真実を知ろうとして迷宮に入り込まないために Vol.30

世の中について

このブログを読んでいる方は、私がこのブログで聖書についての真実を書いているように見えると思います。
確かに真実かもしれないし、もしかしたらまったくのデタラメかもしれません。

なぜなら、私がここで書いている聖書についての真実と思われる話は、全て「真実を告げる書」をもとにしているからです。

「真実を告げる書」はただの書籍です。
著者であるラエル氏によれば、その内容は実際にラエル氏が創造主に会って話をし、最後の預言者として書くように依頼されたというものです。
この書籍の内容が真実かどうかは、今は確かめる方法がないので私にもわかりません。
ただ私は信じているだけです。

それは、聖書についても同じく言えます。
聖書は、はっきりと事実であるとは言えませんが、信じる人は信じていますよね。

ですから、このブログの内容を信じるか信じないかは読んでいる皆さんの全くの自由です。

しかし、ここで書いていることが本当に真実だった場合、これまで世界中で常識だと思われていたことは常識ではなくなります。
常識ではなくなるというのは、この事が真実として知られたとき、人々の考えが変わるということです。

それは死海文書が発見されたことよりもすごいことかも知れません。
そうなったときは、結果的に世界のシステムも変わっていくかもしれないからです。

そのくらい、この「真実を告げる書」が真実だとすると、現在は正しくない情報が広まっていることになります。

とはいえ、何が真実で何が真実ではないかは当事者以外の人が知るのは難しいことだと思います。

常識とは何か

今この世界で広まっている考え方や常識の中で、権力や富を得ている人や団体は、もし今の世界の常識が変わってしまうと都合が悪いんじゃないかと思います。
だから、もしこの「真実を告げる書」を頭から否定したり、広まらないようにする団体や存在がいたら、そういう人たちの可能性が高いです。

また、「真実を告げる書」に限らず、この内容と同じ考えを広めようとしたら妨害されることがあるとすれば、それはこの内容が都合が悪いと考える人達によるものかもしれません。
そして今の世界に広まっている常識は、真実は都合が悪いと考える人たちによって作られた嘘の常識が多いのだと思います。。

反対に、現在の常識から離れた考えをもった人や団体は、真実について語っている可能性があります。
単にトンデモない説を語っているだけのこともありますが。

それから真実を知ろうとすると、なんだか複雑な説や回りくどい言い方や語り方で、なかなか真実にたどり着けないようになっているものも多いです。
恐怖をあおったり、結局真実が何なのかをうやむやにしたりです。

この世界の真実は意外とシンプルで、すんなりと納得できるものだということを頭に入れておけば、それが真実か真実じゃないかは見分けられるのではないかと思います。

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