666の現代の人に創造主が伝えたいこと Vol.66

世の中について

666は獣の数字とされています。
悪魔の数字ともいわれますが、聖書では獣の数字とあります。

こう書かれていることで、なんだか不気味で不吉なイメージがあります。

そして以前にこのブログで、この666について書きました。
関連記事聖書の666の本当の意味と獣の刻印

その記事の中で、666とは人間がこの地球に創造され、アダムとイブから数えて666世代目のことだったと書きました。
つまり地球の人間の数字です。
聖書にもはっきりとそう書かれています。

ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
(「ヨハネの黙示録」13章18節より)

1世代を20年として、アダムとイブから単純に数えた世代の数です。

「地球人は科学的に創造された」によると、666世代目とはちょうど西暦1945年の年だそうです。
その年には世界で初めて広島で核が殺戮に使われました。

創造主はこのことをほぼ正確に予測していました。
核のような巨大なエネルギーを、攻撃に使用するようになるこの時期の人間のことをです。

ですので666は初代の人類からの進歩も意味しています。
初代の人間と言っても、最初に創造された人間ではなく、科学や知恵を教えられ「楽園」から追放された人間です。
現実に人間は、精神の進歩とともに科学技術も進歩しました。

そして創造主は進歩したこの時代の人々へ、聖書やその他さまざまな形である警告を伝えています。
それは地球の人類だけではなく、地球以外のたくさんの文明の進歩を見てきた創造主だからわかるのです。

科学技術と攻撃性と獣

666の世代以降のこの時代を、創造主は獣のような人間の世界だと言っているのだと思います。

なぜ獣なのかというと、攻撃的な精神を持ったまま、世界を滅ぼすことのできる核などの武器を保持しているからです。

科学技術の進歩が悪いのではなく、攻撃的な精神を持っていることが悪いのです。
科学が進み、もうすぐ人間は宇宙にも飛び出していくでしょう。

しかし宇宙に進出できるくらいの科学技術やエネルギーは、使い方によっては人類を自滅させてしまいます。

666世代目より以前なら、攻撃性があってもまだ世界を滅ぼすことの出来るほどの軍備や科学技術は無かったので、獣とは666世代目以降の人間のことなのです。

世を愛する者と神の御旨を行う者

聖書では、この人間の世界と世界にある物を愛してはいけないと伝えています。

次の聖書にある「世」とはこの世界のことです。

世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。 世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。

(「ヨハネの第一の手紙」2章15節〜17節より)

聖書は人間のための書物ですが、その人間の中でも、神と言われる創造主の思いを行う人に向けたものです。

しかし、現代に生きていて神や創造主を思って生きている人とは、宗教を信じている信徒というイメージがあり、多くの人は自分には関係のない事だと思うと思います。
もちろん私も少し前まではそうでした。

これは聖書に書いてある言葉をそのまま捉えているからそういうイメージになってしまっているのです。

「地球人は科学的に創造された」によれば、聖書の神とは主に私達を創造した創造主です。
架空の存在ではなく、遠い惑星に実在します。

神といわれる存在はもう一つありますが、聖書で人間と関わる「神」は創造主や宇宙文明の存在のことです。

さらに、宇宙には未開の文明と進んだ文明が存在し、地球は今は未開の文明です。

創造主の願いや思いとは、創造された私達人間が長い時間をかけて進歩し、やがて宇宙の真理に気付き、創造主たちや他のたくさんの宇宙の進んだ文明の仲間入りをすることです。

地球が、進んだ文明の仲間入りをした後は、その地球の人々には他の未開の文明の進歩の手助けをするという役割が待っています。

今、地球はすでに未開の文明を卒業する時期に来ています。
しかし、今の人類のままではまだ未開の文明を抜け出すことが出来ません。

その理由は、この世界への執着が強いからです。
今はこの世界で人々は欲を多くもったまま、科学技術だけがどんどん進んでいます。
少なくとも私にはそう見えます。

この世界の全てのものに執着することは、「世を愛する」ことです。
どうにかしてこの世に生き残ろうとすることも同じです。
神といわれる創造主を忘れ、人間だけで生きていこうとすることもです。
それが聖書で書かれている獣になるのだと思います。

世を愛することが悪いわけではありません。
それは個人の進歩の段階によるからです。
まだこの地球のような未開の文明のエゴや競争の世界を味わいたいという人もいるでしょう。

ただ、「神の御旨を行う」ことを選ぶなら、もうこのような未開世界からは卒業する段階ですので、「世と世にあるものとを、愛してはいけない」のです。

「神の御旨を行う」人は、もうすぐ生まれ変わるこの地球で、進んだ文明の新しい世界に住むことになるでしょう。

地球が新しい世界になるには、地球の人々の多くがエゴや攻撃性をなくして、無事このまま移行するか、または多くの人がエゴや攻撃性を捨てられずに、自分たちの科学技術によって一度自滅してから地球で新しい世界を作るかのどちらかになります。

ただ、自滅してから作られる新しい世界には、今地球に生きている人が全員住めるわけではありません。
一方で、このままの世界を維持しながら次の文明に移行できるなら地球は無事だし、そこにいる人々は自滅したときより一緒に移行できる可能性が高くなります。

地球が新しくなることはもう決まっていることです。
まだ進んだ文明に住むことを選ばない人は、きっとこの地球を何かの形で離れることになります。

しかし自分はどうしたいか、聖書にある創造主の願いを行うか行わないかは、それぞれの自由です。

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