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世の中について 聖書

なぜ愛に則って生きることが大切なのか Vol.147

投稿日:2020-04-24 更新日:

今回のテーマは「」です。
壮大な気がしますが、今こそ重要なことだと思うので書いてみます。

愛については以前にも書きましたが、今回はなぜ愛が大切なのかについてです。

そんなことは映画や歌や聖書の中でしか聞いたことがない気もしますよね。
でも今、これから来るかもしれない世界で生きていくためにはとても大切なことだと思います。

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どこに愛を与えるか

人間にとっての愛をわかりやすくいうと相手を無条件に思いやることです。
何の強制も義務もなく、自然に心から湧き出る思いやりです。

自分の家族やペットなどを思う気持ちだといえばわかりやすいと思います。
また家族やペットがいない人でも自分を思うことはできますよね。

自分への愛は自分の中からの欲望に自然に従うことなので、誰にとっても一番身近な愛の行動だと思います。

自分に対する愛もない人は今生きていないと思います。
なぜなら、生きるために食べたり飲んだりするのは自分の生存本能からの欲望へ与える愛だからです。

ですから今この世に生きている人は誰でも自分の中に愛があるのです。
その愛を自分に与えるか他者に与えるかの違いがあるだけです。

これまでの世界は自分への愛が大きくても成り立ってきましたが、これから来る世界はそれでは生きにくいというか生きられない世界になっていくと私は思っています。

今の世界の仕組み

この今の世界は物質文明です。
簡単にいうと人々の欲で成り立っている世界です。
多くの人が自分の欲を満たして満足しようとする世界です。

それは愛でいうと自分へ与える愛が大きいといえます。
もちろん他者へ向けた愛の行動をする人もたくさんいますが、今の世界では多くの人が自分への愛が大きい状態で生きているのです。
なぜならそうしないと生きられないからです。

その原因はこの世界がそういう仕組みだからです。
簡単にいうとお金を稼がないと生きられない世界になっているのです。
お金を稼ぐための行動は、どんなに愛のある素晴らしい行動だと思えるものでもベースにはお金があるため、純粋な愛とはいえないと思います。

この世界では一般的に富や名声があることが素晴らしいこととされています。
結果に繋がる努力がなければもちろん結果は出ないので、人々は結果を出すために努力をします。
しかしその目的は結果を得ることになっています。

結果に大きな価値を置くと、目的を達成するためなら何をしてもいいという風潮ができてしまいます。
富や名声とは何かを成し遂げた結果に得るもののはずなのに、それが目的になっているのです。

例えばブログや動画を発信すると収益を得ることもできますが、その目的が収益のためなのか、人のためになる内容を発信することなのかでは心が大きく違います。

どちらもやっていることは同じように見えますが、富や名声を得ることに価値を置くと、人や世の中のためになることをするのは富を得るための単なる手段になってしまいます。

すると、収益が出れば人の役に立つかどうかはどうでも良いということになってしまうかもしれません。

それでは行動の意義が全然違ってしまいます。
その行動には人に与える純粋な愛があるとは言えないのです。

それは愛がないのではなく、自分に向けた一番基本的な愛があるだけなのです。
つまり自分の欲望からの行動です。
それが今の世界の仕組みのもとになっています。

自分への愛が大きい世界は未熟な世界

この世界では一見自分以外への愛の行動に思えるものでも、実は結果的に自分の欲を満たすための行動になっているものが多いと思います。

どんなに相手のためにしているように見えることでも、相手がそれを望んでいないのならそれは自己満足であり、自分を良く見せたいという自分へ向けた愛なのです。

自分の欲望に対する愛は一番身近で誰にでも実践できる行為であり、愛の段階として考えれば一番初歩といえます。
小学校なら1年生の最初です。

この世界の基本であるお金を得るための行動はもちろん自分への愛です。
経済成長などといって高度な用語を使っても、結局は自分たちの経済的な利益を追求するのならずっと小学校1年生のままなのです。
その得たお金を望む人に無償で配るというなら別ですが。

大企業などが大量生産をするのは売るためであり、お金を得るためです。
生産したものを宣伝するのも売るためです。

するとたとえその商品やサービスが人のために作ったものだとしても、目的がお金ならば自分へ向いた愛が大きいといえます。

本来のサービスは人に与えるものですが、お金で対価をもらう時点で純粋な愛を与えているとはいえないのです。

もしも本当に人のためのものやサービスを作るのが目的なら、サービスを続けるための最低限のお金で効率よくできるものを作り、利益は自分や会社に必要な分だけで十分なはずです。
必要以上に大量に作ることは意味がありません。
むしろ環境へ悪影響を及ぼす恐れがあり、地球への愛は全く無いといえます。

ましてや直接そのサービスや生産に関わっていないような株主や役員などへ優先して利益を配るのは究極の自己愛だと思います。

そもそもお金が絡むもので愛を与えるのは今は難しいのです。
お金は自分へ向かう愛で、サービスは人に与える愛で真逆だからです。

昔は世界の科学やテクノロジーが今よりまだまだ未熟だったので、それを発達させるために人々の欲望を刺激して産業などを発展させる必要がありました。
そのためにお金は何とでも交換できる簡単で便利な存在だったのです。
お金は人類の発展のために必要なものだったといえます。

つまりお金は発展途中の人類全体の成長のための愛の手段だったのです。

それは赤ちゃんの欲を満たして育ててあげるのと同じようなものなのだと思います。
それが赤ちゃんへの愛になります。

ですが子供が成長するにつれ、ただ欲望を満たしてあげるだけではわがままな人間になる恐れが大きいため、成長しても欲を満たしてあげることは親の本当の愛とはいえません。

今の世界ももうすでに未開の文明としてはテクノロジーが十分に発展したので、人々の欲を満たす愛だけの段階は過ぎたのです。

今までの未熟な世界ではそれでも上手くやってこられましたが、これから来る世界ではそのような生き方をするのは難しくなっていくと思います。

これからは反対の世界に向かっていくからです。

愛を成長させる

これはノアの大洪水の後に人類が再び発展したときから決まっていたことです。

それは人類が愛を成長させ、次の文明に移行することです。

今の地球の人類は自分の欲を満たすだけの時代が終わり、次の段階に移行するときです。
自分の欲を満たすだけではなく、できるだけ自分以外へも愛を与えるようにする段階です。
小学校でいえばやっと2年生になるくらいでしょう。

ところでこれからやってくるといわれるデジタルの世界やバーチャルの世界が新しい世界というわけではありません。
その中で富や名声を得ることに価値を置いて欲を追求するならば、形態が変わるだけでこの世界と何も変わりません。

そのような世界がもしこれから発展するとすれば、それは以前書いたような期限付きの世界かもしれません。

関連記事:獣が支配する42ヶ月はこれから起こるかもしれない Vol.145

新しい世界では人と比べるのではなくそれぞれが自分が心からしたいことを目指すようになります。
そのため、人より多く持つことや贅沢しすぎることにはそれほど魅力を感じなくなる人が多くなるでしょう。

これまでは富や名声を手に入れるための単なる手段に過ぎなかったようなことが、反対にこれからは最も大切で重要なことになります。

それは今までもユーザーから見れば魅力だった、相手の視点に立つことです。
それが愛を与える仕事をするということです。

ユーザーやお客さんの視点に立ってサービスやものづくりをするのは当たり前にも思えますが、現在の企業などの土台になる考えは自分たちの成長になる利益です。

そのため、これまでは仕事で人のためになることをしたいと思いながらも、売り上げや競争に勝つためにどこかで妥協しなくてはいけないことがあり、もどかしい思いをした人もいると思います。
そういった人は愛が大きい人なのです。

これからは人々の価値観が変わっていき、売り上げよりも人や世の中のためを思うことが最も重要なことになっていくので、そのような価値観の人にはとても生きやすい楽しい世界になるでしょう。

企業の理念などもその価値観を基準に見られるようになっていきます。
自分たちの利益だけを考えるものはだんだん世の中から受け入れられなくなっていくのです。

仕事だけでなく、普段の生き方も周りに愛を与える生き方が大切になります。

そこでの基本は自分の中から湧き出る情熱です。
心からしたいと思うことをすることです。
それがこの宇宙の法則に従うことになるからです。

それでは欲望に従うのと同じように思えますが、今までの欲望は仕組まれた物欲であり、自分が心からしたいというものではないのです。

人間が物欲を刺激されずに自分の中から自然に湧き出る思いはきっと愛に則っています。

しかしすぐに何かをしたいと思えないこともあると思います。
それは何もしないのがその時の自分の思いなので、何もしないでいいのです。
放っておけば必ずそのうち何かをしたくなるでしょう。

究極の愛に向かう

イエスの言葉で有名なものに
右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい
というものがあります。

これは自分がやられてもやり返さずに我慢するというように捉えられることが多いようですが、イエスはそのような意味で言ったのではないと思います。

また、右利きの人が相手の右頬を叩くのは手の甲だから奴隷扱いだが、その手で左の頬を叩くときは手のひらで叩くことになるから対等な関係になるというイエスによる論破だったというのも違うと思います。

5:39しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。
5:40あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。 5:41もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。 5:42求める者には与え、借りようとする者を断るな。

(「マタイによる福音書」5章39〜42節より)

「向けてやりなさい」とあるように、相手の思いを無理に止めてはいけないという意味だと思います。

なぜなら、相手の憎しみの思いを止めようとしても止まらないからです。
むしろ止めたり反撃すればさらに憎しみが強くなるでしょう。

その思いのままにさせておけば、自然に相手の気が済むのです。
反対側の頬を出したらさらに叩かれるかもしれませんが、そうなるとしても止めるよりは良いのです。

これが宇宙の法則である愛に従うことです。

川の流れを止めようとしても別な方に流れてしまい、他の被害が出てしまうようなものです。

でも叩かれたら痛いし、悪人の思うままにさせるのも愛なのかと疑問も出るかもしれません。

この場合、そもそも人を叩くような悪人がいる時点でその世の中はどこかで愛からずれてしまっているのですが、叩かれている時にそれを言っている場合ではありません。

そんな世界に生きているならそこでできる最善を考えるのです。

イエスは今起きたことに対しての一番自然に従った行動を示したのだと思います。
それで死んでしまうのならそれでもいいというくらいの究極の愛といえる行動でしょう。

しかし私たちにそこまではできないと思います。
ですからその究極の愛より一歩手前の愛に従う行動を考えてみます。
それも難しいならもう一歩手前の愛の行動を考えます。

この場合なら叩かれたら逃げるなどです。
叩く相手を止めたり責めるより、逃げる方が自分へも相手へも愛のある行動になります。

そもそもの人を叩くような悪人がいるのは、どこかで人の自然な気持ちを抑えてしまうような世界が原因なのです。
そのような誰かの攻撃的な思いは無理に止めない方が早く事態が好転することを言っているのでしょう。

普段の生き方に多くの人がこの考えを取り入れると世界がかなり平和になり、人を叩くような人もいなくなると思います。

宇宙の法則である愛はいつも自然のままです。
善や悪を区別しません。
それが究極の愛です。

しかしそれでは人類は滅びてしまう可能性もあります。
そこで私たちの自分への愛とのバランスを取ることが大切なのです。

自分の欲望に従うことが一番身近で基本的な愛であり、そこから家族や他者、社会、地球と宇宙へと愛の規模を広げていくことが、人間としての成長であり、それがこの宇宙での人間の目標なのです。

関連記事:
愛とは何か Vol.99
愛とは情熱に従いたくなること Vol.101

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