VRの世界に肉体を捨てて生きることの本当の意味 Vol.172

世の中について

やりすぎ都市伝説では、これからはバーチャルリアリティーの世界で暮らす人が増えていくというようなことを語っています。

クラウド上に人間の脳内にある意識といえるデータをアップロードすると、バーチャルリアリティーの世界に入って生きられるというものです。
もしも本当にそんなことができるなら、バーチャルの世界では自分の好きな姿になることができるし、バーチャルの世界の中ならどこへ行くのも自由なため、早くその世界に行ってみたいという人もいるでしょう。

私もちょっと遊びに行くことができるなら行って体験してみたいです。
ただ、肉体を捨てて意識だけをアップロードするのはやめておきます。
あくまでもバーチャルの世界に遊びに行くだけです。

ところで意識をクラウドにアップロードして生きることについて考えてみたら、それがどういうことなのかがなんとなくわかってしまった気がします。
とはいえ、私なりの考えですからこれが本当だとは言えません。

アップロードした記憶は本人か

意識をアップロードすることがそもそも本当に可能なのかが謎ですが、ひとまずここではそれが可能だということにして進めていきます。

都市伝説によればアップロードするのは個人の記憶というデータです。
そのデータをアップロードするとその人の記憶がクラウド上にあるため、その記憶にアクセスすればその人とコミュニケーションができるのでしょう。

ただしこれは理論上の話で、実際に私が調べたわけではありませんが、記憶をアップロードした意識(?)にアクセスしてコンタクトをとったという実績はないと思うので、本当にそのデータといえる意識とコミュニケーションが取れるのかはわかりません。

恐らく意識をクラウドにアップロードできると思っている人はそんなことは当たり前にできるはずだと思うでしょう。

ですが、本人のように会話しているクラウド上の人は膨大な本人のデータから会話をしているので、iPhoneのSiriのようなものだと思うのです。

Siriは人間と会話は一応できますが、はっきり言って人間同士の会話とは違いますよね。
もちろんSiriとは違うでしょうけれど、果たしてそのクラウド上の人は肉体を持っていたときと同じように感情を持って会話ができるのでしょうか。

記憶と一緒に本人の顔と声もアップロードしていれば本人のように聞こえると思います。
しかしそこに本当に本人の意識があるかどうかはわかりません。

意識とは、今生きている私たちが考えたり感じたりしているこの意識のことです。
都市伝説ではこの意識をクラウドにアップロードしてクラウド上で意識だけでも生きられるということですが、他の人からはどんなに本人と同じに見えても、アップロードされた本人にしかその意識が本当にあるのかはわからないと思います。

肉体を捨てるということの真実

現在でもバーチャルの世界に入って遊ぶことはできますよね。
その世界で例えてみます。

私たちが今バーチャルリアリティーの世界に一時的に遊びに行ったとします。
そのとき、そのアバターを動かしているのは人間である私たちですよね。
私たち人間には記憶だけではなく、感情や意思をもつ意識というものがあります。
ですからバーチャルの世界にいるアバターには本体である私たちの意識があるといえます。

そしてたくさんのアバターの中に、人が操作していないただのロボット(?)が何体かいるとします。
そのロボットは人間のアバターと同じように私たちと話せるとしたら、その中に人がいるのかただのロボットなのかわからないと思うのです。

もしも本当に記憶をアップロードできるようになって、その人は肉体を捨ててバーチャルの世界に完全に移行したとしたら、他の人から見たらその世界に本人がいるように見えるでしょう。
しかしその人が本当にその記憶を持っていた本人の意識かどうかは外からではわからないのです。

そしてバーチャルの世界にいる本人の意識というか記憶をもったアバターは、そのままその世界で生き続けているように見えるだけかもしれないのです。
つまり、肉体を捨ててバーチャルの世界に意識をアップロードするということは、実は人としてただ死ぬだけなのかもしれないということです。

もしそうなら、本当は死んでしまうのにきちんとお別れもできないかもしれないし、意識は生きていると思われているので、肉体の処分なども機械的にされて終わりかもしれません。
それまで健康に生きていた人にとっては突然の死になる恐れもあります。
それなのに誰もそれを理解していないという悲しい世界が来るかもしれません。

意識とは魂

人間は、恐らく誰も肉体と霊の結びつきの正確な仕組みを理解していないと思うのです。
霊の存在はいまだに曖昧です。
しかしその肉体と霊の結びつきこそが魂という今の感情をもって生きている私たちの意識であるため、この世界では肉体だけがなくなっても霊だけがなくなっても、この意識は保てないと思います。

ましてや脳にある記憶だけなんて、そこには魂はないため全く本人とはいえないでしょう。

ただ、これは私が考えた一つの可能性ですので、これが本当なのかどうかは実際に本人として記憶をアップロードしてみない限り、そこに意識があるかどうかは誰にもわからないのだと思います。

本人として肉体を捨てて記憶をアップロードしてみて初めて、その真実はわかるでしょう。

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