三種の神器とは何なのか Vol.163

古事記

古事記には三種の神器についての記述があります。

三種の神器とは、八咫鏡(やたのかがみ)と天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の3つです。


Wikipedia/三種の神器より

この三種の神器は古事記に記されているものなので神話の中の話にも思えます。

ですが三種の神器は邇邇藝命から代々天皇に受け継がれていて、天皇の皇位継承の際には三種の神器も継承されています。
三種の神器は天から授かったままのものが代々継承されているので、それが本物かどうかは置いておいて、その元となる何かがあったと考えられます。

実際には厳重に保管されていてその実物を見ることは天皇でさえ許されていないそうなので、実物はどんなものなのかは現在の人類で知っている人はいないといえますが。

その中身は誰も見ていないため、よく紹介されている三種の神器の写真などは邇邇藝命が持参した実物とは別のものといえます。

恐らくそれらの「三種の神器」は古事記の記述などを参考に再現されたものですが、実際のものとは全く違う可能性もあると思います。
古事記は文章だけですから、その記述から正確な形を再現するのは難しいと思います。

というわけで、今回は三種の神器について考えていきたいと思います。

八咫鏡はただの鏡ではない

古事記では、天照大御神が天照大御神の孫である邇邇藝命が高天原からこの地上の世界といえる葦原の中つ国に降りるときに、こう言って八咫鏡を授けたとあります。

この鏡を私の御魂と思って、私を拝むように敬い祀りなさい。
Wikipedia 「天孫降臨」 より)

八咫鏡は天孫降臨の際に邇邇藝命(ニニギノミコト)が天照大御神から授けられたもので、何か天のことを忘れないためのものとも考えられます。

古事記を単なる神話だと考えている人にとっては天の意味がよくわからないと思います。
雲の上にあるような天国なのか神様の世界なのか何なのか。
存在すら信じられていないと思います。

しかしそうなると天照大御神の存在も架空のような存在になり、天孫降臨した邇邇藝命も実在したのかどうかさえ謎になってしまいます。

まるでイエスの存在の真偽のようです。

このブログでは何度か書いていますが、天とは宇宙のことであり、天照大御神とは宇宙に存在する地球より進んだ文明の人々が地球を見守っている全体の仕組みのことだと私は思っています。

関連記事:天照大御神の正体 Vol.138

神器には「神」の文字があります。
古事記の神とは創造主や宇宙文明の存在のしたことや、その行いから生まれた現象を表していると思うので、きっと神器は宇宙文明から与えられた何かなのです。

関連記事:八百万の神とは Vol.100

これを元に考えてみると、三種の神器とは、地球を見守る宇宙文明の存在がこれを宇宙と宇宙文明だと思って敬うようにと、これから地球で暮らす邇邇藝命などに渡した何かだと考えられます。

地球で暮らすということは、進んだ宇宙文明とは違うまだ未開の文明で暮らすことになります。

たとえば私たちの誰かが原始時代にタイムスリップして、無事に地球の文明を発展させるためにその発展の手伝いをしないといけないとします。
そのときに何かをその人に渡せるとしたら何を渡すでしょうか。

現在の発展した世界を忘れないように写真やこの世界を象徴するものなどを渡しますか?
それもいいかもしれませんが、それだけでは心細いし、ずっと原始時代に住んでいたら自分のするべきことをいつか忘れてしまいそうです。

そうならないために、現代の人と常に連絡が取れるようなものを渡すのがいいと思うのです。
たとえば通信できるスマホやパソコンなどです。

宇宙文明はこの地球が遅れた文明といえるくらいとても進んだ文明です。
天孫降臨が行われた当時でもすでに、宇宙文明の技術は現在の地球のテクノロジーよりずっと進んでいたと思います。

ですから天孫降臨の際に、地球のパソコンやスマホ以上の性能のある何かを渡されたのだと思います。
それは宇宙文明と通信できる何かです。

八咫鏡は鏡ですから、物が映るくらい表面がなめらかなものなのです。
まさにスマホの画面のようなものなのだと思います。
電源が切れた状態ではただの鏡のようですが、実際に邇邇藝命が使ったときには画面には通信相手が映っていたかもしれません。

では八尺瓊勾玉は何かというと、なんとなく耳に合う形にも見えるので音声でやりとりできるものかもしれません。

そして天叢雲剣は「剣」という名前から棒状のものでしょう。
棒状のもので通信するものだとしたら私はアンテナを思い浮かべましたが、全く別のものの可能性もあります。

その時代の人々は今よりもかなり攻撃的な面があったとしたら、何か自分を守れるようなものかも知れません。

天叢雲剣は剣ではない

実は天叢雲剣について調べたところ、古事記より以前に書かれたといわれる上紀(ウエツフミ)に気になることが書いてあることを知りました。

何時もこれの太刀より叢雲起きりて御空に渡るいとも奇しき太刀なり故吾が如何でか私に持て斎かめヤと告りたまイて太前に立て奉りたまウ。時に天照大御神告りたまイつらくこハ天之香山の磐染の美きの銅以て天津眞浦の神に作らしし叢雲の剣なりこれのものハ吾が岩屋に籠りし時心迫こに美濃淡海の伊吹に落としし太刀なりと告りたまイき。
Uga文字『上紀』ウエツフミについて

このウエツフミによると、須佐之男命はヤマタノオロチ退治のときにヤマタノオロチの尾から出た天叢雲剣についてこう言いました。
「この天叢雲剣からいつも雲の群れができて空に広がる奇妙な剣であるため、私が持つべきではない」
そして天照大御神に献上しました。
すると天照大御神は、
「これは私が天津眞浦の神に作らせたもので、天岩戸に隠れたときに動転して美濃淡海の伊吹に落とした太刀です」
と言ったのです。

これはすごいヒントだと思います。

天照大御神が天岩戸に隠れたというのは、以前このブログでノアの大洪水のことだと書きました。

関連記事:伊奘諾と伊邪那美の伝説とノアの大洪水 Vol.122

ノアの大洪水は自然に起きたことではなく、当時の荒れ放題で滅茶苦茶だったこの世界を一度滅ぼすために創造主の惑星によって起こされたものです。

その際、「地球人は科学的に創造された」によればこの地球には核ミサイルが打たれたのです。
このことから、天照大御神が作らせたものでノアの大洪水が起きたときに落としたものということは核ミサイルの残骸かそれに関係する何かではないかと思います。

だから天叢雲剣からはいつも雲が発生するのです。
つまり核や原子力に関係ある何かです。
それを須佐之男命である地球に住んでいた創造主の惑星のルシファーたちが、灌漑工事などのときに地中から見つけたのかもしれません。

これが事実に基づくとすれば、ヤマタノオロチとはただの川の氾濫ではないのかも知れません。
するとヤマタノオロチ退治もまた違った見方で考えられそうです。

関連記事:スサノオによるヤマタノオロチ退治の真実 Vol.126

天叢雲剣は地球にあると危険なものであるため、ルシファーは創造主の惑星に返しました。

そしてその天叢雲剣を利用してもっと安全な武器のようなものに作り替えたのだと思います。
天叢雲剣はのちに草薙剣になります。
草薙剣はヤマトタケルノ命が草を薙ぎ払った剣です。
ですから天叢雲剣というより草薙剣が現在ある三種の神器の一つです。

草薙剣には原子力のような強力なエネルギーが備えられている可能性があります。
これは戦うための武器というより、自衛のためのものとして与えられたのでしょう。

創造主の惑星や宇宙文明のテクノロジーによるものならば、きっとどれも電源が必要なものの可能性もあるし、または使い方を知らない人間が持っても稼働しないかもしれません。

ですので三種の神器は、見た目はもしかするとただの鏡に見えたり石に見えたり剣に見えるようにカモフラージュされていたのかもしれません。

もしも本当にそうならこれらのものは宇宙文明のテクノロジーといえますから、人間が扱うには危険があったり制御しきれないものの可能性が高いです。

そのため、それこそが歴代天皇でさえ実物を見てはいけないとされる理由ではないかと思います。

契約の箱の正体

聖書にも神から与えられたといわれる物について書かれている箇所があります。
イスラエルではそれらを三種の神器としているともいわれます。

そのイスラエルの三種の神器は、モーセがシナイ山で神から渡された十戒の記された2枚の石板とアロンの杖、そしてマナの壺です。

このイスラエルの三種の神器の一つである石板を入れた契約の箱について「地球人は科学的に創造された」に記載されています。

このために彼らは、送受信機を「神の箱」の中に入れて持ち運ばせたのです。
その送受信機には原子力のバッテリーが入っていました。
(「地球人は科学的に創造された」p39より)

「神の箱」とはイスラエルでウザが運んでいたものです。
契約の箱ともいわれ、日本のお神輿に似た形をしています。

なぜお神輿のようなのかというと、ここに書いてあるように原子力のバッテリーが入っていた送受信機だったため、直接触ると危険だったからです。
そのため二本の棒に載せて担いでいたようです。

ウザは神の箱に手を伸べて、それを押さえた。牛がつまずいたからである。
すると、ヤーウェはウザに向かって怒りを発し、彼が手を箱に伸べたので、彼をその場で打たれた。彼は神の箱の傍らで死んだ。
『サムエル記下』6 章6・7 節

 神の箱が逆さまに落ちそうになったので、支えようと手を伸ばしたウザが、
装置の危険な箇所に触れて感電死したのです。

(「地球人は科学的に創造された」p40より)

聖書ではこれを神の怒りと書いてありますが、実際には「神の箱」といわれた原子力のバッテリーが入った通信機に直接触れてしまったウザは感電死してしまったのです。

ですからウザが死んだのは神の怒りではなく事故です。

ところでこれを読むたびに思うのですが、原子力のバッテリーを運ぶのには契約の箱の形は危険すぎます。
触るだけで感電してしまうものなら、外側に何か安全対策をしたりもう少し安全に運べる仕組みになるように指示してほしかったです。

聖書に登場する「神」とは人間を創造した創造主や他の宇宙文明の存在です。
私はこれを読んだため、天照大御神から渡された神器は通信機ではないかと思ったのです。

三種の神器は天照大御神から邇邇藝命に与えられたものなどであり、その子孫に受け継ぐことを命じられてはいないようです。
ですからそれを与えられた者以外の人間がもし三種の神器を見たとしても、何も起こらないし何もできないと私は思います。

これは宇宙文明の存在を信じる私の考えたことなので、本当かどうかは全くわかりません。

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