今は終末の時代で終わりの時だといわれますが、「終末の時代」や「終わりの時」という言葉だけが広まっているために、この言葉が人々の不安を煽っているように感じます。
聖書で書かれている「終末」の本当の意味は違うのに、知らずにか意図的にかはわかりませんが、一部を抜き出して恐怖を強調しているのでしょう。
私がこういった都市伝説やオカルト的なことを知って、さまざまな情報を自分で調べ始めたのは東日本大震災がきっかけでした。
地震の恐怖というよりも放射能の影響が心配で、これからの生活はどうなるのかという不安です。
さらにその頃ちょうどテレビで「やりすぎ都市伝説」を観て、2012年に今の時代が終わるというのを知ってからさらにこのような情報への興味が大きくなっていきました。
それはやっぱり私の中に、世の中はこれからどうなってしまうのかという不安や心配があったからです。
このような情報が正しいかどうかや真実かどうかというより、テレビなどで堂々と放送していると無条件にその情報を受け入れてしまう人もいると思います。
そして不安になってしまい、何かに救いを求めてしまう場合もあるでしょう。
そこまではしなくても、このブログのような情報をいろいろと探して自分なりに真実を求めて行動をする人もいると思います。
誰でもそういったことを見たり聞いたりしたら、信じるかどうかは置いておいて少しは不安や心配になったりと小さな恐怖が植え付けられるのではないでしょうか。
今回は、その結果どういうことになるのかという可能性を考えていきたいと思います。
自分が本当に求めているもの
一つの傾向としては、不安になる元になった情報を発した人や機関などが引き続き発信する情報を受け取りたくなるということです。
たとえば「やりすぎ都市伝説」の関氏が発した情報なら、引き続き関氏が出す情報をいつも見逃さないようにして何か安心できるものを探すのです。
その理由は、発信した人なら求める答えを知っていそうだからです。
これは恐らく普通の人の心理と行動なのだと思います。
体の調子が悪くてお医者さんに一度診てもらったとしたら、普通は今の自分の体の状態を知っていると思える同じお医者さんに続けて診てもらうのと似ています。
その結果、まるで体の不安をお医者さんにいつも診てもらって薬をもらうように、不安になった情報を発信した人からの新しい情報を待望するようになるのではないかと思います。
その情報を見ることは別に問題ないし、何かこれからの人生の参考になるものもあるでしょう。
もしもそれらの情報を手に入れるのに料金がかかるとしても、自分で納得して必要な情報だと思えるのなら問題ありません。
その際に意識しておくといいのは、お医者さんは患者さんが良くなることを考えて診察や治療をしてくれると思いますが、情報を発信する側は視聴者のためを思って続きの情報を発しているかどうかはわからないということです。
その場合、よくわからない複雑な言い方をして何か不思議なことが起こるかのように思わせてくることもあります。
それを聞くと今の自分の状況や心境を知っているかのように思えるので、この人の発信することなら自分の今求めている何かを与えてくれるような気もしてきます。
しかし一見もっともらしくて為になる素晴らしい情報のように思えても、もしかするとただの事実を言い方を変えて発信しているだけかもしれないのです。
事実を話しているため、その内容はほとんどのこの世界の出来事や生きている人に当てはまるのです。
ただの事実が役に立つ人にとっては貴重な情報なのでいいと思いますが、その情報に何かしらの救いを求めているとすれば、何の救いにもならない恐れもあります。
例えばまだ多くの人が知らない世界的な事件や出来事を知ったとしても、それが直接私たちの生活に関係するかと言えば、殆ど関係ないし何も変わらないでしょう。
まるでインチキ占い師が悪い未来を予言して、悪い未来を防ぐアイテムとして数珠や壺を売るようなものです。
数珠や壺は使い道が無いわけではないですが、それらが必要ない人に別の目的を作り上げて本来の価値以上に法外な値段で売っていることが問題です。
何かに価値を見出して買うのはひとそれぞれの価値観ですから別に自由です。
しかしその価値は意図的に作られたものかもしれません。
ですから、始めに情報を教えてくれた人はきっと自分が求めている答えを教えてくれるはずだと考え、引き続き情報を得るために貴重なお金を投資する場合はよく考えた方がいいと思います。
いつまでたってもあなたが求めている答えは得られないかもしれないからです。
お金を出してしか得られない情報には、自分が心から求めている答えはほとんどないでしょう。
自分が求める答えは自分が一番よくわかっているはずです。
その情報に答えを求めているわけではなく、ただ情報を受け取りたいだけなら全然いいと思います。
このブログに書いてあることも一つの情報として受け入れるのはいいと思います。
しかし私は、自分が求めているような答えはそういった情報を見るだけでは得られないような気がします。
誰もまだ知らないような情報を得たら終わりではなく、必ず自分の中にあるたくさんの情報や知識とすり合わせてみたりして考えてほしいと思います。
そうすると自然と今の自分にピッタリの何かが思い浮かんだり、してみたいことが見つかったりすることがあるからです。
それを淡々と実行すればいいだけです。
そして誰かのうまくいった体験を聞いて同じことをしても、その誰かとあなたは違う人なので同じ結果になるとは限りません。
恐らく自分が求めている答えは誰かが教えてくれるものではなく、自分自身で気づくしかないのではないかと思います。
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