終末の時代に起こると言われることはなぜ起こるのか Vol.162

キリスト

聖書には終末の時代に起こると思われる事が書いてあります。

「ヨハネの黙示録」や「マタイによる福音書」、「ルカによる福音書」などです。

21:10それから彼らに言われた、「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。 21:11また大地震があり、あちこちに疫病やききんが起り、いろいろ恐ろしいことや天からの物すごい前兆があるであろう。
(「ルカによる福音書」21章10節・11節より)

これはイエスが語ったことを書いた聖書の部分です。
予言ともとれますが、単なる予言ではないと思います。

なぜなら聖書には何の根拠もないことは書いていないからです。
ですからこのようなことが実際に起こる原因があるのです。

「疫病」とは伝染する病ですが、現在流行中のウイルスもこの時代だから出現したのだと思います。

今回はなぜこのようなことが終末の時代に起こると思われるのかについて、私なりに考えてみます。

終末の時代は今のこと

終末の時代とは具体的にどんな時代のことかというと、この現在の人類が地球に創造されて科学を教えられてから続いた歴史の終わりのときです。

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そもそも人類が創造されたのかどうかという議論はここではしません。
終末論とは人類の始まりが明確にあり、そして自然に進歩したのではなく明らかに人間以外の存在から知恵を与えられたという前提があると私は思うからです。

創造主はアダムとイヴから数えて666世代目以降の人類を獣と定義し、聖書に残しました。
だいたいそのくらいになると人類の科学は十分に発展すると予測されていたのです。

科学の発展した時代に生きる人間を創造主たちは獣と呼ぶのです。
そしてその時期がちょうど1945年以降の人類です。

現在の世界を見てみると、原始の時代に比べれば科学は進歩していますが、人々の精神性はその科学を使うのにふさわしい程は進歩していません。

例えばとても画期的な技術が開発されたとき、現在の世界では必ずその技術をまず軍事的な目的に利用する方法を考えるからです。
そんなことはないという人はこの世界を知らないだけです。

ある技術を軍事的な目的に利用しようとすることは、その技術によって人が傷ついたり死んだりすることを容認していることになります。

軍事の他にも、支配者が利益を得ることを優先したテクノロジーの使い方を決めることで、誰もが平等にその恩恵を受けられる道を無くしてしまっています。

少しくらいはその技術を人々のために使ったとしても、それは恐らく利益を得ている支配者の人々がほとんど損をしない程度です。

当然ですが、自分達の利益を優先していると一般の人々に気付かれると誰も支配者側の言うことを聞かなくなってしまいますから、表向きはいつでも全人類のためにテクノロジーを使うことをアピールするでしょう。

しかし決して自分のエゴを犠牲にするほどのことはしないのです。

そこには人に対する愛はほとんどありません。
あるのはエゴです。

進歩した精神はエゴが小さく攻撃的ではありません。
しかし進歩していない精神はエゴが大きく、攻撃的な部分も大きいのです。
そのため進歩していない精神の人間たちが高度な技術を手に入れることはかなり危険なのです。

それが今の、獣といわれる人間の時代です。

変わるのが難しい理由

恐らく大多数の人は、誰もが幸せに生きられる世界を望んでいると思います。

それなのに未だに幸せを感じられない人が多いのは、現在の世界の様々なシステムがそうなっているからです。

この世界はピラミッド型のシステムで、誰かが上に行くと他の誰かが代わりに下に行くようなシステムです。
つまり誰もが一緒に上に行けるという世界ではないと言えます。

ならば世界を変えたいと思った人が下から努力して這い上がって、その人がこのシステムを変えればいいとも思えます。
そんな人なら下の世界で苦しんでいる人たちの気持ちがわかるからです。

ですがきっとほとんどの人は、一度上に行ったらその快適さから抜け出したくないと考えると思います。

それは自分の利益しか考えないエゴかもしれませんが、それが人間なので、この世界ではほとんどの人がそう考えるのは仕方がないことです。

この世界のシステムを変えるために行動することには、また以前の生活に戻ってしまう恐れもあるからです。

もちろん始めは世界が変わるように努力すると思いますが、自分だけでは限界があることを思い知って諦めてしまうのです。

もしかすると一度上の世界に行った人は、この世界の秘密を知る可能性があるため、この世界を裏切るようなことをしようとすると、秘密を守るために自分や家族に危険が迫る恐れもあります。

ですから、頑張って勝ち取った地位や富、自分や家族の身を危険にさらしてまで世界を変えようとする人はなかなかいないでしょう。

そのため、せっかく世界を変えたいと思って努力して這い上がったとしても、実際に行動し続ける人はなかなかいないでしょう。

こういったことがこの世界の土台にあるため、上にいる人たちが変わらない限り、今ある科学技術を人類全体の本当の幸せのために使えるように変えることは難しいのが現状です。

私はこの事が、聖書に書かれている終末に起こると思われる出来事の一つの原因なのではないかと思うのです。

テクノロジーと終末の関係

なぜ今の科学技術を人類の本当の幸せのために使わないことが、聖書にある終末に起こることと関係あると私が思うのかを書いてみます。

今ある科学技術は、ここ100年くらいで飛躍的に進歩してきました。

100年前なら人を殺すための道具が剣や刀などの単純なものでしたから、仕組みは単純でした。
しかし最新のテクノロジーは複雑で扱いも難しい上にエネルギーが大きいため、それを人を殺したり傷付ける事を目的に利用すると、今の人間では制御しきれないのです。

新しいテクノロジーを作った人は始めから軍事的な利用が目的だったわけではないはずです。
きっと誰かの役に立つように一生懸命考えたと思います。

しかし現在は、ほとんどの画期的な新しいテクノロジーは軍事的な目的で利用され、一般の人々に普及するのはそのほんの一部だけです。

そのように軍事的な目的にテクノロジーを転用して作られた道具は、人を傷つけたり殺すことが目的のため、それらから地球の環境や生物や人に良い影響を与えるものは決して生まれないでしょう。

ですから人を傷つける目的でテクノロジーが使われた場合、その目的を果たす以上の余ったエネルギーを使いきれずにあふれたりといった事が起こる恐れがあります。

また、産業やサービスにも科学技術は使われていますが、その目的は企業や支配者の利益になるようにすることだと思います。
もちろん消費者には消費者第一だと宣伝はしますが、それはあくまでも売るための宣伝です。

そのような目的で使われたテクノロジーからは副産物が通常よりも多く出ると思います。
この場合の副産物とは産業廃棄物や環境汚染など、地球や人間に良くないものです。

産業やサービスで使われるときでも、この世界ではほとんどの場合が消費者より企業や支配者の利益が大事なため、いかに効率的に安い経費で生産して利益を大きくできるかということばかりが優先されています。

その結果、大量生産でできた膨大な産業廃棄物や環境汚染が問題になっています。
それは効率よくエネルギーを使えていないことが原因になっている可能性もあります。

なぜなら、エネルギーを効率よく使おうとすると、無駄がなくなって本当にコストが安くなったりします。
そうすると無駄なエネルギーがなくなり、廃棄物も少なくなるでしょう。

それは一見良さそうに見えますが、あらゆる生産やサービスでそうなると価格破壊が起こって企業や生産者の利益が少なくなってしまい、経済のバランスが崩れる恐れがあります。

経済第一の今の世界ではとても都合が悪いのです。

そのため、効率の良いテクノロジーの使い方は隠されているかもしれないのです。
それが企業同士の競争に繋がり、さらに国同士の争いにも繋がっていきます。

それにより安い賃金で長時間働かないと生きられない人々が多くなり、人々の不満が大きくなります。

こういった事が積もり積もって、現在の世界ではその反動が出てきているのではないかと思うのです。
このことが原因になり聖書にある終末の時代に起こるといわれる事が今起こっているとも考えられます。

この技術をもし本当にこの地球や人間を助けるために利用するとすると、貧困や争いはなくなって環境も正常になり、現在の世界はもっと幸せな人の多い世界になっていると思います。

それが今の終末の時代なのです。

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