今回はこちらの記事の続きになります。
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キリストの奇跡は、聖書の内容が真実だと証明するために必要でした。
そしてもう一つ、キリストといえばあの有名な復活です。
キリストの復活とは、新約聖書の「ヨハネによる福音書」などに書かれているものです。
キリストの処刑と復活は旧約聖書でも預言されていました。
そして新約聖書ではそのことが本当に起こったことが書かれています。
これがただのおとぎ話なら特にびっくりすることではないですが、聖書は事実として広まり、多くの人々に読まれ、信じられていますので、謎はどんどん深まります。
今回はこのキリストの復活について書いていきます。
ちなみにこの記事は「真実を告げる書」を参考にしています。
「真実を告げる書」は、聖書を書かせた創造主が現代の人に書くように依頼した書籍ですから、信じるか信じないかはみなさんの自由です。
ではいきます。
本当にキリストの体は復活したのか
以前の記事に書いたように、イエス・キリストは創造主の惑星の科学技術を伝授され、その技術を使って奇跡のようなことをたくさんの人に見せて、旧約聖書と創造主の存在を知らない人々に広めていました。
その後、キリストは十字架に磔(はりつけ)にされて処刑されました。
十字架に磔にされる刑は、当時の処刑方法の中でもとても重い罪を犯した人が受けるものでしたが、新約聖書を読んでみるとキリストはそのような重い罪を犯してはいません。
ただ、創造主の真実と旧約聖書を知るイスラエルの民のユダヤ人にとっては、イエスは神を汚したという罪があるといわれています。
そしてイエスをキリスト(救世主)とは認めませんでした。
そのため、十字架の罪状には「キリスト」ではなく、「ナザレ出身のただのイエスという人」という意味の「ナザレのイエス」と書かれています。
それと一緒に、罪状には「ユダヤ人の王」とも書かれたので、イエスを訴えた祭司長たちが「ユダヤ人の王」ではなく、「ユダヤ人の王と自称していた」と書いて欲しいと言いましたが、すでに書いてあるのでそのままにされました。
ですから、ユダヤ人たちは現在でもイエスをキリストとは認めていないといわれます。
このことについては、世の中でいわれている理由は諸説ありますが、ここではあまり深く触れません。
そしてキリストの処刑と一緒に語られるのは、キリストの復活です。
十字架に磔にされ、死んでから3日目に復活したというものです。
興味深いのは、この復活はたとえ話や象徴的なことではなく、本当にキリストの肉体が復活したということです。
このことは新約聖書にちゃんと書かれています。
聖書自体が事実ではないという説もありますが、世界に残る多くの証拠が事実だと証明しているといわれます。
その中で、キリストの復活だけが事実ではないという方が不自然です。
ですから作り話やおとぎ話ではなく、事実として世界に広まっている出来事なのです。
そして今は私も事実だと思っています。
キリストが復活する意味
キリストの肉体がどんな仕組みで復活したのかということは、あまり重要なことではありません。
このブログや「真実を告げる書」を読んだ方ならわかると思いますが、キリストの復活は奇跡などではなく、創造主の惑星の科学技術によるものでした。
新約聖書にそのときの様子が書かれています。
さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。 すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。
(「マタイによる福音書」28章1節~3節より)
このことが「真実を告げる書」にはこう書いてあります。
イエスは死んだあと、創造者たちの助けによって〝復活〟させられました。
創造者たちはイエスの手当てをし、彼を甦らせました。(「真実を告げる書」p71より)
「真実を告げる書」が含まれる「地球人は科学的に創造された」を信じるならば、聖書に書いてあるキリストの復活は事実なのだとわかります。
人間を創造した創造主たちですから、死んだ人の肉体を復活させることは簡単にできると思います。
創造主たちの姿が輝いていたのは、地球で活動するための宇宙服やスーツのようなものなのでしょう。
これは「真実を告げる書」の中で、著者のラエル氏が創造主に初めて遭遇したときの様子に書かれています。
彼は、からだ全体を包む緑色の繋ぎを着ており、頭は大気に晒されているようでしたが、その周りを不思議な後光のようなものが取り囲んでいました。
本当は後光ではないのかもしれませんが、顔の周りの空気がわずかに輝いて、振動しているようでした。
それは目に見えない保護物のような、とても細かくて、ほとんど見えないような泡のようなものでした。
皮膚は白く、やや緑がかっており、肝臓の悪い人の肌のようでした。(「真実を告げる書」p13~14より)
ということで、創造主たちは地球ではわずかに輝いているのです。
新約聖書に書かれている創造主たちは夜に目撃されたので、かなり強く光って見えたのだと思います。
創造主たちにとって大切なのは、キリストの死んだ肉体を復活させることです。
そのことによって旧約聖書に載っていることが成就することになります。
旧約聖書には、救世主が罪もなく処刑されることや、3日目に復活することなどが書かれています。
そのために、キリストは自分で十字架を背負って処刑場に行ったのです。
しかし、十字架で処刑されただけでは救世主だとはいえないのです。
極端にいうと十字架で処刑されるだけなら、人間なら誰でも可能だからです。
旧約聖書で救世主は死んでから3日目に復活するとあります。
そのことが成就したことから、イエスはキリスト(救世主)だと証明できるのです。
旧約聖書とキリストの役割
なぜ旧約聖書の内容が実現することが重要なのか。
大切なのは、なぜキリストが処刑され、復活しなければならなかったかという、創造主たちからの理由です。
その内容は、これからこの世界に起こると思われることに関係することでした。
それは「真実を告げる書」に書いてあります。
あとで創造者たちが地球に戻って来たときに、彼らが強奪者や侵略者と見なされないように真実を広めておくためには、イエスは死ぬ必要があったのです。これこそが、聖書と福音書の記述が役立つ点なのです。創造者たちの行為と存在の痕跡を保存し、彼らが戻って来た時に、それと分かるようにしておくためです。
(「真実を告げる書」p71より)
キリストが旧約聖書のとおり死んで復活したのは、今のこの時代に創造主たちが地球に戻ってきて、人間たちの前に姿を現すときのためでした。
聖書には創造主たちの存在と、創造主たちが地球上でしたことが書かれています。
その聖書がただの物語ではなく、真実だと証明することが大切でした。
ですから、キリストが殺されないように創造主たちに助けてもらうことも勿論できましたが、キリストは創造主と約束したので、その役目を全うしようとしました。
しかし、もしかするとキリストは、死ぬ時の苦しみを思うと怖かったかもしれません。
それでも創造主との約束を破ることはしませんでした。
それは後の私達と創造主との再会のための大事な役目だからです。
キリストが捕まえられそうになったとき、一緒にいた人が大祭司の僕に斬りかかり、方耳を切り落としました。
そのときにキリストが、大祭司の僕に斬りかかった人に言ったことでもわかります。
あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。それとも、わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか
(「マタイによる福音書」26章52節~54節より)
もしキリストの奇跡が無かったら、創造主たちがこの地球に戻ってきても、私たちはそれが本当に創造主なのかどうか確認できません。
「地球外生命体が侵略してきた!」
とか、
「ついにUFOが攻めてきた!」
という風になってしまう恐れが大きいのです。
現代の多くの人々が創造主の真実を知ることがなくなってしまった理由は、最初に選民として選ばれ、創造主から伝えられたことを世界中に伝える役目を与えられていたイスラエルの民のユダヤ人が、旧約聖書の内容を世界に広めなかったためです。
それどころか、自分たちだけが創造主に選ばれたといって、旧約聖書と創造主の真実をユダヤ人だけの秘密のように隠してしまったからです。
そのために世界は本当の創造主の存在を知らず、「神様」という架空の存在を信じるようになりました。
そうしてその「神」を宗教ごとに異なる存在にしてしまいました。
それでは本当の創造主が戻ってきて姿を現しても、伝えられているような神ではないので、宇宙人だとか侵略者だと思われてしまうことになります。
そんな状況では創造主はまだまだ地球に姿を現すことはできません。
それに、私たちが本当に誰なのか、また私たちの来訪の真の意味を理解した上で、彼らが私たちの来訪を望んでいるということも、私たちは実感しなければなりません。
事実、人間の戦闘機が、私たちの宇宙船を敵と見なして追跡することがしばしばありました。
実際には、私たちが傷ついたり殺されたりすることはないのですが、私たちが姿を現してもそんな危険がないようにし、また、多数の人命を危険に陥れるようなパニックを引き起こさないように、私たちが誰なのかを、あなたは人々に知らせなければなりません。(「真実を告げる書」p84より)
何のために姿を現すのかは、また次の機会に書きたいと思います。
しかしこのことはまだ実現するかどうかわかりません。
それには条件がありますが、今の地球の現状では難しいでしょう。
そのとき、どうすれば私たちはその飛行物体や生命体が侵略者ではないと確認できるでしょうか。
侵略者ではないどころか、ずっと待っていた創造主だとわかるでしょうか。
それは聖書しかないと思います。
聖書は創造主が人間に書かせたもので、その内容は創造主の痕跡が詳しく書かれています。
その聖書に沿った通りに表れることでしか、その人たちが「創造主」だと私たちが確認できる方法は無いのです。
キリストはその聖書をイスラエルの民の代わりに世界中に広める役目を与えられました。
キリストが死んでから3日目に復活したことが新訳聖書に記されていることで、創造主の存在を証明しているのです。
このことは、裏を返せばイスラエルの民のユダヤ人たちは代々創造主の真実を知っていて、現代でもそのことは伝えられているということでしょう。
キリストによって許された罪とは
キリストは「人間の罪を全て背負って死んだ」と言われます。
その「人間の罪」とは何かというと、以前も書いたように創造主の存在を知らなかったり、旧約聖書を知らない人々のことをキリストは「罪人」と言っていました。
ですから、「人間の罪」とは現代で言えば本当の創造主の存在を知らないことでしょう。
しかし、キリストが死んで復活したことで、聖書を読んで信じるならば、その罪が許されることになります。
その理由は、聖書を信じるということはキリストの存在と復活を信じることになり、つまり創造主の存在を信じることになるからです。
そのことが、キリストが私たちの罪を背負って死んだという意味なのではないかと私は思っています。
しかし、創造主の存在を知っていて隠している場合、キリストの死によっても許されないかもしれません。
ということは、人間がこの地球で犯した、人間にとっての罪や犯罪が許されるということではないのです。
おそらくそれはそれで創造主は常に見ていて裁かれる対象になるでしょう。
聖書で言われている人間の罪とは、あくまでも創造主にとっての罪なのです。
キリストはその罪を無くし、この終末の時代に創造主と地球の人間たちが無事に再会するために、遥か昔に犠牲になったのです。
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