第七感とかテレパシーの開花より大事なこと Vol.165

世の中について

スピリチュアル関連や都市伝説の話題の中に、眠っている力を目覚めさせる方法などがあります。

例えば都市伝説では第七感やテレパシー能力などで、スピリチュアル関連ではチャクラや高次元と交信するなどでしょうか。

その能力が目覚めると自分の意識が広がり、この世界に生まれた意味がわかるともいわれます。

私はこういった能力には全く縁がないため、実際にこれらのことができるようになると具体的にどうなるのかはよくわかりませんが、そういうものがあることは信じています。

今回はこの事について私なりに思っていることを書いてみたいと思います。

テレパシーの開花

テレパシーのように直接音声でやりとりせずに意志の疎通ができたり、イメージを受け取ることができる人がいるとします。

そういった能力は特別な感じがするし、その能力がある人は次元の違う人という印象があります。
それは守護霊や高次元の存在とのやりとりといった、多くの人々ができないことができるからだと思います。

確かに地球で生きている人間より次元の高い存在とやりとりしてアドバイスがもらえるなら素晴らしいです。
もしも本当にこれらの能力がある人がいれば、そのアドバイスをできるだけ多くの人に広めてもらいたいです。

すでにそうしている人はたくさんいます。

そのように交信している人々は、その人たちにとってそれが今できる最善のことなのだと思います。
アシュタールやマシュー君やバシャールのメッセージなどは有名ですね。

ですが、交信している高次元の存在が私たちに伝える内容が、まずはその人に正確に伝わる必要があると思うのです。
交信している相手が本当に高次元の存在ならば、まずは交信している人間がきちんと他の人々に伝えられるかを判断してからメッセージを伝えるのではないかと思います。

高次元の存在ならそのような判断も可能だと思いますが、反対に人間が交信している相手がどのような存在かを見分けることはできるでしょうか。

どういうことかというと、テレパシーのような未知の能力が使えるようになったことに感動して、その交信相手は良い存在だと無条件に信じてしまう恐れがあるということです。

もし交信できた相手が高次元の存在のふりをした悪霊や低級霊だとしたら?
テレパシーの能力が開花したとしても、その交信している相手が悪霊ではないとどうやって判断できるのでしょう。

「あなたは悪霊ですか?高次元の存在ですか?」
と質問すればいいのでしょうか?
多分悪霊だとしてもその悪霊は高次元の存在だと言い張るでしょう。
何か聞き分けるための合言葉があるのでしょうか。

悪霊や低級霊は良い霊や神のふりをして交信してきます。
その霊の言葉はいかにも良いことを言っているように聞こえるでしょう。
私は実際に何とも交信したことはありませんが、そういった存在があることは信じています。

何が言いたいのかというと、頑張って努力して能力を開花させても、その結果に確実に高次元の存在と交信できるとは限らないため、交信することを目的に努力するならばその努力には意味がないかもしれないということです。

守護霊や高次元の存在との交信は良くないということではなく、その交信相手がどういった存在なのかを判断できるような自分になる努力をすることの方が大切だと思うのです。
それは自分自身の成長です。

人間どうしの会話でも、何ケ国語も外国語が話せたとしても、自分自身を成長させないと次元の高い会話をするのは難しいのと一緒です。

高次元の存在か低級な霊かを見分ける一つのポイントは、受け取るメッセージの内容です。
高次元の存在のメッセージには現在の人類にとって厳しさもあると思いますが、その根底には私たちに対する純粋な愛があるはずです。

それに対して悪霊や低級霊は一見良いことを言っているように聞こえても、どこかに誰かのエゴや私たちの欲を刺激するものが感じられるはずです。
それはたとえ隠れていても、何となく違和感を感じると思います。

第七感の開花

都市伝説などで関氏が言う第七感が第七チャクラを開花するということなら、テレパシーのような交信の能力だけではなく、自分自身を開花させることだともいえます。

すると自分の意識が大きく広がり創造主と繋がることができるため、なぜ自分が今ここにいるのかや、どうすれば幸せになれるのかを理解できるといわれます。

ここでいう創造主とは、私がいつもこのブログで書いている人間を創造した創造主とは違うと思います。
この場合の創造主とはこの宇宙の根源とも言える宇宙全体を作っているものです。
それは愛ともいいます。

これが第七感なら、能力というよりも意識が目覚めるという方が近いでしょう。
この第七チャクラの開花のためには、ヨガや瞑想や音楽を聞くなどがよいといわれています。

このことはよくスピリチュアルの世界で紹介されていますが、すでに開いている人はいても、閉じていた人がこれで第七チャクラが開花したよ!という人はあまり見たことがありません。

そもそもこれらの方法で第七チャクラが開花したとしても、その人の意識が大きく変わることができるのかが謎です。
意識が広がって宇宙の意識と繋がることができたら、この世界でそれを生かすことができるのでしょうか。
つまり、この世界を生きる自分の言動にその意識を反映させていくことができるのかということです。

例えば自分は目覚めた者だからここにいる意味もわかるので、他の目覚めていない人とはもう次元が違うといった優越感に浸るだけでは何の意味もないと思うのです。

仮に第七感を開花できたら、その素晴らしい悟りをたくさんの人に伝えることがその人にとっての使命だと思います。
それ以外のことに使う道はないと思うからです。

例えばその悟りをエゴのために使うとしたら、ただその素晴らしい感覚を自分ひとりだけで味わったり、優越感に浸るくらいでしょう。

しかしそれでは覚醒剤で快楽を得るのと余り変わらない気がします。
そのためだけに修行を頑張る意味があるとはあまり思えません。

また、その経験や方法を限定的な情報として、お金を払った人にだけ教えることなども愛よりエゴが大きいものです。
お金を得ることが悪いのではなくて、自分が良いと思った情報を限定してしまうことが良くないと思うのです。
良い情報はできるだけ世界中の人に伝わるように努力する方がいいと思います。

その場合は極端に高い値段にしたりせず、誰もが手に入れる事ができるくらいの値段にするといいと思います。

これは、元の意識が高次元の意識にまだ追いついていないのに第七チャクラを開くための努力をした場合にそうなってしまうような気がします。
結局ここでもテレパシーと同じように、元の自分自身の成長が大事になると思います。

近道はない

第七チャクラの開花のための修行は昔から様々な方法で行われています。

僧侶の修行の目標としては釈迦の到達した境地だと思いますが、釈迦はもしかすると創造主たちの指導があって悟りを得たのではないかと思います。
つまり、釈迦は修行の末に悟りの境地に達したのではなく、人類の特別な使命を与えられたために悟りや知識を与えられた可能性があるのです。

関連記事:なぜ釈迦は突然悟りを開いたのか Vol.114

じつは「アミ 小さな宇宙人」の中でも、地上にいるペドゥリートにアミが近くの宇宙船からピンポイントで直接脳内に語りかける場面があります。

その宇宙船は恐らく近くにいますが人間には見えない状態ですから、人間にとっては宇宙からの交信にも思えるでしょう。

それはペドゥリートにテレパシー能力があったわけではなく、アミの持っている宇宙文明の技術を利用した道具を使ったものでした。

つまり私たち自身に第7感のようなものが無くても、必要があれば宇宙文明の存在や創造主たちは人間の脳内に語りかけることはできるのです。
とはいえ、アミはそもそも作り話として書かれた本なので、信じるか信じないかは自由ですが。

こういった技術を悪用し、チャネリングしている人に高次元の存在とチャネリングできていると騙すことも可能だと思います。

参考リンク:ボイス・トゥ・スカル / Wikipedia

ですから、頑張れば本当に悟りを得ることはできるかもしれませんが、今の私たちが自力で第七感や第七チャクラの開花を目指して宇宙の根源と繋がることは簡単ではないと思います。

それに第七感を開花させることは人間の目指すものそのものではないとも思います。

第七感を得ることは、恐らく私たちが目指すべきゴールを近道してのぞいてみることと似ていると思います。
それは、本来通るべき道を通らないで辿り着いたことになり、結局はゴールしたことにはならないのです。
ただ、今の私たちにはまだ見えないはずの場所をちょっとのぞいただけです。

本当は近道なんてないため、誰もが自分の抱えている問題を乗り越えながら一歩ずつ進むしかないのですが、それでもいつかは誰もが到達する場所なのです。

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