スサノオノミコトが表す真実 Vol.125

古事記

ここ何回かは、日本の神話に基づいて記事を書いています。

そして今回は古事記に登場する須佐之男命(スサノオノミコト)について書いていきたいと思います。

このブログでは聖書をもとに古事記を読み解いていますが、聖書についても「地球人は科学的に創造された」や「アミ 小さな宇宙人」を参考に、事実としてその背景を考えています。

そして聖書を理解していくにつれ、古事記の内容は聖書に当てはまる部分が多いことに気づきました。

やりすぎ都市伝説で関氏が神道について少し語ったことがあるので、聖書と全く無関係ではないとは思いましたが、その頃はあまり理解できませんでした。

古事記の神々とは、聖書の中で人類を創造した創造主や、その他の宇宙文明の存在が人間と関わったことを表しているのです。
つまり古事記の神々には、人間のしたことも含まれているのでしょう。

ですから古事記の神とは特定の誰かを表しているのではありません。
ほとんどは、ある出来事を表す象徴として神とされているのだとわかりました。

わかったといっても、決してこれが真実だとは言えないし、本当のことなんて当事者にしかわかりません。
ですので、これは一つの私の解釈として読んでもらえたら嬉しいです。

古事記と聖書では時系列が合わなかったり、どちらかにしか記述が無い部分もあるため、完全には照らし合わせることはできないでしょう。

しかし、創造主と地球と人類にとって大きな出来事は、多分どちらにも似たような出来事として記録されていると思います。

その中で今回は、荒れた海を治める神である須佐之男命とは何を表しているのかを考えてみました。

須佐之男命が表しているもの

須佐之男命は、黄泉の国から帰って身を清めた伊奘諾(イザナギ)が、天照大御神と月読命に続いて鼻をすすいだときに産んだ末っ子の神です。

天照大御神が昼を治める太陽の象徴で、月読命が夜を治める月の象徴です。

そして須佐之男命は荒れた海を治めるので、主に地球の象徴に思えます。
太陽、月と来たら、私なら地球と来ると思います。

しかし古事記にそうは書いていません。
須佐之男命は何の神かといわれたら、荒れた海を象徴する神となります。

ここに神話の鍵があるようです。

須佐之男命は天の国である高天原で大暴れし、高天原を追放されてこの地上へやってきました。
天からの追放といえば、聖書でいえばヘビや堕天使といわれるルシファーのことが私はすぐに思い浮かびました。

ですから須佐之男命とは、ルシファーたち創造主の惑星の科学者がどこかで関係していると思うのです。

関連記事ルシファーとサタンは実在している Vol.45

もし本当にそうだとすれば、古事記もやっぱり聖書のように創造主や宇宙文明の存在たちが、人間に書くように依頼して残されたものなのでしょう。

しかし、聖書とは依頼した存在が違うのかもしれません。
当時の事実をリアルタイムで知っている存在ではあるのですが、性格や文化が違う存在などです。
そのため、聖書と古事記は全く別の事が書いてあるように思えるのです。

本当にそうだとしたら、古事記を書くように依頼した存在はユーモアのある楽しい性格の人たちのような気がします。

須佐之男命の性格

創造主の惑星の科学者たちは、地球に来てから環境を整えて生命を創りました。
このときの創造主の惑星政府からの条件は、自分たちに似せた人間のような生命は作らないようにということでした。

まだ確信はありませんが、これが須佐之男命が天照大御神に行った誓約(うけい)ではないかと思います。

それなのに、科学者たちはついに地球で自分たちに似せて人間を創造してしまいます。
それを知った惑星の人々は憤慨し、政府からは決して創造した人間に科学だけは教えてはいけないと決められました。

しかしこの約束もこの後、結局破られてしまいます。

このように、惑星の科学者たちが何度も約束を破って自分たちのしたいことをしてしまうところが須佐之男命らしいと思いました。

伊奘諾による須佐之男命の追放

須佐之男命は、伊奘諾から荒れた海を治めるように言われますが、伊邪那美のいる黄泉の国へ行きたいと駄々をこね、伊奘諾から追放されます。

須佐之男命がルシファーたち科学者のしたことの象徴だとすると、黄泉の国へ行きたいと駄々をこねるというのは何の事でしょう。

前回の伊邪那美についての考察で、人間に科学を教えてしまったことを、伊邪那美が火傷して黄泉の国へ行ったこととして表しているのではないかと書きました。

これは聖書では、人間には科学を教えずに永遠に楽園で生きさせる予定だったのに、科学を教えてしまったために人間に死を与えられたことを表現しています。

では海を治めずに黄泉の国へ行きたいと駄々をこねた須佐之男命というのはどういうことなのか。
ルシファーたちは地球の荒れた環境を整えることを任されたのに、自分たちにも死を与えてほしいと惑星政府に願ったのでしょうか。

つまり、自分たちも人間と同じ条件にして欲しいと言ったとか。
地球へ行くだけならまた惑星に帰ることができますが、黄泉の国へ行くとなると、人間のように死を経験するようになることだと思います。

なぜそんなことを惑星政府に願ったかというと、創造主の惑星の1人としてではなく、人間の世界の住人になって一緒に人間の世界を発展させていきたかったからかもしれません。

または、ルシファーたちが願ったのではなくて惑星政府による追放だったのを、神話の流れとして願って駄々をこねたと書いたとも考えられます。

その後に須佐之男命はすぐに黄泉の国へは行っていないので、ルシファーたちにも死を与えられたかどうかはわかりませんが、人間に科学を教えたために惑星に帰れないように惑星政府から罰を与えられました。

私は今まで、惑星に帰れないようにされたということの意味がよくわからなかったのですが、人間のように死を与えられたのだとすれば理解できます。
ですが、元々は惑星の科学者なので、人間と全く同じように死を与えられたわけではないと思います。

しかしこれは聖書にも「地球人は科学的に創造された」にも無いことなので、完全にただの私の憶測です。

この宇宙では、宇宙文明に進んだ人々にとって「死」は大した問題では無くなります。
記憶を維持したまま次の肉体に移行できるためです。
死を与えられるというのは、記憶を維持したまま次の肉体へ移行することができなくなるということです。

ルシファーたちは、惑星政府からこれに近い何かの処罰を与えられたのではないかと思います。

これが須佐之男命が伊奘諾に追放されたということかもしれません。
聖書でいえば、人間に禁断の果実を食べるようにすすめたヘビが地を這うように呪われたことです。

天照大御神との誓約と須佐之男命の粗暴

この後、須佐之男命は黄泉の国へ行く前に、姉の天照大御神に挨拶をしようと高天原へ行きます。
しかし天照大御神は須佐之男命が攻めてきたと思い、武装して迎えます。
須佐之男命はその疑いを晴らすために誓約(うけい)を行います。
そして誓約によって、無事に須佐之男命の疑いは晴れました。

ところが、須佐之男命は高天原で田んぼのあぜを壊したり、大便を撒き散らしたり、馬の皮を剥いで機織小屋に投げ込んだりと大暴れをします。
そして機織小屋にいた織女がそのときのショックで亡くなってしまい、ついに天照大御神は怒り、天の岩戸に隠れてしまいます。

須佐之男命に創造主の惑星の科学者のルシファーたちが含まれるとすると、このエピソードは何を表しているのでしょう。

天照大御神との誓約とは、地球に自分たちと同じような生命は創造しないことか、その後の人間には決して科学は教えないことだと思います。

古事記では誓約は占いや賭けのようなものですが、文字が誓約なので、約束のようなものなのかもしれないと思いました。

そして天照大御神が天の岩戸に隠れることになった原因は、聖書でのノアの大洪水の前の、人間とルシファーたちによる滅茶苦茶な世界だと考えられます。

サタンは、地球に追放されたエロヒムのグループの、ルシファーの息子たちから与えられた武器で、人間たちが互いに殺し合うのを見ていたのでした。そのエロヒムの息子たちは、人間の娘たちと戯れ始めました。そして娘たちは、父や兄弟たちが狩りをするためにと偽りを言い、武器を譲り受けていたのでした。ところが人間たちは、実際にはこの武器で、とんでもない戦いを始めだしたのです。

(「地球人は科学的に創造された」p265より)

聖書ではサタンはイエスや預言者を試すために現れた存在です。
サタンとは、創造主の惑星の政府の中の人物で、地球に人間を創造したことには現在でも反対している存在です。

ところが、サタンは、この実験室で創造されたものからは、何ら善いことは期待できないと考えました。むしろ、人間からは悪いことしか生じないと考えました。 明らかにサタンは、彼らの惑星の一政治団体を率いるエロヒムのひとりであり、他のエロヒムが自分たちの姿に似せて、人工生命を創造したことに反対している人物だということが分かります。

(「地球人は科学的に創造された」p264より)

サタンとは1人の人物ではなく、そういった思想をもった政府の勢力とも考えられます。

古事記ではサタンのような存在は登場しませんが、惑星の政府側の存在であるため、天照大御神の言動の一部として表現されているのでしょう。

つまり天照大御神とは創造主が太陽に与えた役目の象徴であり、創造主の惑星の政府側でもあり、宇宙文明の意志も含まれているのだと思います。

須佐之男命の真実

なぜ人間に科学だけは教えてはいけなかったかというと、人類が科学的に発展したとき、いつか創造主の惑星まで行って攻撃する危険性を、惑星の政府は考えたからです。

ですから創造してしまった人間は、原始的な知識のままで生きさせることだけが許されたのです。

そのため、当初の人間は創造主の保護の中で地球で永遠に生きる計画だったのですが、ついに科学者の1人であるルシファーのグループがこっそりと人間に科学を教えてしまったのです。

なぜかというと、人間は創造主たちとほとんど変わらない生命として創造されたため、一つの人類として進歩することが可能だと思ったからでしょう。

ルシファーは自分たちが創造した人間を信じ、未来を託すことが可能な存在だと考えたのです。

人間に科学を教えてしまったことを知った惑星の政府は、ルシファーたち科学者を惑星から追放し、ルシファーたちは地球で暮らすことになりました。

そうして、科学を教えられた人間たちとルシファーたちは、この地球にめちゃくちゃな世界を作ってしまいます。
それがノアの大洪水の前の世界です。

実際には地球での話ですが、高天原である惑星政府と科学者ルシファーたちとのやりとりを、古事記では天照大御神と須佐之男命の会話で表現しているのではないかと思います。

そうしてこの乱暴でめちゃくちゃな世界を滅ぼす計画が、ノアの大洪水です。
それが天照大御神の岩戸隠れの話になるのです。

以前に、ノアの大洪水前の世界はヒルコとして表現されていると書きましたが、それは違うような、でも合っているような。
聖書と古事記を照らし合わせると時系列が合わない部分が多いので、はっきりとはわかりません。

おそらく古事記の方が、真実の歴史をかなり単純な物語にデフォルメしてあるのだと思います。

次回は、須佐之男命のヤマタノオロチ退治について考えてみます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました