テクノロジーの先の世界 Vol.170

世の中について

今の世界のテクノロジーはかなり進んで便利になっているし、これからもますます発展していくと思います。
それは良いことでもありますが良くない面ももちろんあるでしょう。
何事も陰陽ですね。

人々の生活が便利になるのは良いことです。
「テクノロジー」という言葉で私は手塚治虫の描く未来の都市をイメージします。
最近の科学技術の進歩を見ているとあんな世界に本当に近づきつつあるように思えます。

しかし生活が便利になるにつれて人はそのテクノロジーに頼りすぎてしまい、人間の持つ能力を次第に使わなくなることも心配されています。
その結果、今の私たちが普通にできていることさえも自力ではできなくなる恐れがあるからです。

これは何となく誰もが想像していることだと思います。

人間の能力は必要なくなる?

例えば車の運転なら、危険を予測して注意しながら運転することが現在の運転です。
ですが、そろそろ自動運転が普及すると思うので、危険を予測して注意するのは車の役割に代わっていくと思います。
すると、人間は運転自体に意識を向けることはあまり必要なくなっていきます。
目的地を設定し、あとは車にほぼお任せという感じになるでしょう。

運転を任せるのは電車や飛行機も同じなので、車もそういった存在と同じようになるというだけでそれほど心配することはないかもしれません。
ただ、これはほんの一つの例です。

昔から比べてみると、すでに今は人間の能力を使わなくなったことがあります。
たとえば電話です。
私が子供のころは友達の電話番号を一人ずつ記憶していました。
今でもその番号は覚えています。

しかし携帯電話を持つようになってからは、携帯電話が電話番号を記憶しているため自分で覚える必要はありませんよね。
家族の電話番号でさえ知らないので、携帯がなかったら実家くらいにしか電話できません。
ですから少なくとも私は電話番号を記憶するという一つの能力を使わなくなりました。

昔の人は遠くに行くのにも歩いて何日もかけて移動していたことを考えると、現代の人は足腰を使わなくなっているし、文字を書く機会も少なくなっているため、読めるけど書けない字が多くなったのではないでしょうか。

この先、話しかければ機械やロボットが面倒な作業をこなしてくれるようになると、携帯の使い方さえ忘れてしまうかもしれませんね。

今、お金の支払いも電子マネーやクレジットカードが主流になってきているため、現金の計算ができなくなる心配もあります。

とはいえ、これが時代の流れですから誰も昔の生活に戻りたいとは思わないし、ますますこの流れは進むでしょう。

私はテクノロジーが悪いとは思いません。
人間が進歩している証拠で、人間が自分で便利な生活を編み出した能力の結果なのですから。

ただ、このままテクノロジーの進歩だけを極めていくのはもう限界なのだと思います。
どれだけ進歩しても、人間はそのテクノロジーに満足することはないからです。

もしも今の人間のままでテクノロジーを進歩させ続けると、最終的には人間は自分で考えず、体も使わずに快楽だけを得られる何かを考えだすのだと思います。
すると考える必要も動く必要もなくなります。

そのときの人間の姿は、もしかすると体が存在しない何かになっているのかもしれません。

都市伝説でも語られていましたが、何年後かには人間の肉体が消えていくというのはこういうことが原因だとも考えられます。

この流れは誰にも止められないのでしょうか。

このままテクノロジーが進歩した未来に起こること

肉体が消えるというのは、肉体をもつ必要がなくなるということを伝えているのだと思いますが、それは全員そうなるのではなく、選択してそうなる人がいるのだと思います。

たとえばバーチャルの世界で生きるという選択をする人が、一生そこで暮らすといえば肉体がいらなくなるということです。

ただ、これはこのままの人間の世界が続いた場合の話です。
肉体がいらなくなる世界について語っているのは人間です。
それは究極のテクノロジーを人間が考えた結果の世界です。
ですがもしもその世界が実現したとしても、その世界が永遠に続くとは限りません。

人間の先を行く創造主や宇宙文明の存在によれば、この人間の世界のテクノロジーはもう限界だからです。
これ以上に人間の欲望をかなえようとした場合、恐らく人間は地球だけでは満足できなくなって宇宙に進出しようとすると思います。

ですが、現在の人間が地球のテクノロジーを利用して太陽系を出られるくらいのエネルギーを手に入れると、必ず自滅してしまう何かが起こると言われます。
地球の技術では恐らく膨大なエネルギーが必要なのですが、人間はそのエネルギーを手に入れたら必ず争いに使おうとするからです。

これは以前にも書きましたが、要は新しい技術の使い道の問題であり、その技術やエネルギー自体が問題なのではありません。

すでに広島に落とされた原爆の何倍もの威力のある爆弾は作られているといわれています。
参考リンク:ツァーリ・ボンバ / Wikipedia

それをもしも一度でも使ったら、この地球は壊滅的なダメージを受けるでしょう。

そういった武器を作っていること自体が、新たなエネルギーも武力に利用する確率が高いといえる根拠になります。

今の人類は、地球にとどまるか宇宙に出ようとしてもっと大きなエネルギーを手に入れて自滅するかのどちらかしかないのです。
つまり人間が進歩しないまま自滅せずに太陽系を出られる確率はほぼゼロなのです。

欲のある人間は、テクノロジーを極めたのに自滅しないように上手くエネルギーをコントロールすることはできないのでしょう。
人間に欲やエゴがある限り、その時点で最高のエネルギーは必ず人を傷つけるために使おうとするのです。

黙示録などで語られているのはこういうことなのです。
別に終末にどこからか何か恐ろしいものが降ってくるわけではありません。
しかし黙示録に書かれている恐ろしい描写は起こる可能性があるだけで、起こるとは限りません。

テクノロジーと同じくらい大切なこと

では人間は欲をなくせば良いのかというと、そういうことです。
欲といっても生きるために必要なものや楽しむことを欲する欲ではなく、他人を押しのけてまで欲しがるエゴのことです。

そういったエゴは自分が一番大切なので、いつか必ず争いや破壊を生みます。
それは他者への愛の反対に向かうものです。
エゴを少しずつ小さくすることで、自分の中の愛が育っていきます。

愛が育つとどうなるかというと、少しずつ自分以外を大切に思えるようになっていきます。
まずは身内から、そして友人、知り合い、通りすがりの人などへと愛が広がっていきます。
愛というと難しい気がしますが、簡単にいえば自分以外の人に親切にする心です。

すると、愛は自然な心だということに気づくことができるでしょう。
そしてその自然な心は実は自分の中に最初からずっとあったことに気づきます。
エゴという自分へ向けた愛が大きすぎるとその愛が隠れてしまうため、自分には愛の心はないと思い込んでいるだけだったのです。

そして自分以外へ愛を与えていると、この世界や宇宙が愛でできていることに気づくかもしれません。
すべて、自然の法則は愛に引っ張られているのです。
テクノロジーを作った科学も自然の法則を利用しているので、愛に引っ張られているといえます。
人間の体の全ての器官も自然の法則によって動いています。

この地球もそういうふうに最初から作られたのです。

人間が科学を利用して進歩することは、人間に科学が与えられてから決まっていたことです。
しかし科学の進歩に合わせて精神や心も愛に向かって進歩しないと、進歩した科学とのバランスが取れないのです。

ですから、科学が十分に進歩した現在の私たちは精神と心を愛に向けて進歩する必要があるのです。

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