聖書には、神は宇宙の全ての星に名前を付けているという言葉があります。
主はもろもろの星の数を定め、
すべてそれに名を与えられる。(「詩篇」147章4節より)
普段から聖書を読んでいる信心深い方は、神という全知全能の存在なら宇宙の全ての星の数を知り、その全てに名前を付けるなんて当たり前のことだろうくらいで納得してしまうでしょう。
ですがキリスト教やユダヤ教やイスラム教などで「神」や「父」と呼んでいる存在は、白い服を着て杖をもっているお爺さんのような一人の神ではありません。
そのような神はいませんが、神だと考えていたような存在は実在します。
神はなにもしない
この宇宙で「神」といえる存在は、全ての物事の流れを作る自然の法則のことか、その法則に従って宇宙文明を作っている私たちの創造主や宇宙の仲間のことです。
といっても創造主や宇宙文明の仲間たちは、キリスト教やユダヤ教などの一神教での「神」や「主」という場合です。
そちらの神という存在は日本人にはあまり馴染みが無いと思います。
日本で神様といえば、自然の中に存在する神というイメージが強いです。
宇宙には無数の星がありますが、全ての星の位置やどんな星なのかなどの情報が、銀河の中心にあるスーパーコンピュータに保存されていて、その情報は宇宙文明の世界で共有されています。
このことは、「アミ 小さな宇宙人」シリーズの第2巻の「もどってきたアミ」の中でアミのお父さんが話してくれたことの中に書いてあります。
「息子よ、元気かい。ウーム……そこにいっしょにいる子どもたちは第三水準(レベル)世界の子だね。女の子はたぶん、水晶の蝶の二番目の惑星、男の子のほうは金の鷲の三番目の惑星の子だろう」
「そのとおりだよ、パパ」
「ぼくの惑星は地球といって、ぼくたちの太陽は金の鷲なんていわないけど……」
「“親交世界”では、宇宙のすべてのものに名前と特別なコード番号をつけたカタログがつくられているんだよ」(注釈:〈神は星の数を数えそのすべてに名前をつける〉詩篇147章4節)
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「すべての物やひとにコード番号と名前がつけられているのを知ったからといって、別に問題はないだろう……」
ビンカはおどろいて言った。
「一人ひとりすべての人に⁉︎」
「前に話した銀河系の中心にある“スーパーコンピューター”にだよ」
とアミ。(「もどってきたアミ」文庫版 p265・p266より)
ですのでこの聖書の「詩篇」で書かれている「主」とは自然の法則の方の「神」ではなく、自然の法則に完全に従う私たちの創造主や宇宙文明の仲間たちのことです。
さらに驚くことが次に書かれていました。
「じゃ、みんな“リスト”にのっているの?」
「“きみたちのかみの毛の数まで数えられているよ”と言っても、警察のように監視しているということじゃなくて、保護のためなんだ。ちょうどお兄さんやお姉さんが弟や妹を見守っているような感じだよ」
「わたし、そうしたことはみんな神がするのかと思っていたわ」
とビンカが言った。
「神はなにもしないよ」
アミのお父さんが、きっぱりと言い切った。(「もどってきたアミ」文庫版 p266〜p267より)
私が驚いたのは「かみの毛の数まで数えられている」ことです。
もちろん嘘や冗談かもしれませんが、本当かもしれません。
以前に書いたことがありますが、私たちの一人一人の意識や記憶は全て宇宙にあるコンピュータに自動的に記録されているのです。
これはどこかから監視しているのではなく、自分の脳にある松果体などから送られているのではないかと書きました。
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「アミ」ははじめから物語として書かれた本なので、本の内容は全て架空かもしれませんが。
「神はなにもしない」というのは、その「神」はこの宇宙すべての物事の自然の法則に作用している愛だからです。
ですが、地球では別の神とも捉えられている宇宙文明の仲間たちは、私達をいつも見守っているのです。
それにしても、「アミ」の中でも何度も聖書が引用されていることから、聖書は私たちの創造主たちだけのことが書かれているのではないのだなと思いました。
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