聖書は、現在の世界で生きる人間のために書かれたものです。
そしてこの世界から新しい世界に入るための事が書かれたものなので、この世界が終わって地球が新しい世界になったときには、もう聖書は必要なくなります。
それは聖書に従わなくて良いという意味ではなく、新しい世界とは聖書でいう「天の御国」が来た状態だからです。
それが聖書の最終的な目的です。
その中で、最後の書物になる「ヨハネの黙示録」には獣について書かれています。
獣とはこの世界の特定の誰かを指しているのではなく、科学が進歩し、核など自分たちの惑星が自滅するほどの武器が使用できる状態にある現在の人間のことです。
聖書には事実や実際に起こりうることが書かれています。
事実は聖書が書かれた時点で起こった事ですが、まだ起こっていないことで未来に起こる恐れがあることは、警告として書かれていたり、希望として書かれています。
しかしそれは単なる予言のような、本当に起こるかどうかわからないような予想ではありません。
かなりの確率で実際に起こることが予測として書いてあるのです。
聖書は人類の医学書のようなもの
なぜ、聖書を書かせた創造主にはこんなことがわかるのでしょう。
それは人類を作った創造主は、地球の人類以外にも他の惑星のたくさんの人類の歴史を知っているからです。
例えば、たくさんの人の体を診察しているお医者さんは、ある一人の人の体の症状を見て、その原因を簡単に予想することができます。
その患者さんにとっては初めての症状だとしても、お医者さんは他のたくさんの人を診察しているからです。
つまり、人類はこの地球の人間だけではないのです。
それどころか、宇宙には遥か昔から科学的にとても進歩した惑星がたくさんあり、中には残念ながら最後の時代に自滅してしまった惑星もあります。
もちろん自滅せず無事に新しい世界に移行できた惑星もたくさんあります。
科学的にとても進歩した現在の地球は今まさに、この最後の段階に入っていると言えます。
どちらの道をたどるのかは、誰にもわかりません。
創造主でさえもです。
ですが、創造主や他の宇宙文明の多くの仲間が、この最後の段階にある地球を見守っています。
まるで危険なリスクのある出産を見守る家族のようにです。
しかし家族には、見守ることしかできません。
頑張るのは妊婦さんと赤ちゃんなのです。
もちろん創造主や宇宙の仲間からすれば、無事にこのまま新しい世界に移行できることが一番ですが、同じように見守ることしかできないのです。
当事者は今地球に肉体をもって生きている私たちだからです。
そのために今何が大切かというと、一番は自滅しないことです。
今はそれだけです。
自滅してしまったら終わりです。
自滅せず無事に新しい世界に移行できれば何でもできるようになるので、とりあえず自滅しないようにすることが最優先です。
自滅の原因はいくつもあり、今は本当に油断できない状態です。
たとえば核兵器を使った戦争です。
また核兵器がなくても、核自体があればたくさんの危険は伴います。
現時点でも地球全体が自滅するほどの武器や軍備、核施設はあちこちにあります。
いつでも自滅できる用意はできているのです。
でも自滅していないのは、人間が全て滅びるくらいの攻撃に使用していないからです。
つまり人間の意思ですよね。
地球の未来は今の地球に生きている人の意識次第で、どちらにもなりうるのです。
妊婦さんが無事に出産できるように、お医者さんは体重の管理やその他たくさんのアドバイスをしてくれますよね。
同じように創造主や他の宇宙の仲間たちは、出来るだけのアドバイスをメッセージとして地球に送ってくれています。
世界が変わるために一人ができること
一人が何かをしても無駄だし、何も変わらないと思いますか?
だから何もしなくても同じだと。
しかし、今の世の中を変えたい、全ての人が幸せになれる世界に住みたいという気持ちが多くの人の中にあるなら、まだまだ変わる希望はあります。
あきらめて何もしないのと、幸せな世界にしたいという希望を持ちながら何もできないでいるのは同じように見えますが、心に大きな違いがあります。
希望を持ちながらも何もできない人は、何かのきっかけがあればすぐに行動できるからです。
実際に、世の中には悪い人よりも良い人の方が断然多いと思います。
道で困っている人がいたら、助けてあげる人は多いはずです。
助けてあげたいけど行動に移せないだけの人も多いでしょう。
何もできない理由は、自分には何もできないと思い込んでいるだけです。
では具体的にどうすればいいのか。
デモを起こしたり集会をしたりと、大きなことをする必要はありません。
今、自分は本当はどうしたいのかをよく考えることです。
この世界でどうなりたいのか。
何をしたいのか。
昔から興味があった事であきらめてしまったことなど。
それが、世界を変えるきっかけになるかもしれないのです。
誰かと比べたり競って勝ちたいことではなく、誰かに勧められたことや親に決められたことでもありません。
あなたが本当に素直に心からしたいことです。
人が心から本当にしたいと思うことで悪いことはないと思います。
小さなことでもいいのです。
今日、今の瞬間に何をしたいのかを考えることが、しだいに本当にあなたがしたいこと、なりたいことにつながるからです。
紅茶よりコーヒーが飲みたい、などでもいいです。
そんなことが世界を変えるきっかけになるわけがないように思えますが、たくさんの人が自分の心地よいことを感知できるようになることが重要です。
自分の小さな欲求に応えられるようになると、近くの誰かの願いも素直に聞いてあげられるようになり、人が人に優しくなれるのです。
こんな人が世界中にどんどん増えていくことが大切なのです。
そうすると誰も争いを起こしたいと思う人がいなくなるからです。
これはイエスの言った「隣人を愛する」ことの実践です。
これが現実になってくると、世界を動かす立場の人も変わるはずです。
その人を選ぶのは私たち一般の国民だからです。
目先の利益だけで選ぶことはもうなくなっていき、人々が本当に必要だと思える人が選ばれるようになるでしょう。
そんな世界が訪れるためには、今日の今から、一人ひとりが自分の小さな欲求に気づいて実行していくことです。
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