ダヴィンチの暗号。ダヴィンチは真実を知っていたのか Vol.63

キリスト

レオナルド・ダ・ヴィンチは自身の作品に暗号を隠したと言われています。

その暗号とは、主に聖書やイエス・キリストについてです。

もう現在では広く知られ過ぎていて、暗号ではなくなっている気もしますが、今回はダヴィンチの暗号について考えてみます。

モナリザの暗号

まず、モナリザについて。

モナリザは、世界的に有名なダヴィンチの絵画ですが、そのモデルが誰なのかははっきりとわかっていません。
一説では、ダヴィンチ自身をモデルにしたのではないかとも言われています。

モナリザは、ダヴィンチが亡くなるまで手元に置いておいた作品です。

そのことも、ダヴィンチが何かのメッセージや暗号をこめていたかもしれないと言われている理由ではないでしょうか。

ではモナリザに込められた暗号とは何か。

こちらの二つの記事を参考にさせていただきました。

参考記事:
リアルのダ・ヴィンチ・コード発見! 暗号はモナ・リザの瞳の中にあった / GIZMODO

モナリザの暗号 / 弁護士作花知士のブログ

まず一つは、右瞳にダヴィンチのイニシャルらしい「LV」の文字が隠されているというもの。
また、左瞳には「BかS」または「CとE」のように見える文字があるようです。

単に錯覚ではないかとも思えますが、専門家によれば、意図的に書かれたとしか思えないくらいはっきりとしているそうです。

また、背景の橋の下にも「149?」と、最後の文字は読めないようですが、数字が書いてあるそうです。

そして次の暗号は私はちょっと半信半疑なのですが、絵のある部分に鏡をあてて左右対称にすると宇宙人の姿が浮かび上がるというものです。

こちらの記事を参考にしました。

参考記事:
「モナ・リザ」に“身分の高い宇宙人”の姿がクッキリ描かれていた! ダ・ヴィンチの絵画からエイリアンが続々発見される! / トカナ

なぜ突然宇宙人?という感じですね。

これは単なる偶然だとも考えられますが、ダヴィンチは鏡文字も簡単に書いていたことを考えると、もしかしたらとも思えてきます。

それにダヴィンチの作品にはUFOらしき物が描かれているものもいくつかありますので、何かを伝えているのかも知れません。

最後の晩餐の暗号

次はダヴィンチの代表的な作品の「最後の晩餐」についてです。
最後の晩餐にもいくつかの暗号があるといわれます。

こちらの記事にとても詳しい見解がありますので、興味がある方はご覧下さい。

参考記事:
最後の晩餐・・・イエスの顕現、ダヴィンチの願い / レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋

ここではその中の一部をご紹介します。

一つ目の暗号は、イエスの向かって左隣にいる弟子のヨハネが実は女性で、マグダラのマリアなのではないかということです。

これはやりすぎ都市伝説でも関さんが言っていました。

しかしヨハネが実際に女性だったということではありません。
ダヴィンチが、ヨハネに見せかけてマグダラのマリアを描いたということです。

ヨハネとして描かれているマグダラのマリアをイエスの向かって右側に移動させると、マリアがイエスに寄り添っている構図になります。

これが何を意味するのか。

マグダラのマリアはイエスの妻だったという説があります。
なんと子供までいたともいわれます。
しかしこれはキリスト教の中ではタブーとされていることです。

ですので、当時にこの事を伝える事が出来なくても、暗号として絵に残すことで、未来でこのメッセージを解読してくれることを願っていたのかもしれません。

もう一つの暗号は、ペテロの肩に、小ヤコブが後ろから手を乗せていますが、この手はサタンや悪魔の象徴である蛇を表してもいるというものです。

これが意味するのは、イスカリオテのユダがイエスを裏切りますが、シモン・ペテロも大きな間違いを冒すというものです。

新約聖書の「マタイによる福音書」でイエスが、これから自分はエルサレムに行って律法学者たちに責められ殺されて、3日目に復活する必要があると言った時、ペテロがイエスのその言葉を否定しました。
その時にペテロに言ったことがこちらです。

「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」
(「マタイによる福音書」16章23節より)

「人」とはイエスのことです。
ペテロはそれくらいイエスを思い、どこまでもついていこうとしていたのです。

これは、人間が創造主を忘れて、人間のことだけを思うことについても言っているのだと私は思います。

しかしそれではイエスが創造主と約束したことが果たせません。
どうしてもイエスは無実の罪で殺されて復活しなければならなかったのです。

そして、イエスはそんなペテロの思いから、その後起こしてしまうことをすでに知っていました。

するとイエスが言われた、「ペテロよ、あなたに言っておく。きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。

(「ルカによる福音書」22章34節より)

ペテロは、自分は決してイエスを裏切らないと過信していました。
しかしこの後イエスが捕らえられて行ったとき、自分も捕えらえるかもしれない恐れに負け、ペテロは三度イエスを「知らない」と言います。
その時鶏が鳴き、捕らえられたイエスと目が合いました。
ペテロはイエスに言われた言葉を思い出し、大声で泣きました。

その後、処刑されたイエスが復活し、ペテロと他の弟子たちの前に現われました。
そのことが、ペテロの信仰を再び強くさせ、後にペテロはローマカトリックの初代教皇とされたのです。

天の父よりもイエスの命を思うペテロの心をイエスはサタンにたとえていました。
その意味は、イエス自身がこれから受ける苦しみを避けさせることはイエスのためを思う心ですが、人類と創造主を結ぶことには繋がらないということです。

ペテロのイエスへの想いはイエスのためでしたが、先に進もうとするイエスにとっては躓かせるものだったのです。

「最後の晩餐」の中でペテロを移動させるとその意図が現れます。
ただし、これはペテロ個人の意志ではなく、後のローマカトリック教会の考えといえます。

ペテロ自身はイエスを強く信頼していた弟子ですから。

ペテロが左手でヨハネの首を切るようなポーズで脅しているのは、ヨハネに見せているマグダラのマリアだったのです。

そしてペテロをイエスの向かって左側に移動させると、右手に持ったナイフはイエスの隣にいたヨハネとされるマグダラのマリアのお腹に向けていることになります。

これは、ペテロを教会に見立てて描いていると捉えるとその意味がわかってきます。
詳しくは次の章で書きます。

この事実を公に伝える事が出来ない時代だったので、ダヴィンチはこうして伝えているのではないかと思います。

暗号にした意図を読む

ダヴィンチは、当時の人々には誰にもわからないように絵に暗号を込めました。
ダヴィンチがそうした理由は、現代の私達にこの暗号を伝えるために、暗号を込めた絵画を世界に広めたかったからです。

もしも当時に、絵画に暗号が隠されているとわかっていたら恐らく絵画は公開されていません。

そこまでしてダヴィンチが現代に伝えたかったこととは何でしょうか。
暗号が発見できただけではダヴィンチの伝えたいことのまだ半分です。

真意はもちろんダヴィンチにしかわかりませんが、ダヴィンチがいない現代で、当時に言いたくても言えなかったことを読み取る事がダヴィンチの望みだとも思います。

ではモナリザと最後の晩餐に込められた暗号が示す事とは何か。
私なりの考えと解釈を書いてみます。

モナリザの瞳の中と背景の小さな文字はイニシャルだとか年代ではないかと言われますが、それが何を意味するのでしょうか。

イニシャルや数字自体にはあまり意味が無く、この暗号の小さな文字を見つけることが出来るようになった時代の人々に向けてのメッセージなのかも知れません。

そしてその小さな文字を見つけることができる時代なら、絵を様々な方法で鑑賞できるようにもなっていることを期待していたのです。

実際にダヴィンチの絵を研究している過程で瞳の中の小さな文字を発見したら、もしかして他にも何か隠されているかもしれないと考えると思います。

モナリザの絵の、ある部分に鏡を当てて見ると宇宙人らしきものがはっきりと現れるという事実もあります。
これが意図的なものなら、地球の人間以外の生命体の存在を示しているといえます。

そして最後の晩餐にマグダラのマリアを描いた理由についてはすでに広く知られているように、イエスは結婚していたことを伝えています。

しかもマグダラのマリアのお腹にはイエスの子供がいることもです。
これはペテロをイエスの隣に移動させると、マグダラのマリアのお腹にナイフを当てる形になることで解釈できます。

何故ペテロがマグダラのマリアのお腹にナイフを当てるのでしょうか。
ペテロは後に初代ローマカトリック教皇になるので、教会の考えと捉えてみます。

ローマカトリック教会は、イエス・キリストは神の子ですが神と同じ存在だとしています。
キリスト教では、天の父と呼ぶ神が自身でキリストとなってこの世に生まれ、様々な奇跡を起こしたといわれています。
つまり、キリスト教のカトリックはイエスを三位一体の神としている宗教なのです。

カトリックの教えではイエスは神なので、奇跡を起こしたり死んでから復活することができた。
神であるイエスは普通の人間とは違う。
だから結婚などはしないし、子供もいるはずがないということになります。

もし子供がいたら、その子も神の子ということになってしまいます。
しかし神が2人になるから都合が悪いわけではないでしょう。
それも少しあるかもしれませんが。

カトリック教会にとって、神は人間とは違うということが重要なのです。
神秘的な神が人間と同じでは、キリスト教とは何なのか、となってしまうからです。
人間を信仰していることになります。

もちろん、カトリック教会はイエスの教えも大事にしていると思いますが、イエスが神だから、キリスト教徒がこれだけ増えたのだと思います。

それなのにイエスは神の子だけど人間だった。
この事が宗教としては都合が悪いのです。

最近は人間を神のような教祖と崇める宗教もありますが、世界最大のキリスト教がそれでは、信者は離れてしまうでしょう。

ではイエスは神の子だけど神ではないのか?
その通りです。
イエスは神の子として生まれてきましたが神ではありません。
もっと言えば、神といわれるイエスの天の父でさえも多くの人が想像する神ではないのです。

とはいえこれは「神」の捉え方にもよります。

イエスの言う天の父とは、すでにこのブログで書いている地球の人類を創造した創造主のことだからです。
それをモナリザの絵に込めた可能性も考えられます。

地球に人間を創造した創造主は、遠い惑星に実在する人間と同じような生命体です。
ただし、精神的にも科学的にもとても進んでいる人類の大先輩です。

そして、私達が現在の地球の破滅の危機を無事に乗り越えたとき、または破滅してからの再生後、この地球に公式に現れる予定です。

これは「地球人は科学的に創造された」に書いてあることですし、聖書にもあります。
また、「アミ 小さな宇宙人」にも書いてあります。

そのときはイエスも一緒に現れるのかもしれません。
それが終末の時代の後のキリストの再臨なのです。

しかしそのキリストの再臨は、現在のような荒れた世界を救うためにではありません。

今の地球のようなエゴが大きい世界を私達自身で克服できたとき、暴力に満ちたこの世界を克服できたときに、イエスは創造主と一緒に現れます。

きっとその時は、地球の人々は全てを理解し、イエスを神秘的な神だと思う人はいないでしょう。

ダヴィンチはこのことを知っていたのかどうかはわかりません。
しかし、いくつかの暗号はこのことを表しているようにも私は思えます。

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