地球平面説(フラットアース)は真実か考えてみる Vol.178

聖書

聖書を信じている人々の中には、この地球は平らであると考えている人がいるのを知っていますか?

一般の人々からはフラットアース説や地球平面説と言われています。
それはもちろんトンデモ説という扱いです。

私もこの地球が丸い球体だというのは宇宙から撮影された写真などからもわかるので、これを平らだというのはあまりにも無理があるとも思えます。

とはいえ実際に私がこの目で地球が丸い所を見たわけではないため、もしも宇宙からの写真がねつ造や合成だとしたら、地球が本当に球体なのかを確認することは出来ません。

宇宙ステーションからの映像は地球に近すぎるため、完全な球体と確認できませんし、NASAのホームページで公開している地球の画像も、何枚かの衛星からの写真を合成しているそうです。

ですが宇宙に超望遠レンズを向けて他の惑星を撮影するとみんな球体なので、この地球も恐らく球体だろうと考えられます。

ならば地球平面説について考えるのは無駄なことなのかも知れませんが、地球平面説を説いたものを見てみると頭から否定できない部分もあります。

そもそも地球が球体か平面かなんて、この地球上で生きている私たちには直接関係ないしどっちでもいいという人もいるでしょう。
実際に生活しているのはほぼ平面といえるこの大地の上なのですから。

私は地球平面説をそのまま信じているわけではありませんが、そういった説があるのは事実です。

そこで今回は、この地球平面説について、私なりにああでもないこうでもないと思うことを書いてみようと思います。

地球は球体という常識

地球が球体であることは学校の勉強で教わることなので、これが現代の人々の基本の知識だと思います。

この地球球体説は紀元前600年頃のギリシャ哲学から始まっており、寧ろそれまでは地球は平面だという認識が普通でした。
その後、1522年にマゼラン艦隊が地球一周旅行を成し遂げたことで地球が球体だと証明されたといわれています。

参考リンク: Wikipedia / 地球球体説

つまり地球が球体であることは、客観的に丸い地球を観察して球体だと証明したのではなく、主な根拠は地球一周旅行だったのです。
それは例えると、目隠しをして手で何かの物体が球体か平面かを確認するようなものです。
それも手で全体を触れる大きさではないため、自分の感覚と思考で形を推理するしかないのです。

航海で地球の丸さを証明したとすれば、それだけでは球体とはわからないような気がするのは私だけでしょうか。
それなら球体ではなく円盤状の可能性も残るのではないかと思います。

それでもその時からずっと地球は球体といわれているし、客観的な地球の撮影によっても確認できます。
ですが、もしもよく見る地球の球体の映像が作られたもので、空撮などで撮影された丸い地平線はレンズのゆがみや編集されたものだとしたら、他にどうやって地球が球体だと証明できるでしょうか。

実際にそのような地球の球体の映像がなければ、現在でもはっきりと地球の丸さを証明するのは難しいでしょう。

もしも本当に地球が平面だとしたらと考える

この地球がもしも平面だとしたら、この世界はどうなっているのか考えてみます。

いわゆる地球平面説では世界は丸い円盤状であり、空はドーム状に覆われていてその中を太陽と月が周っているそうです。
地球の端は全て南極の氷の壁になっているため、果てを見ることはできません。
そして北極が丸い円盤の中心にあるそうです。

そんな非科学的なことがあるはずがないと思っても、この説でも一応この世界との辻褄は合うので否定はできません。
では人工衛星はどうなっているのかというと、この場合はドームの内側を周っているのです。

他に何か地球が平面だとしたらありえないことがあるでしょうか。

例えば太陽系の他の惑星は球体なのだから、やっぱりこの地球だけが平面だなんて考えられないとも思えます。
だとすると太陽系の仕組み自体が作られた嘘なのかもしれません。
さすがにそれはないだろうと思わせる壮大な嘘です。

考えると頭が爆発しそうになってきますが、この世界の常識が壮大な嘘だったとしたら、常識の考えを根本から変えないとその嘘は見抜けません。

そこで地球平面説では否定されている、太陽系の中に地球があるということを疑ってみます。

地球平面説では太陽と月は地上のドームの中をぐるぐる回っています。
他の太陽系の惑星や他の沢山の星たちはドームの外にあるのか、もしかすると単なるリアルな映像やホログラムがドームに映されているのかもしれません。

私たちの常識ではあり得ないと思えても全くあり得ないとは言えないと思います。

ただ、これがもし本当だとしたら、宇宙船で他の惑星に行ったアミや「地球人は科学的に創造された」の旅は嘘なのかと思ってしまいます。

そもそもアミや「地球人は科学的に創造された」は事実とは信じられないものですから、これを真剣に考えること自体が変ですが、私は気になるので考えてみます。

宇宙から見た地球

アミの宇宙船の窓はスクリーンにもなるので、宇宙を飛んでいるように映し出しただけだったとも考えられます。

アミの宇宙船で遠い星へ行くときは移動するというよりワープしていたので、ワープしている間は窓の外の景色は星の光が伸びたようになって実際の景色とはいえないものでした。
そのワープの景色は実は嘘の映像で、実はとても近くに移動していたのかも知れません。
つまり地球と同じような環境の平面のドームはいくつもあり、地球の人類のような人々も宇宙に沢山いるのです。

すると宇宙から平面の地球を見るとどうなっているのか気になります。
地球平面説の説明でよく見る平面の地球が宇宙空間に浮いているのでしょうか。
しかしそれだと本当に有り得ないような気がしてきます。

そうだとしたら地球が平面というより、地球の何倍もある惑星の上にいくつものドームがあり、地球はその中の一つのドームとも考えられます。

地球に似た別の惑星に行ったときは、実は隣のドームだったのかもしれません。

この地球にいる私たちにとって、隣に別の惑星だと思っていたドームがあるのかどうかなんてわかりません。
そもそも地球以外に知的生命体がいる惑星を発見することもできていないのですから。

隣のドームへ移動するには、ドームを通り抜けるか地球の地面の中を通って出るのです。
どちらでも一度上空まで宇宙船で飛び、ある程度の高さまで飛んだらワープをすると言って窓に別の景色を映し、実際にはドームを抜けるか地球の中に入ってこの平面の地球の外へ出るのです。

そしてこのドームは核爆発などが起こってもドームの外には何の影響もないため、地球は決められた時までは何があってもこのままなのです。

つまり地球平面説のドームは、聖書のノアの大洪水後に、神が人間を悪いと思っても二度と洪水で滅ぼす事はしないと言った、地球の虹のできる仕組みなのかもしれません。
虹の形が半円形なのは空がドーム型だからだとも思えてきます。

9:13すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。 9:14わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。 9:15こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。 9:16にじが雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」。 9:17そして神はノアに言われた、「これがわたしと地にあるすべて肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである」。
(「創世記」9章13節~17節より)

ドーム型の何かで覆われた平面の地球は、最後に審判を受ける人類が住むために用意された場所なのかもしれません。
虹はドームの存在を思い出させるものであり、ドームは最後の審判が起こる証拠であるため、人間がどれほど悪いことをしても全人類を滅ぼす必要はないということなのです。

最後の時には今見えている太陽と月の役割は終わってドームが外され、審判のための光が中に入ってくるのです。

すると聖書のこの言葉の意味がよくわかる気がします。

24:29しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
(「マタイによる福音書」24章29節より)

地球が平面という意味

今回は地球平面説について考えてみましたが、私自身は現在は半信半疑という感じです。
全くありえないともいえないと思っています。

地球が球体か平面かは、その形自体が問題なわけではありません。
どちらでも地球で生きて行くことに変わりはないからです。

しかし私たち人類が存在している意味は大きく変わると思います。

もしも地球が本当に平面だとしたら、真実の宇宙はどうなっているのでしょうか。
先にも書いたように、私たちが今見えていると思っている宇宙は全て、平面の地球を覆うドームに投影された立体的なホログラムなのかもしれません。

そうだとすると、私たち人類は広い宇宙の中に浮かぶ球体の地球に自然に発生した孤独な生命なんかではありません。
むしろ、とても厳重に保護されながら生きている生命の集まりだということになります。

すると真実の宇宙といえるドームの外側はどうなっているのかと考えると、宇宙の仲間がたくさん見守っている巨大な実験場のような場所かもしれません。
または、平面の地球は以前に書いたようなバーチャルリアリティーのようなもので、この世界のものは全てが実際には存在しないただの実態のあるホログラムでできているのです。
本当の自分はこのドームの外の世界に存在しているのです。

この考えは地球が球体でも同じですが、平面でドームの外に本当の世界がある方がもっとイメージしやすくなります。

関連記事:この世界はバーチャルリアリティーかもしれない Vol.15

では何のために私たちはこの中で生きているのかというと、魂の成長のためというシンプルな理由です。
魂が成長するまで、このドームの中の人生は何度でも繰り返されるのです。
科学の進歩は、ある程度のレベルに達した魂にはそれほど重要ではありません。
なぜならそれ以上の進歩した科学は宇宙に存在していて、それを受け継ぐだけでいいからです。

すでにある宇宙のテクノロジーは受け継がずに自力で発達したいというのは、この地球でいえば便利な家電やインターネットなどの技術がすでにあるのに、新たに生まれた世代の子どもたちはそれを受け継がずに一から開発したいというようなものです。
その好奇心は素晴らしいですが、人類の発展が目的ならばあまりにも効率が悪いと思います。

またはRPGでセーブしないで毎回オープニングからプレイするようなものです。
多くの人がそうしないでセーブするのは、毎回始めからプレイして1からレベルを上げる体験を味わう楽しみより、続きから進めて効率をよくすることを選んでいるからですよね。

そしてついに一定のレベル以上になれた魂はその繰り返しから脱出できるというゲームのようなシステムなのかもしれません。

それは映画の「トゥルーマン・ショー」のような世界です。

この魂の成長については球体の地球で考えても別に同じだと思うのですが、この地球が平面でドームに覆われた全く人工的な地球だと考えた方が、保護されながら生かされているこの人類の意味がよく理解できるような気がします。

地球は球体だと言うのが真実だとしても、地球が平面だという考え方の方が人間の真実を表しているのかもしれません。

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