通りゃんせの歌は地球に生まれることを歌っている Vol.92

聖書

この地球に生きている人は、誰でもここに生まれることを選んで生まれてきたのです。
そんな記憶はないと思いますが、そうなのです。

といっても、地球を選ぶ理由についてはそれぞれ少しずつ違うかもしれません。
その中の1つの理由として、地球が新しい文明に移行できるように手伝いにきたことが挙げられます。

そんな人は、過去に今の地球のような未開の文明をすでに卒業した魂で、宇宙の進んだ文明で生きていた人です。

なぜ進んだ文明で生きていた人が、また未開の文明の惑星に生まれるのかというと、その理由もいくつか考えられます。

その1つは、この地球がもうすぐ未開の文明から卒業できる時期にあるため、無事に進歩できるように協力するためです。
ボランティアのように手伝うためにわざわざ地球の人間として生まれたのです。

それは素晴らしいことですが、とても厳しいことなのかもしれません。

厳しい転生

宇宙の進んだ文明からこの地球に転生した人は、昔から地球をずっと見守っていたために地球への思いが強く、助けたいと思ったのかもしれません。

しかし進んだ文明の宇宙の仲間が未開の惑星の進歩に介入することはできないので、地球人として生まれたのです。
そうすれば介入ではなくて当事者として一緒に進歩できるからです。

これらの人々は、もちろん赤ちゃんとしてお母さんのお腹から生まれてきました。
しかし、地球に生まれるときには記憶をなくして生まれることが条件のため、この地球で生きながら、ここに生まれてきた目的を思い出せるかどうかはわからないのです。

もしかすると、せっかく転生したのに残念ながら死ぬまで思い出さない人もいるかもしれません。

ですのでかなりの危険を冒しての転生ということです。
そこまでしても地球の進歩に貢献したい人がいたのです。
しかも、この時代にはかなりの人がそういった人なのかもしれません。

以前も書いたのですが、このことが童謡の「通りゃんせ」のことなのではないかと思ったのです。

通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

多分、かごめ唄と同じように他にもいくつかの意味があるとは思います。

しかし「行きはよいよい 帰りはこわい」の部分を見ると、まさにこの転生のことのように思えます。
天神さまとは宇宙の進んだ文明に住む魂の進歩した人々のことで、細道はこの地球への転生のためにお母さんのお腹に入ることです。

「七つのお祝い」はよくわかりませんが、もうすぐ新しい文明になる地球のことなのかもしれません。

おそらく、進んだ文明で生きることができるまでに進歩した魂の人は、そこから次の転生で地球のような未開の文明の惑星を選ぶことができるのです。

ただしお母さんのお腹から生まれるときに記憶をなくしているため、未開の文明の惑星に生まれたら、その後に以前のような進んだ文明に戻れるかどうかは、他の全ての地球の人間の進歩の条件と同じなのです。
ですから地球に生まれる前にどんなに進歩していても関係ないのです。

行きは簡単ですが、進んだ文明に帰れるかどうかは自分次第です。

それでも地球の人間として転生しますか?という歌なのです。

思い出しても思い出さなくても

これからこの地球が無事、自滅することなく新しい文明の惑星として進歩できたとき、その新しい文明で生きることが許された人は、もしかするとそれまでの前世の記憶も全て思い出すことができるかもしれません。

ですが、残念ながら新しい地球の文明で生きることが許されない人もたくさんいます。
それは今、生きている人がどう生きたかで判断されます。
そして今はすでに亡くなっている人も、生きているときにどう生きたかで判断されます。

人間の進歩に貢献したか、それともしなかったか。
または反対に堕落することを選んだか。

すでに死んでしまった人はもう生き方を改めることができませんが、今生きている人は、これまで堕落していたとしても死ぬまでに生き方を改めれば、新しい文明世界で生きることが許される可能性はあります。

全てはこの未開の文明が終わり、次の文明に移行する前に行われる最後の審判で決まります。
最後の審判は、地球で生きた全ての人に行われます。
もちろん、進んだ文明から地球を助けるために転生してきた人にもです。

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