平伏する姿を見ることには、もはや耐えられなかったからです。
(「真実を告げる書」p264より)
とあります。
そして人間たちに科学を教えてしまいます。
こうして人間は、自分たちも創造者になれることを知りました。そして、彼らの両親たちが彼らに科学の書に触れることを禁じ、自分たちをまるで、実験室の危険な動物のように見なしていたことを恨みました。
(「真実を告げる書」p24より)
「両親」とは創造主たちのことです。
これにより、人間たちは「目が開け」たのです。
創造主たちの真実を知り、科学的に進歩できるようになったということです。
ルシファーは、人間たちを愛している創造者なんです。
こうして、「光を運ぶ人」としてのルシファーは、人間に光をもたらし、人間たちの創造者は神ではなく、人間と同じ者であることを明らかにしました。
(「真実を告げる書」p265より)
ルシファーの意味は「光を運ぶ人」なので、人間からの視点から付けられた名前でしょう。きっと地球や聖書での呼び方です。
しかし、このことは創造主の惑星からすると、創造した人間が科学を進歩させて自分たちの科学レベルに近づくことができるということなので、脅威になる恐れもできてしまったわけです。
創造した人間には科学を教えないという惑星政府からの条件だったのに科学を教えてしまったルシファーのグループは、創造主の惑星から有罪の判決を受けて地球で暮らすことになりました。
このことは、前回の記事でお伝えしました。
それはつまり、自分たちの惑星に帰ることを許されなかったのです。
このことが天(宇宙)から来ていたルシファーたちが「堕天使」と言われる理由だと思います。
なのでこれによれば、聖書で堕天使ルシファーは人間に嫉妬して神様に反逆するようになったと言われていますが、それは違うということになります。
喩えだとしてもこれは違います。
ルシファーたちは人間を心から想っていたんですから。
この当時の人たちは、それまでは創造主たちを神のように崇めていましたが、ルシファーから科学を教えられてからは、創造主たちは「神」ではなく、自分たち「人間」と同じだと知りました。
人の心にある悪とは
聖書に人間の「悪」についてあります。
主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。
(創世記 第6章5節より)
この「悪」については、私は現在でも言えるような人間の悪い心のことだと思っていました。
たとえば他人を思いやる心が欠如していることなど。
でも人が思うことが悪い事ばかりと強調して言うのは、いったいどんな心のことだろうかと考えて調べても、なんだか納得できるような答えが見つかりませんでした。
この時代にはそんなに世界中が思いやりのない人ばかりになってしまったのだろうかと。
自分なりに調べた結果、悪とは
「神を忘れて自分勝手に生きること」
というのが一番しっくりときましたが、このことが創造主が全生命を滅ぼす「ノアの大洪水」を起こす原因になるほどのことなのかと考えると、やっぱりまだ納得できません。
創造した人間たちが創造主を想う気持ちを無くしたとしても、また、感謝を忘れたとしても、それが全生命を滅ぼすくらいの理由になるのかと。
「神様」は厳しすぎるのでは?と思っていました。
すると「真実を告げる書」にその答えがありました。
ここでいう悪とは、人間たちが科学的に自立し、創造者たちと同等になろうとする欲望のことであり
(「真実を告げる書」p26より)
とあります。
つまり、科学を知った人間たちが科学的に創造主たちと同等になろうとする心のことだったのです。
人間が自分たち人間を創造してくれた創造主への恩を忘れ、感謝の心も忘れて思い上がる心のことでもあったのではないかと、私は思います。
それでも、人間が科学を知らなければそれほど問題ではなかったでしょう。
または仮に人間が創造主と科学的に同等になったとしても、創造主たちを尊敬し、創造してくれたことに感謝をして、両親を愛する心があったなら、創造主たちにとって脅威にはならず、問題視もされなかったでしょう。
しかしきっと、当時の人間たちは、科学的には現在よりもかなり発展していたのですが、創造主たちを愛し敬う心がとても少なかったのだと思います。
または両親を思う心があったとしても、反抗期の子供のようだったのかもしれません。
私の中での聖書のイメージで言えば信仰心が欠けていたのですね。
それではたとえ科学的に進歩することで創造主たちに追いつけたとしても、心が進歩していないので、きっとその科学技術は危険なものになってしまうでしょう。
人間にとって便利な車でも、小さな子供に運転させるのはとても危険なことと同じです。
さらに創造主たちが人間たちを危険だと感じる理由がありました。
そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。
(創世記 第6章4節より)
と聖書にあるのは、「真実を告げる書」によると次のような意味でした。
創造者たちが、自分たちの姿に似せて創造した人間の娘たちとの性的な結びつきで、特別に優れた子供たちを産ませることができた、という証拠です。
(「真実を告げる書」p26より)
創造主たちと人間の間に生まれた子供たちは、ネピリムといって体力も頭脳も特別に優れていた人種のようです。
「真実を告げる書」には特に書いてありませんが、私は巨人と言われる人だったのではないかと思います。
そのため創造主たちの惑星の人たちから見たら、地球の科学は危険なくらいに進歩したのです。
もしかしたら創造主の惑星に行くこともできるくらい発展していた可能性もあります。
もちろん、創造主たちの惑星の人たちにとっては、とても恐ろしかったでしょう。
このことが後の「ノアの大洪水」を起こす結果になってしまったのです。
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