日本の神話には聖書が隠れている Vol.104

古事記

都市伝説をきっかけに聖書を読み始めてから、日本には聖書にもとづいたお祭りや言い伝えが多いことがわかりました。
そこで、日本に伝わる神話と聖書の創造主は全く無関係ではないはずだと思うようになりました。

つまり、日本の神話も完全な作り話ではなく、もしかしたら事実を表しているのかもしれないと。

そこで古事記に代表される日本の神話について、聖書と照らし合わせて考えてみました。
すると、この世界の始まりとされる天地開闢の神々の真実がなんとなく見えてきました。

一応始めに書いておきますが、私は「地球人は科学的に創造された」を読んでから、この宇宙には人間を見守っている進んだ文明が存在すると考えています。
そして最初に人間を地球に創造した存在の他に、宇宙にたくさん存在する宇宙文明の存在がいると思っています。

ですからここで書くことを信じるか信じないかはみなさんの自由です。

聖書と古事記

聖書と古事記を比べてみると共通する部分もあるのですが、やっぱり別のものだと思える違いもあります。

そのために日本の神々と聖書の神は全く違う神とされていると思います。

そもそも聖書の「神」といわれている実在する存在について、現代の人々でもまだ理解していない人が多いでしょう。
私もつい2年前までは興味もなくさっぱりわかりませんでした。

聖書と古事記では登場する神の概念が違うので、そのためにお互いに関係ないように思えたり、全く違うイメージがあるのです。

とはいっても、全然違うことが書かれているわけではなく、むしろお互いを補い合うような読み物になっていると思います。

聖書は創造主や宇宙文明の存在と人間の関わりについて書いたもので、古事記の神話は、創造主たちの行動によってこの世界に現れた自然の働きや現象を書いたものなのだと思います。

なぜ古事記には創造主のことが書いていないのかは何とも言えませんが、やはり創造主の存在を隠すためなのかもしれません。

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聖書と日本の神話で共通している部分は、世界を創造したことです。
どちらもこの世界が自然に発生して繁栄したとは書かれていません。

聖書では創造主が6日間で世界を創造して人間を作りました。
一方、日本の神話では天地開闢のときに神々がそれぞれの役割をもって世界を創造しました。

一見すると違う事について書いているように見えるこの世界の創造について、一つずつ比べてみます。

私もまだまだ勉強中なので今の時点での私なりの理解の中での考えを書いてみますが、もしかして全く見当違いのものもあると思います。

天地創造1日目

まずは聖書の創世記での創造の1日目。
この1日目では創造主は天と地を創造し、光を見て良しとし、昼と夜を分けます。

以前に書きましたが、これは創造主たちが地球に来てから約2000年かけて地球の環境を調査したことを書いています。

「地球人は科学的に創造された」によれば、創世記の天地創造の7日間の1日とは、それぞれ地球での2000年にあたるそうです。
ですから聖書で1日目に「神」が行ったことは創造主が約2000年かけたものです。

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このことを古事記に当てはめて考えると、天之常立神(あめのとこたちのかみ)と国之常立神(くにのとこたちのかみ)のことを表していると思います。

天之常立神とは別天津神(ことあまつかみ)の最後の神であり、天の恒常性を表す神です。
そして国之常立神は神世七代(かみよななよ)の最初の神で、この地球の大地の恒常性を表す神です。

これは聖書での天と地を創造したことと重なると思います。

聖書では天と地を創造した意味がよくわかりませんでしたが、古事記を読んでみると、天とは地球から見た宇宙や宇宙文明のことを表しているのだと思います。
そして地はもちろん宇宙から見たこの地球のことです。

つまりこの箇所は物理的に天と地を創造したのではなく、地球と宇宙を分けたということを表しています。一つの概念のようなものです。

天地創造2日目

次に聖書の創世記の創造2日目です。
神は空の上の水と下の水を分け、雲と海を分けました。

これはまだ地球が霧と海に覆われていたころ、創造主たちがその環境の調査をしたのです。

ここの箇所は古事記での雲を神格化した存在とされる豊雲野神(とよくもののかみ)のことになると思います。
なぜわざわざ雲の神が現れたとしているのかについて考えてみると、恐らくそれまで地球には雲が無かったのでしょう。

「地球人は科学的に創造された」によれば、創造主たちが地球に来たときは霧で覆われていたそうです。

当時の地球は、水と濃密な霧にすっぽりと包まれていたのです。
(「地球人は科学的に創造された」p19より)

霧に包まれていたとは、大気全体が水蒸気のようなものだったのかもしれません。
それは上空にも雲はなく、どこまでも霧だったのです。
その状態から人間が住みやすい環境を作るために、創造主たちが水蒸気を空に集めて雲になるようにしたのでしょう。

天地創造3日目

次に創世記の3日目では大地を作り、そこに植物を生えさせました。

これは古事記では大地が泥や砂によってやや形を表した様子を表す、宇比地邇神(うひぢにのかみ)と須比智邇神(すひぢにのかみ)のことです。

ちなみにここから古事記の神は男女一対の神になります。
つまり、地球での植物や生物の繁殖に関係する現象を表すのだと思います。

生物が発成し育つことができるようになったことを示す角杙神(つのぐひのかみ)と活杙神(いくぐひのかみ)も表していると思います。

さらに大地が完全に凝固した時を神格化したとする意富斗能地神(おほとのじのかみ)と大斗乃弁神(おほとのべのかみ)のことも表しています。

天地創造4日目

創世記の4日目は太陽と月と星を配置し、季節を分けるしるしにします。

これに該当する神は天地開闢の中で私には見つけられないのですが、それ以降の天照大御神(あまてらすおおみかみ)と月読命(つくよみのみこと)にあたるのでしょう。

ですが天照大御神には季節を分ける役割とはまた違った役割があるため、違うような気もしますが、月読命という文字には「月を読む」とあるため、季節を分ける印だともとれます。

ただし、そもそも聖書と古事記は完全にリンクしているわけではないため、全ての出来事に合う神がいるとは限りません。

これは私の勉強不足なだけで、もっとぴったりの神があるのかもしれません。

天地創造5日目

創世記の5日目では、水の生き物と鳥と、地上の獣を創造して自然に繁殖するようにしました。

この部分は植物の繁殖と同じく、古事記では角杙神(つのぐひのかみ)と活杙神(いくぐひのかみ)が当てはまると思います。

天地創造6日目

そして、創世記の6日目にはついに人間が作られます。
これは古事記の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)を表しています。

伊邪那美命は火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を産んで亡くなりますが、亡くなってから黄泉の国に行ってしまいます。

これは創世記でノアの大洪水後に、創造主がこの世界が終わるまでは人間が生まれ変わらないようにしたことを表しているのではないかと思います。

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聖書には現在の地球のことだけが書かれている

ところで、聖書の創世記の天地創造では当てはまるところが見当たらなかった、造化三神や別天津神の宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)はどうなのでしょう。

これについては、聖書には記述されていない部分になるのだと思います。
しかし、聖書に書かれていないから聖書とは関係ないとは言えません。

なぜなら聖書は主にこの現在の地球の世界の人間について書いてあるからです。
この世界の始まりからこの世界の終わりまでのことです。

しかし宇宙はこの地球だけでなく、もっと広くて大きく、時間も永遠です。
聖書にはそのことは書いていないだけです。

だから造化三神と別天津神については当てはまる部分が書いていないのです。
これについてはまた別の機会に書いてみようと思います。

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